くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「帰らない日曜日」「犬王」「青い山 本当らしくない本当の話」

「帰らない日曜日」

良質のとってもいい映画でした。とにかく映像が美しいし、現代と過去を細かいフラッシュバックを繰り返して重ねながら描いていく凝った編集ですが、決して混乱しないほどに綺麗に整理されている。おそらくカメラアングルがうまいのでしょう、誰が誰かはちゃんと判別できるのは見事です。愛に生きた一人の女性の半生という綺麗なラブストーリーですが、気持ちよかったです。監督はエバ・ユッソン。

 

疾走する馬のシーンとそれを見つめる男性のカット、三つの足にナレーションが流れて四本目を伏せたままタイトルから本編へ。とにかくスローモーションを多用した映像が美しいオープニングです。時は1924年の母の日、孤児院育ちのメイドのジェーンがこの日も勤め先のニヴン家で仕事をしている。主人のゴドフリーが、アプリィ家の家族と川辺で遊ぶと言い、ジェーンに、今日は一日自由にして良いと告げる。

 

そこへ電話がかかり、ジェーンが出ると、恋人のポールからだった。ポールはアプリィ家の息子だったが、ジェーンと恋仲で、お互いの暗号のような言葉で会う約束をしてくる。ポールには幼馴染のエマとの結婚が決まっていたが、実はエマはゴドフリーの息子ジェームズとかつて恋仲だった。ニヴン家の息子たちは皆戦死していたのだ。

 

ゴドフリーたちが出て行って、ジェーンは自転車に乗ってポールが待つアプリィ家へ向かう。ポールが出迎え、ジェーンとポールは愛の営みを始める。一方、エマは持ち前の性格から猛スピードで車を走らせていた。そんな場面をジェーンという女性が小説に書いている。傍には黒人で恋人のドナルドがいる。

 

映画は、それぞれのジェーンの恋人との出会いから現代に至るさまざまを細かくフラッシュバックさせながら、1924年のジェーンとポール、小説を書いているジェーンとドナルドの物語を何度も何度も繰り返し描いていく。ちょっと凝りすぎている気もするが、映像が詩的で美しく、カメラが上手いのか、全然混乱せずに物語が見える。途中までは、小説家ジェーンが、架空の物語を書いているかにおもえてくる。

 

ジェーンとポールが営みを終え、ポールは家族の待つ川辺へ車でさる。四時までは誰も戻らないからゆっくりしていれば良いという言葉で、ジェーンは一糸纏わないままで屋敷の中を散歩する。元々本が好きで、書斎に入って本を物色したり、調理場で食事をしたりする。これまでのポールとの思い出が蘇る。一方小説家のジェーンはそんな姿を文書にしている。ドナルドとの出会いから現代までの流れも繰り返される。

 

ドナルドはジェーンにプロポーズし、二人は幸せになるようだったが、ドナルドに脳腫瘍が見つかり、余命わずかという事が明らかになる。ジェーンは、これまで、三度小説家になる決心をした時がありと話す。最初は生まれた時、二度目はタイプライターをもらった時だという。

 

一方、アプリィ家を散歩していたジェーンは、電話の音に驚く。それは、なかなかこないとエマが自宅にかけたものだった。二時半になっているのを見てジェーンは服を着て、自転車でニヴン家に戻って来るが、ゴドフリーが車で戻っていた。そして、ポールが事故で亡くなったことを知る。

 

ゴドフリーは、アプリィ家のメイドに先に知らせたいからとジェーンを車に乗せ、アプリィ家に向かう。さっきまでいた屋敷の前で戸惑うジェーンの姿が実に切ない。やがて、ニヴン家に戻ったジェーンは、ポールとの交渉の後を自分の体に確認し泣く。ゴドフリーに、新たに書店に勤めることにしたから暇が欲しいと言う。小説家のジェーンはドナルドの枕元で、かつてのポールとの思い出を思い出していた。

 

カットが変わり、年老いたジェーンの姿。玄関でベルがなり出てみると大勢のマスコミが文学賞の記事を書こうと集まっていた。ジェーンは、いまさらとサラッと受け応えて見えに入る。そして、馬の足の四本目は私のことだと言い、小説家になる決心をした三度目はポールとの別れだとつぶやく。場面は俯瞰で捉えるポールの車の事故場面が映る。こうして映画は終わっていく。

 

とっても上品で、美しい映画で、物語が一編の詩のように透き通っています。中盤のジェーンの全裸でのシーンがとっても瑞々しい映像として作品を引き締めているし、アプリィ家とニヴン家のさりげない悲しみが映画全体に染み渡っていく演出も素敵です。とっても優しくて気品のある作品でした。

 

「犬王」

期待していたのですが、なんともオリジナリティのない絵とヘタクソな声優、リズム感のないストーリー展開とスケールの小さい映像にまいってしまいました。どこかで見たような画面と動きばかりが目立って、斬新さがないのは流石に残念。監督は湯浅政明

 

現代のシーンの後、時代は遥か昔、平家の滅んだ壇ノ浦の漁村に三種の神器を求めて将軍の手下がやって来るところから物語は始まる。この村の漁師の息子友魚は、父と共に、三種の神器を求めて将軍の手下と海に出る。そして父は草薙の剣を掘り出すが、船の上で鞘を抜くと、一瞬で父は死んでしまい、友魚は盲目になってしまう。

 

友魚は琵琶を弾くことを覚え、師匠の覚一について諸国を巡り、やがて京へやって来る。一方、お腹の中にいるときに父の芸への野心から魔物に取り憑かれた赤ん坊は見るも不気味な容貌となって生まれ、犬王と名乗って京の街中を暴れていたが、ある狂言の芸を身につけるに従って、その姿が少しずつ普通に変化して行った。

 

そんな犬王は友魚と出会い、犬王に取り憑いた平家の怨霊を歌うことで呪いを解き始める。しかし一方で、友魚の弾く語りは都の評判となり友魚は友愛と名を変え、みるみる庶民を虜にしていく。そしてとうとう将軍義満の前で舞うこととなり、そこで最後に面も取れた犬王は晴れて人間の姿になるが、友魚が弾く歌は将軍が決めた平家の物語と異なるということで禁じられる。

 

義満の命令を聞かなかった友愛は斬首され、犬王は巧みに将軍に取り入る。そして現代、怨霊になった友愛の前に犬王が現れ、再び舞って映画は終わる。

 

なんともコメントできない出来の悪いアニメーションだった。

 

「青い山 本当らしくない本当の話」

ドタバタの風刺劇、登場人物の名前も特に必要なく、物語もあるようで無いという展開が何度も何度も繰り返されて、最後は崩壊して、エンディングの面白さを楽しむ作品でした。歴史的な名作だと言いますが、さすがにどこをどう見るのかはわからなかった。でも面白かった。監督はエルダル・シェンゲラーヤ。

 

古びた役所に、ヴェソという一人のベテラン職員がやってくるところから映画が始まる。老朽化している建物なのか、背後のグリーンランドの絵が落ちそうだと撤去を申出るが書類がどうのこうのと前に進まず、天井はヒビが入っている。ソソという男が「青い山、天山」という戯曲か何かが完成したからと届けにくるが次々とたらい回しになる。皆忙しくて読む暇もなく、コピーをあちこちに届けるが誰も暇がない。

 

給与担当だろうか老婦人は、床が揺れるという。所長に会いに一人の男がやって来るが、どうやら建物の不具合を調べにきたようである。外ではバイクサッカーのようなものが流行っている。市電が行き来し、物静かな曲が流れる。ソソがあちこちにコピーを届けるが所長は出入りが激しく、銀行に忘れてきたという。そんなやりとりが延々と繰り返され、ようやく委員会が開かれるが誰も中身を読んでいない。突然、壁にかけてあったグリーンランドの絵がヴェソの頭に落ちて来る。続いて壁が剥がれ始め、皆は避難する。諦めたソソは街を歩いていると、新しい赴任先に行ったヴェソが、また何か喚いていて映画は終わっていく。

 

とにかく風刺劇である。ドタバタドタバタと繰り返すリズムだけを楽しむ作品で、全体はよくまとまっているようにも見える。面白いといえば面白いし、室内から一歩も出ないドラマ作りの楽しさもある。ソ連崩壊を予見した作品らしく、評価する人は評価する映画なのだろうと思う。