くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「母性」「グリーン・ナイト」

「母性」

これはなかなかの映画だった。いや、ある意味傑作かもしれない。まるで「白雪姫」や「シンデレラ」のようなお伽話の世界観で描いていく、女性の母性のついての不可思議な寓話。ほとんど人間的な感情が存在しないかで展開する本編に、さすが湊かなえと思ってしまうが、娘の自殺未遂から、最後の最後、一瞬の人間味が溢れる場面が見える演出が見事。戸田恵梨香高畑淳子の真骨頂を久しぶりに見た気がします。趣味の悪い色彩画面をわざと作り出し、女優に徹底的に芸達者を揃え、男優に存在感のみの個性派を配置した配役も絶品、これが映画作りです。

 

俯瞰で捉える田園風景でしょうか、カメラがある邸宅の庭に寄っていくと一人の女子高生が首を吊っている。次の瞬間、木から落ちる。カットが変わると、とある職員室、女子高生の自殺か他殺かを話す教員たち。じっと聞く一人の教員清佳。そして物語は時を遡る。清佳の母ルミ子は、最愛の母と幸せな日々を暮らしていた。というか、母に愛されるため、母に喜んでもらうために必死で毎日を生きるルミ子の物語から本編がはじまる。ちょっと異常な導入部。

 

地元で油絵教室に行っていて、薔薇の絵を描いたルミ子は母に褒められ大喜びするが、その隣に飾られていた別の薔薇の絵に母が惹かれたため、ルミ子はその絵の作者田村に頼んで絵を譲ってもらう。しかし、その薔薇の絵はルミ子は嫌いだった。やがて、届いた絵を大喜びする母の姿に満足するルミ子だが、まもなくして田村と結婚する。

 

結婚後もルミ子は母に依存するが、夫はただ存在するだけという描き方で、その異常さを淡々と描く様が、まるで非現実のお伽話世界に見える。やがてルミ子には娘が生まれる。ルミ子は娘にも祖母に喜ばれるように行動するように、半ば脅すように接する。そんなルミ子の娘に田村の母も大喜びする。

 

そんな時、ルミ子の家に母と娘と三人でいる時に台風が襲いかかる。夫の田村は留守で、三人で心細い夜を迎えるが、ルミ子の娘は、ルミ子の母と一緒に寝たいといい、その希望を不本意ながらルミ子は叶えてやる。しかし、倒木が母と娘の寝室に倒れ、その時ルミ子の母とルミ子の娘が箪笥らしきものの下敷きになる。必死で助けようと手を伸ばすルミ子だが、母は、ルミ子の娘を守るようにと必死でルミ子を説得、一方背後は蝋燭が倒れて炎が広がり始める。

 

ルミ子は母の方を助けたかったが、母に説得され、娘となんとか脱出するが、家は焼け落ちてしまう。ルミ子は夫田村の実家に離れをたててもらって暮らす事になるが、義母はルミ子に厳しく、何かにつけ嫌味を言ってルミ子を責めててる。ここでも、夫の存在は全く表に出てこない。そんな母の姿をじっと見つめるルミ子の娘、すでに十二年が経ち女子高生になっていた。その家にはもう一人りっちゃんと呼ばれる娘も同居していたが、彼女は仕事をしていたので、実質家事はルミ子が担うことになる。

 

義母の執拗ないじめに近い言動に、とうとうルミ子の娘は切れて意見するが、ルミ子はそんな娘を逆に戒める。そんな頃、りっちゃんが仕事を辞め、恋人ができて家を出ていこうとする。いかにも男に騙されている感の展開であるがりっちゃんは出て行ってしまう。それさえもちゃんと見張っていなかったとルミ子の娘を責める義母。ある学校の帰り、ルミ子の娘は、いつもサービス残業だと帰りが遅い父の姿を見かける。後をつけると、なんと祖母の実家に入って行った。ルミ子の娘が中に入ると、そこには、父の学生時代からの友人でルミ子の親友でもあるひとみがいた。問い詰める娘は、開き直る父の姿にショックを受けて飛び出してしまう。

 

帰りの遅い娘を出迎えたルミ子にルミ子の娘は父の真相を話すが、逆に戒められ、祖母が自分を助けるために自殺した事を知ってショックを受けていたルミ子の娘は自殺未遂をする。駆けつけた義母は必死で救急車を呼べと叫ぶ。この一瞬の高畑淳子の豹変した演技が見事。病院に搬送された娘に手を握るルミ子の姿がった。ルミ子は、懺悔の部屋で、娘が1日も早く目が覚めてほしいと祈ったと呟く、そして「私が悪かった」と呟く。この時、ルミ子に娘の名前が清佳だとわかる。

 

カットが変わり、居酒屋で同僚と酒を飲む清佳。同僚と別れて一人残った居酒屋、そこはりっちゃんが恋人と営む店だった。りっちゃんはてっきり男に騙されて出て行ったのだと思っていたが違っていた。りっちゃんは、清佳が妊娠しているのを見抜く。

 

帰り道、清佳は母に妊娠した旨電話をする。ルミ子はすっかり床についてボケてしまった義母の介抱をしていた。義母は息子のこともわからず、ルミ子に礼を言いながら世話になっている。こうして映画は終わっていく。

 

母性が生まれながらに持っている物ではないという居酒屋での清佳のセリフが映画のテーマを明確にし、ここまでのお伽噺のような展開を、一種の寓話の中で締めくくる。女性が持つことになる母性というものの姿を、時にフィクションの如く、時に人間味あふれる演出で見せてくれる映画で、一見、リアリティのない、さめざめとしたクールなイメージの映画なのですが、ところどころに一瞬見せる人間味が光る展開は見事です。役者さんたちの熱演も相まっていい映画に仕上がっていたと思います。

 

「グリーン・ナイト」

シュールな映像で綴るダークファンタジーという雰囲気の作品で、神話の剣と魔法の世界観のようでいて、どこか不可思議な伝奇物語のような展開が、なんとも不思議な世界を見せてくれる作品。映像が詩的なのももちろんですが、お話がまるで古の詩篇の如く展開するノスタルジックさも楽しめる。ちょっと凝りすぎた感もしないわけではないのですが面白かった。監督はデビッド・ロウリー。

 

一人の王が、天井に見える星空を見上げ、突然炎に包まれる。そして古の物語として語り始められて映画は幕を開ける。時はアーサー王の時代、この日はクリスマス、王の甥であるガウェインが売春宿で眠っていると恋人のエセルが水を被せ、二人が抱き合って物語が始まる。ガウェインはまだ正式な騎士になっていない。一年前のこの日、ガウェインはアーサー王に呼ばれ円卓の騎士の前に呼ばれる。王は、自分たちと同列に加わるべきなのだが、まだ資格が揃っていないと呟く。そこへ緑の騎士が現れ、自分と一騎打ちをしてみよと王に迫る。自分の首を落とせればこの斧を差し上げて、その後、一年後もう一度自分の前に現れ、首を切り落とされるゲームをしようというのだ。

 

ゲームだと思った王は、首を切り落とせば緑の騎士は死ぬだろうと考える。そして、誰も名乗りをあげなかったが、ガウェインが名乗り出る。ところが緑の騎士はすんなりと斧を渡し、自らの首を差し出す。ガウェインは、王の剣を借りて緑の騎士の首を落とすが、緑の騎士はその首を持って、一年後私からの一撃を受けるようにと、再会を言い渡してその場をさる。そして一年が経つ。ガウェインは、緑の騎士が待つ緑の礼拝堂を目指して旅を始める。

 

途中、一人の男に道を尋ね、その通り森を進むと。何やらさっきの男の仲間らしい輩に襲われて身ぐるみ剥がれて、縛られた挙句その場にうち捨てられる。カメラは一回転して白骨化したガウェインを捉えた後、再度ガウェインを捉え、剣で縄を解いたガウェインは、必死で故郷に帰るべく道を探すが、途中、疲れて一件の小屋に身を隠す。そこにいたのは、ならずものに首を切り落とされたウィニフレッドという女だった。彼女は湖に捨てられた首をとってきてほしいとガウェインに頼み、ガウェインは、白骨化した首を取って戻ってくる。ウィニフレッドは、これから可能な限りお前を守ると言い残す。

 

いつのまにか一匹の狐がガウェインのそばを行くようになる。そして、裸の巨人が進むところに遭遇したガウェインは、巨人に乗せて欲しいと頼もうとするが、狐が近づかないようにと睨む。しばらく行くと、城が見えてきて、そこになんとか辿り着いたガウェインは、目的の緑の礼拝堂まであと少しだから休んで行けとその城の主人に提案される。

 

部屋で眠っているガウェインのそばにこの城の主人の妻が迫ってくるが、ガウェインは、母から巻いてもらっていた身を守る緑の帯に助けられる。ガウェインは先を急ぎ、ようやく緑の礼拝堂に辿り着く。そこには緑の騎士が眠るように待っていた。クリスマスとなり、動き始めた緑の騎士はガウェインの首を切り落とそうと斧を振り上げるが、ガウェインは、ちょっと待って欲しいと逃げ帰る。

 

戻ったガウェインは、エセルとの間に子供ができる。しかしその子供は、金で引き取られてしまう。偽物の勇者となったガウェインには野望が芽生え、別の妃を娶って、やがてアーサー王の死後王位につく。しかし人民は彼についてこず、やがて国内は内乱となり、ガウェインの城にも暴徒が迫ってくる。ガウェインは、これまで自分を守ってくれた緑の帯を外すと、首がずるりと落ちる。

 

礼拝堂、緑の騎士が斧を降りおろそうとしている。逃げたガウェインの姿は幻だった。ガウェインは、緑の紐を外し、潔く緑の騎士の前に首を差し出す。緑の騎士は、ガウェインを褒める。こうして映画は終わる。

 

ファンタジックな映像だが、全体に暗いのがちょっと残念。物語は、御伽噺の神話風で面白いのですが、ちょっと凝りすぎた感もないわけではなく、脚本が悪いのかわかりにくい展開も見受けられます。でも、映画全体としてはクオリティもそこそこで、見る価値のある1本だったと思います。