くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「パンズ・ラビリンス」「風の歌を聴け」

パンズ・ラビリンス

国内最終上映ということで、再度見に行った。流麗なカメラワークと目眩くような陶酔感、フランコ独裁政権下という暗黒のスペインを舞台にした厚みのある物語設定で描かれるダークファンタジーの傑作、公開当時の圧倒的な印象を再度確認できました。素晴らしい映画ですね。監督はギレルモ・デル・トロ

 

地底王国の王女モアナは地上世界が見たくて勝手に地上へ上がる。ところが地上に出た途端に太陽の光が眩しくて全ての記憶を無くしてしまい、普通の人間になってしまう。悲しんだ王と王妃は世界の至る所に地底王国への入り口を作って王女が戻るのを待つ。このおとぎ話から映画は幕を開ける。

 

スペインのビダル大尉と再婚したカルメンは娘のオフェリアと共に大尉の赴任地のジャングル奥地へ向かっていた。妊娠しているカルメンは途中気分を悪くし、休憩している時に、オフェリアは森でバッタのような姿の妖精と出会う。大尉の赴任地へついたカルメンたちは、女中長のメルセデスに迎えられる。いかにも冷淡でサイコな中尉の姿に、オフェリアは嫌悪感を抱くが、仕立て屋だった父が亡くなり、気弱になった母にとっては唯一の頼れる人物だった。しかし中尉にとってはカルメンのお腹の息子だけが目当てだった。

 

時は1944年、フランコ独裁政権下で、国内には反乱分子があちこちでテロ行為をしていた。ビダル大尉らもそういう反乱分子撲滅が仕事だった。夜、睡眠薬で眠る母の傍で眠ろうとしていたオフェリアは、妖精が部屋に入ってきたことに気がつく。そして魔法の本の地図に導かれるままに森の奥の迷宮へと向かう。そこでオフェリアは、妖精パンと出会う。パンが言うには、オフェリアは地底王国の王女モアナであること、その証拠に肩に印があると告げる。そして地底王国に戻るために三つの試練をくぐらなければいけないと言う。その第一は、森の古木の根元に眠る巨大蛙の腹の中にある黄金の鍵を取り出すことだった。そのために蛙に石を食わせるように指示する。

 

ビダル大尉が来客を迎えるパーティの夜、オフェリアは、部屋を抜け出し森の古木に向かう。そこで蛙に石を食べさせて黄金の鍵を手にしたオフェリアは部屋に戻るが、身体中泥だらけになっていて、母に叱責される。一方、女中のメルセデスは反乱分子の一員で森に潜む反乱軍との連絡を取る役目だった。ビダル大尉は、森で起こるテロ行為を撲滅するために、反乱軍のメンバーを捕獲して拷問する。

 

一方カルメンの容態が悪くなる。パンがオフェリアの前に現れ、人間になりたかった魔法に木の根をミルクに浸して、血の滴を加え、カルメンのベッドの下に置くように指示する。オフェリアが言われた通りにすると母の容態はみるみる回復する。

 

オフェリアは、妖精に示されるまま第二の試練に立ち向かおうとしていた。魔法のチョークで出口を開き、地下奥にあるご馳走の並ぶ部屋からナイフを手にして戻る。ただし、ご馳走に目をくれてはいけないのと、居眠りしているのは人間ではないから注意すること、砂時計が落ちるまでに部屋に戻らないといけないと言う掟を説明される。

 

オフェリアは魔法のチョークで地下へ降りて、大食堂に辿り着き、目のない門番の前のナイフを手にして戻ろうとするが、お腹が空いていたオフェリアは、ついブドウの実を口にしてしまう。それによって、目のない番人の両手に目玉が生まれ、導いた妖精を食べた上、オフェリアに迫ってくる。オフェリアは、砂時計が落ちる前に元に戻れず、慌てて魔法のチョークで出口を作って間一髪で脱出する。しかし掟を破ったオフェリアをパンが許さず、姿を消してしまう。そんな頃、カルメンは男の子を出産し、死んでしまう。

 

メルセデスは、この家を出て反乱軍に行くとオフェリアに別れを言いにくるがオフェリアもついていくと言う。しかし身近にスパイがいると聞き出したビダル大尉はメルセデスに迫り、彼女を縛り上げて拷問しようとする。ところが、隠し持っていたナイフで反撃され重傷を負う。一方、部屋に監禁されたオフェリアの前にパンが現れ、最後のチャンスを与えると言う。弟を連れて森の迷宮へ行くと言う試練である。

 

オフェリアは弟連れ出し、ビダル大尉には睡眠薬を飲ませ、家を脱出森に向かう。迷宮に着いたオフェリアはパンから弟を差し出すように言われる。聖なる血液が必要なんだとナイフを取り出すパンに、オフェリアは抵抗する。そこへ追ってきたビダル大尉がオフェリアを撃つ。メルセデスら反乱軍が到着。メルセデスがオフェリアに縋り付く頃にはオフェリアはすでに意識はなかった。抵抗しても無駄と判断したビダル大尉は、息子をメルセデスに引き渡し、自分が死んだ時間と名前を伝えて欲しいと言う。それはビダル大尉の父がビダル大尉にしたことだった。しかし、メルセデスは拒否し、ビダル大尉を殺す。

 

オフェリアの血は、地下王国への入り口に滴っている。オフェリアが気がつくと、そこは黄金の地下宮殿だった。オフェリアは怪我もなく、目の前には王と王妃がいた。オフェリア=モアナ王女は地下に戻れたのだ。最後の試練こそ、弟の血ではなくオフェリアの血だったとパンが話す。地上ではメルセデスの前で静かにオフェリアの命は消えていた。残された弟を抱いて反乱軍が佇むカットで映画は終わる。

 

まさに傑作というに相応しいダークファンタジーでした。

 

風の歌を聴け

ロードショー以来の再見。初めて見た時もシュールな映像だと思っていたが、今見直すと、大森一樹監督の個性が前面に出たちょっとした作品でした。会話劇での展開と字幕やテロップを多用し、空間と時間を交錯させながら描くひとときの物語は、終わってみるとどこか切ない感情を呼び起こしてしまいます。見直して良かった。

 

一人の男が東京から神戸へドリーム号と言う深夜バスのチケットを買いに来るところから映画は始まる。受付の男が怪訝そうな表情をして、映画は十年前、神戸についた主人公の姿へ飛ぶ。行きつけのバーに行き、東京へ行ってからずっと待っていると言う、鼠という友人と再会し、女の事や色々を話しだす。

 

鼠と主人公は車で夜の街を走り、横転する事故を起こすが怪我一つなかった。二人は運が強いからとコンビを組み始める。かつて、このバーで酔い潰れて介抱した一人の女を家まで送っていった主人公は、その女から、酔っ払った女性と寝るなんて最低だと言われる。そんなことはなかったと言い訳し、彼女が勤めるレコードショップに行く主人公。彼は過去に三人の女と寝たことがあり、三人目は自殺したのだと言う。

 

鼠は8ミリ映画を作っている。鼠の家は金持ちなのだ。バーで知り合った女性には小指がなく、彼女は双子なのだがそれが目印なのだと言う。その秋、鼠が作った穴掘りの映画が主人公に送られてくる。金持ちを嫌い父を嫌った鼠には行く場所がないのだと言う。

 

十年後、冒頭のシーン、ドリーム号は大阪までしかいかなくなったのだと言う受付の男。かつてのバーに立ち寄った主人公だが、店を閉めるのだと言う。帰り際カウンターを見ると枯葉が舞っていて、蜘蛛の巣が絡んでいる。こうして映画は終わる。

 

最後まで見ると、不思議な感慨に耽ってしまう。これが大森一樹の映画作りの才能なのだろう。思いのほかいい映画だったことに気付かされました。