くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「無法松の一生」(4Kデジタル修復版阪妻版)「いつかの君にもわかること」「オマージュ」

無法松の一生」(阪東妻三郎版)

何回見たかわからない大好きな映画、さすがにこれだけの名作になると技術とか演出力とか言う理屈では書けない迫力があります。今回は、フィルム修復の過程と当時の検閲によるカットの経緯などを説明した短編映像がセットされていたので余計に感動してしまいました。監督は稲垣浩

 

ランプが天井に吊るされる場面から映画が始まる。一人の警官がやってきて、松五郎が帰ってきていると聞いたと車屋の待合に来る。一ヶ月前に大喧嘩して、その相手が警察の師範だと言うことで噂になっているのだと言う。二階には、頭を打ちのめされた暴れ者の松五郎がいた。

 

ある日、いつものように車を引いていた松五郎は、一人の少年が竹馬で転けて泣いている現場に出くわす。足を怪我していた少年を家に連れて帰ってやるが、その少年は軍人吉岡家の一人息子だった。気風のいい松五郎をすっかり気に入った吉岡の主人は松五郎を家に呼んで酒を酌み交わす。ところがその夜、主人は急病で他界し、母良子と息子だけになってしまう。男手がいなくなり心細い良子は松五郎を頼るようになる。松五郎は何かにつけてボンボンと呼びながら息子の面倒を見るようになる。

 

時が流れ、息子は中学、高校、大学と進学していく。それにつれ、松五郎もよる年波になってくる。やがて松五郎は亡くなるが、良子からもらった一封の金は全て残され、息子の名前の預金通帳にはなけなしに貯めた金が預けられていた。こうして映画は終わる。

 

祇園太鼓を打つ名シーンのみならず、カットされた部分を車輪のシーンで代用するクライマックス、などなど、隅々まで映画としての魅力に溢れています。しかも、登場人物それぞれがとっても心温まる雰囲気を備えていて、のどかな古き良き日本の風景と相まって終始胸が熱くなってしまいました。やはり名作です。

 

「いつかの君にもわかること」

良いお話かもしれないのですが、なんだかスッキリと受け入れられない映画だった。いろんな養親の存在があるにはわかるのですが、そこに、親としての本当に必要なものは何かというのを問いかけてきている気がしますが、主人公たちの実話ということもあって、不必要な偏見が見え隠れしているように感じてしまいました。でも、赤い蝋燭、道路の白線、赤い風船などなどさまざまに張り巡らされたさりげない伏線、窓拭きという仕事が描写する風景など、作りは素敵でした。監督はウベルト・パゾリーニ

 

窓につけられたクリーナーが、窓拭きで拭われるシーンから映画が始まる。とっても美しいオープニングなのだが、窓が透明になることが主人公ジョンの心の迷いを表現しているように感じてしまう。しかも、窓から見てしまう幸せな家庭の姿に、主人公ジョンのの悲劇を垣間見ると切ないです。

 

ジョンは幼い少年マイケルと二人暮らしだが、ジョンは難病で、間も無く命がなくなる。母は幼い頃に行方がわからなくなっている。ジョンは自分の死後、一人残るマイケルのために養親を探す手続きを進めていた。映画は、ジョンとマイケルが、紹介された様々な養親の姿を通じて、子どもの親となることに真に必要なもの、命についてなどを問いかけていくと言う流れになる。

 

幼くして妊娠した過去を持つ女は、血のつながらない子供を育てることに反対する夫と別れて自分の考え方で養親になろうとしている。自ら子供を産むことには拒否反応がありが子供の親になることには前向きなふりをしている夫婦、などなど様々な養親にとまどうジョン。次第に病状は悪化し、高所の窓の仕事が難しくなり、さらに白線の上を歩くこともままならなくなる。一方、マイケルは、死というもの、養子というものの意味を薄々感じ始め、次第に父親の苦悩を自らの心のストレスに取り込み始める。そんな息子に戸惑うジョン。

 

限界を感じたジョンは同業者に仕事を譲り、意を決して、想い出BOXを作成し、マイケルの人生の節目で読む手紙をしたためる。そしてマイケルをある女性の元に連れていく。それはかつてジョンの家を訪れたシングルの女性だった。意を決して父を見上げるマイケルのショットでストップモーション、こうして映画は終わる。

 

シンプルな物語ですが、実話を元にしているということで、出会う様々な養親の描き方に何処か毒を感じてしまいました。細かい伏線や描写が実にいい空気感を醸し出しているはずなのですが、いかんせん全体のテンポが淡々としすぎて弱い。いい映画ながらラストのジョンの決心した動機が今ひとつ迫って来なかったように思えました。

 

 

「オマージュ」

良い映画たらんとしているのですが、何処か韓国映画の貧しさが見え隠れし、細かいエピソードがストーリー全体に行かせていなくて、無駄なシーンになっているのが残念。もう少し的を絞って踏み込んだ脚本にしあがてほしかった気もします。でもラストのスクリーンに映るエンドクレジットは素敵でした。監督はシン・スウォン。

 

小さな映画会社で映画を作っているジワンですが、今一つヒットに恵まれず、悶々としていた。すでに監督になって三年になり、夫とも疎遠になり、息子は好き放題の毎日を送っている。この日も、シナリオを書いていたら息子のボラムが邪魔をしに来る。夜は夫が酔っ払って横柄な物言いをしてくる。辟易とした毎日のジワンにある仕事が来る。映画の資料館で、当時珍しかった女性監督の作品を上映したいが、途中のセリフが入っていないので、埋めて欲しいと言うものだった。

 

ジワンは残されたフィルム「女判事」を見て、たまたま手にした写真から、当時撮影に関わっていた人物を見つけ、主演女優の娘にも会う。そして、その映画を編集した女性に行き渡る。彼女は、「女判事」を上映した劇場を紹介し、ジワンはそこへ行ってみるが、フィルムは残されていなかった。かつての館主は帽子を作ったりしていたからと古びた帽子をもらって帰る。

 

ストレスが溜まる一方のジワンは、かねてから患っていた子宮筋腫が悪化して出血、入院、手術となってしまう。回復して自宅に戻ったジワンは、ボラムが面白半分にジワンがもらってきた帽子で遊んでいて、帽子の帯にしているフィルムを見つける。そのフィルムは「女判事」の断片だった。

 

ジワンは劇場へ行き、残りの帽子からフィルムを全て取り、かつての編集者の家に行ってつなぐ。全てはつなげなかったが、ある程度完成することができた。一仕事終えて家に戻ると、ボラムは、自分の目標を見つけたからと家を出ていた。夫は優しくなっていた。「女判事」の封切館に取り壊しの業者の影が写り、スクリーンにエンドクレジットが流れて映画は終わる。

 

淡々と抑揚なく進む作品で、今一つ迫って来るものがないのが残念ですが、ノスタルジックな良い映画だった。