くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「鋼の錬金術師 完結編 復讐者スカー」「大河への道」

鋼の錬金術師 完結編 復讐者スカー」

前作がいかにも貧相なアクションでひどい仕上がりでしたが、今回はドラマ部分を中心に展開するし、原作を読んでいない人にも優しい脚本が映画全体をまとめていて、原作のメッセージがうまく伝わって来るので、映画としていい出来上がりになっていました。正直、面白かったし、胸に迫るものもありました。監督は曽利文彦

 

主人公エドとアルがセントラルの街へ向かうべく列車に乗るところから映画は始まる。車内で謎の男たちに襲われるも、彼らは東の大国シンから来たリンらで、永遠の命を求めて賢者の石を手に入れようとしていた。戦いの最中、ホムンクルスのエンヴィが現れる。エンヴィは賢者の石でできた人造人間なので、列車をさったエンヴィらをリンは追っていきます。一方、なんとかエドたちは窮地を脱してセントラルに到着する。

 

そこで、エドとアルは焔の錬金術師、マスタング大佐と再会、国家錬金術師ばかりを狙った殺人事件が横行していると知らされる。その犯人は額にギズにあるスカーと呼ばれる男だった。セントラルの街でシンから来たというメイと出会ったエドたちですが、メイと喧嘩になり暴れているところへスカーが現れる。スカーと対峙したエドとアルは、体の半分を破壊され、応援にきたマスタング大佐によりスカーはその場を脱出して姿をくらます。スカーはその姿から、かつてアメストリスの国が攻めて滅ぼしたイシュヴァールの民だと知る。

 

エドたちはウィンリィの元へ向かい、そこでオートメイルの修理を依頼する。修理している間にエドたちは亡き母の墓参りをするが、そこでヴァン・ホーエンハイムと再会。エドホーエンハイムとほとんど口を聞かなかったが、ホーエンハイムは去り際に、昔一夜で滅んだクセルクセスの国の話をし、間も無く恐ろしいことが起こると言い残す。エドたちがクセルクセスの遺跡を訪ねてみるとそこにはイシュヴァールの人間が住み着いていて、彼らはアメストリス人でありながらイシュヴァールの民を助けてくれた医師の話をします。その医師はウィンリィの両親で、ウィンリィの両親は、戦争で敵側の兵士たちを治療していた医師だったが、患者の一人に殺された過去があった。その患者はスカーだった。

 

セントラルに戻ったエドたちは、リンと共同しホムンクルスを捕まえる計画を立てる。スカーを誘き出して戦うことでホムンクルスを誘き出す計画だった。そしてエドたちはスカーと、リンたちはエンヴィらと対峙する。リンたちがエンヴィの仲間のグラトニーと戦っているところへアメトリスの大総統キング・ブラッドレイが現れ、リンの仲間のランファンは腕を切り落としてリンと共にその場を脱出する。そしてグラトニーの捕獲に成功する。

 

賢者の石を手に入れようとするリンは隣国シンの王子だった。一方、スカーこそがウィンリィの両親を殺した男だということがウィンリィが知ることになる。物語はリンたち、エドたち、スカーの三つ巴のストーリーにキング・ブラッドレイの陰謀などが絡みあって、次第にその姿が見えてくる展開となる。

 

終盤、拘束を解いたグラトニーが現れ、ウィンリィを狙ってきたので、自分の腕を手当してくれたウィンリィを守るべくスカーが助け、エドたちを外へ逃す。そこへグラトニーを追ってきたリンが現れ、さらにエンヴィも加わって混戦となってしまいます。グラトニーはリンのみを狙って飲み込み攻撃をしますが、エドとエンヴィも飲み込んでしまいます。グラトニーのお腹の中でエド、エンヴィ、リンらが脱出を模索しようとするが、エンヴィはここは真理の扉であり、逃げることはできない。そしてエンヴィが巨大な化け物に変身し、エドたちと対峙して映画は終わる。

 

前後編にしたことで落ち着いて演出ができたのか、さらに脚本も丁寧に書けたのか、全体で非常に厚みのある仕上がりになっています。豪華キャストを揃えたなりの仕上がりになっているのが良かった。後編が楽しみです。

 

「大河への道」

安っぽい長時間ドラマレベルの作品で、脚本が映画の脚本になっていないし、一部の芸達者とそれ以外を無難に使いこなしただけの演出になんの工夫もない映画でした。監督は中西健二

 

香取町の職員池本は、今日も住民に寄り添っている場面から映画は始まる。香取町の町おこしのレクチャーをする小林が、ありきたりのイベントを提案する中、池本と部下の木下は大河ドラマを撮ったらどうかと提案する。そしてその題材に香取町出身の伊能忠敬を取り上げるのが良いと提案する。最初は話半分だったが千葉県の知事が前向きになり、台本はここ二十年ほど新作を書いていないがかつて有名だった加藤を指名して来る。

 

池本は加藤のところを訪ねるが最初は受けてもらえなかったが、伊能忠敬の記念館で地図を見た加藤はいきなり書く気になり、準備を始める。この展開が実に適当で唐突。そして、池本、木下を交えて加藤と三人で打ち合わせることになるが、そこで加藤は伊能忠敬は日本地図を完成する前に死んでいたという史実を告げる。これもまた地元の職員でもある池本にその知識もない適当さが実に酷い。ここから物語は江戸時代の伊能忠敬が亡くなった日の場面となり、地図編纂の仕事をしていたメンバーらが、後二年余りで完成するから、死んだことを伏せようということになる。

 

物語の中心は、彼らがいかにして誤魔化していくかというコメディ仕立てで流れるはずなのだが、全然テンポに乗ってこない上に、現代と江戸時代の演じる役者を同じにしているにも関わらず、なんの脈絡もない適当な配役で面白みもないという流れが続く。クライマックスの将軍が感心して、編纂チームの担当の高橋を労う感動の場面だけが浮いている流れで終わっていく。そして、現代に戻り、江戸時代の役者との奇妙な重複も笑いにするはずがうまく組み立てられていない。こうして映画は終わる。

 

どうにもこうにも、ここまで適当な脚本で映画を作られると呆れるとしか言いようがないし、手抜き低予算丸出しの仕上がりはさすがに参ってしまいました。