くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「Winny 」「The Son/息子」

Winny

映画自体はそれほど優れたものではないし、脇役を見ればその程度かという作りになっているのですが、最初から最後まで興味深くかつ面白く見ることができました。Winny開発という点を通じての現代の私たちがすべき事を突きつけられた気がします。監督は松本勇作。

 

2002年、部屋に山積みされた書籍やパソコンの中で、一人の男金子勇2ちゃんねるファイル共有ソフトWinnyがアップする。インターネットの将来を見据えただけの投稿だったが、瞬く間にシェアされ広がり、悪用した若者たちは映画やゲーム、音楽をアップロードダウンロードをする姿が写される。そんな状況を危惧していた京都府警の北村らのチームは、違法ダウンロードした若者たちを逮捕する。同時に、Winny開発者金子勇の自宅に行き、ファイルの削除とHPの閉鎖を依頼し、その際、参考人として警察署に呼び、申述書を書かせる。

 

そんな頃、裏金作りで捜査費用を捻出していた愛知県警では、古参で正義感の強い仙波が、日常茶飯事になっている不正行為を糾弾していた。

 

しばらくして、金子勇は、著作権侵害幇助という罪で逮捕される。ソフト開発者が万が一逮捕されたら弁護すると豪語していた壇俊光は、金子勇の弁護を引き受ける。物語は壇俊光を中心とした弁護団金子勇らが検察と戦う姿がメインとなり、金子勇の人柄を描写する流れとなる。その一方で仙波の行動にも視点を向け、やがて、仙波の告発がWinnyによって裏づけられるという皮肉なクライマックスへ流れていく。二年後、金子勇は有罪となり、七年後無罪を勝ち取るものの、直後心筋梗塞で亡くなり、その葬儀の場面、続く本人のコメント映像で映画は終わる。その間に、アメリカではYoutubeが世界を席巻していく。

 

やや、朝日新聞社の偏見的なメッセージが見え隠れしないわけではないけれど、金子勇の人物を真摯に描写するのと、技術開発に歪んだ抑圧を加える日本社会を糾弾するという趣旨はしっかりと伝わってきたと思います。個人的には相当に面白かった。

 

「The Son/息子」

「ファーザー」に続く三部作の第二部らしいですが、なんとも辛い映画でした。映像演出はこの監督らしさが出ていたのですが、全体の出来栄えは、よくある展開という感じの作品でした。ラストの処理も先が読めてしまったのと、主人公ピーターの仕事の苦悩やベスの気持ちがほとんど描けていないのが少し残念。とはいっても、ずっしりと迫ってくる重厚感は評価できるかなと思います。監督はフロリアン・ぜレール。

 

弁護士のピーターと妻ベスの家庭、息子のセスが生まれたばかりで、幸せな雰囲気。その夜、突然前妻のケイトが訪ねてくる。高校生でピーターとの間の息子のニコラスが不登校になっているという。しかも、どこか精神的に不安定で、ピーターのもとに行きたいといっているらしい。ピーターは、最近、上院議員のサポートチームに抜擢され、かねてよりの夢が叶おうとしていた。しかし、息子のことで、翌日ケイトの家を訪れ、ニコラスをしばらく引き取ることになる。

 

生まれたばかりのセスの世話で疲れているベスは、心なしかいい気はしなかったものの、誠実にニコラスに接する。しかし、ベスのイヤリングが行方不明になったり、ソファの下にナイフが隠されていたり、洗濯機の裏にピーターが父からもらった猟銃をニコラスが見つけたりと不穏な場面が繰り返される。

 

ニコラスは新しい学校にも慣れて、元に戻ったかと思われたが、実はニコラスは新しい学校にも行ってないことがわかり、ピーターはニコラスを責める。ピーターの父も、仕事中心で家庭を顧みない人だった。アンソニー・ホプキンスが父親役なのに笑ってしまう。ピーターはニコラスとの幼い頃の幸せな日々を回想する。

 

しばらくして、ピーターの職場に連絡が入る。ニコラスが自殺未遂をしたという。ベスが浴室で発見し、一命は取り留めたが、医師はしばらく入院させた方が良いとアドバイスする。ベスはしばらく実家に帰ることになり、ピーターとケイトは、医師の指示通りニコラスとの面会を数日断つ。そして、ようやく短時間の面会を許され、ピーターとケイトはニコラスに会うが、医師の説明では急性うつ病なので、回復まで入院した方がベターだと説明される。ニコラスは必死で帰りたいと訴えるが、ピーターは入院を認める。しかし、帰り際、ピーターは自分の過去を思い返して、ニコラスを引き取ることにして連れ帰る。

 

気持ちが晴れて戻ったニコラスは、シャワーを浴びたいと浴室に去る。ピーターとケイトにとってはかつての幸せな日々が戻ったような思いだったが、突然銃声が聞こえる。

 

四年が経つ。この日、ピーターとベス、セス、は来客を待っている。チャイムの音でピーターが玄関に出ると、明るい表情のニコラスがいた。ガールフレンドのレナもできて、楽しい大学生活だという。ニコラスはピーターに一冊の本を渡す。「死は待てる」という題名で、ニコラスは以前から執筆に興味があったのだと話す。ピーターはニコラスを抱きしめ、ニコラスは、レナを迎えに玄関へ行く。それを見送るピーターにベスが声をかける。ニコラスはピーターの幻覚だった。泣き崩れるピーターに、ベスは、セスや自分がいるからと抱きしめる。こうして映画は終わる。

 

なんとも辛い幕切れながら、伝えたいのは息子の気持ちを汲むことの難しさなのかとも思う。決してピーターは悪い父親ではなかったはずなのに、どこでどう食い違っているのか、その不確かさこそが父と子の心のつながりの難しさなのかも知れない。ただ、ニコラスによって、父ピーターの未来も壊されどこかしらベスとの生活も破壊されそうになるという展開に見えるのはちょっと心苦しいし、ニコラスが悪魔の如く見えてしまう瞬間もある。いや、そこも描こうとしたのかも知れず、そう考えると、なんとも言えない重層的な作品だった。