「聖地には蜘蛛が巣を張る」
恐ろしいほどの傑作だった。いや、人間の視点の恐ろしさに寒気がしてしまう。信念に囚われた一人の男が次第に狂気の化け物に変貌する様のクライマックスの演出に圧倒されてしまった。もちろん、宗教的な背景や、国柄の空気感は身をもって理解できていないかもしれないが、物語の隅々の展開を追っていくだけで、恐怖が胸に迫ってきました。ただ、傑作ではあるけれど素直な娯楽映画とは言い難い作品でした。監督はアリ・アッバシ。
イランの聖地マシュハド、一人の女が化粧をして、寝ている子供にキスをし、夜の街に出ていく。いかにも娼婦然とした彼女は、1人の好色な客を相手にし、まだ何人か相手にしないといけないと、嫌々ながら次の客を物色しようとする。そんな彼女のところに一台のバイクが近づく。そしてバイクに乗り、客の部屋に行こうとするが、嫌な予感がした彼女は帰ると言い出す。しかし客の男は強引に女を連れ込み、首を絞めて殺し、バイクに乗せて遺体を遺棄してしまう。男の指には敬虔な指輪をしているのが映される。
場面が変わるとバスに乗ってテヘランから一人もジャーナリストのラヒミがやってくる。テヘランで働いていたが上司のセクハラに遭い、それを告白してクビになった。彼女は聖地マシュハドで起こっている娼婦殺害事件でスパイダー・キラーと呼ばれている殺人鬼の取材にやってきたのだ。地元の報道機関でシャルフィと会う。犯人は殺害の後、遺体の場所などをシャルフィに連絡してくるのだという。地元では、町の娼婦を殺して浄化してくれていると一部の住民たちは賞賛していた。
ここに、愛する家族と暮らす退役軍人のサイードという男がいた。愛する妻ファテメと息子のアリらと平和に暮らしていたが、最近、サイードの様子がおかしいとファテメも退役軍人仲間のハジも思っていた。サイードは、時に突然我を忘れたように暴力的になることもありファテメは心配していた。実はサイードこそがスパイダー・キラーだった。
夜の街を取材するラヒミはカフェでたまたま一人の娼婦と知り合うが、翌日、その娼婦はサイードに殺されてしまう。警察は世間の賛辞を受けている殺人鬼に本気で捜査をして来ず、警察署長もラヒミに色目さえつかってくる始末だった。たまたま知り合った娼婦が殺されたことで、ラヒミはその娼婦の母に会い、貧しい生活の中、汚い仕事をしていると恥じる母の顔に複雑な表情を読み取る。サイードはこの夜も1人の娼婦を部屋に連れ帰り殺そうとするが、大柄な女で、逆に怪我をさせられてしまう。それでも何とか殺し遺体を遺棄するが、何故か、新聞記事になっていなかった。
ラヒミは、自ら囮となって夜の街に立ち犯人を誘き寄せることにする。彼女をシャリフィがそばで見守っていた。近づいてきたサイードのバイクに乗ったラヒミは、サイードの部屋に連れ込まれるが、シャリフィは、ラヒミを見失ってしまう。ラヒミは、手にしたナイフで応戦しながら、襲ってくりサイードから必死で逃げ、窓から悲鳴をあげ、ドアを飛び出して脱出する。翌日、ラヒミの通報で警察はサイードを逮捕する。
やがて裁判が始まるが、サイードを支持する人たちはサイードの家族にも優しく、裁判所の外でも無罪を訴えていた。そんな世論の中、ラヒミらは、裁判の行方を不安視して見守っていく。サイードにはハジらが近づき、安心するようにと忠告する。そして精神異常ということで切り抜けようとする弁護士の作戦に、サイードは、自分のしたことは神の代弁だと、異常者であることを拒否する。そんな彼に、判決は、鞭打ちと死刑を求刑する。
留置所にハジが検察官を連れてやってきて、死刑執行日に無事逃げられるようにしたからとサイードを安心させる。そして死刑執行の日、サイードは、役人に連れて行かれるが、途中でラヒミたちと会う。鞭打ちが済んでいないというラヒミの非難の言葉で、執行官らは別室にサイードを入れ鞭打ちをするが、それは形だけだった。そして、死刑執行の場所へ連れて行かれたサイードは、そのまま逃がしてくれるものと思われたが、死刑は執行、サイードは死んでしまう。
仕事を終えたラヒミはシャリフィに送られ帰りのバスに乗る。手にはシャリフィが撮ったビデオカメラがあった。ラヒミがそれを再生すると、そこにはサイードの息子アリの映像があった。父のしたことは正しかったから自分が父の後を継いで娼婦を殺すことにしたという。そして妹を使って、どうやって殺すのかを説明していた。映画はここで暗転して終わっていく。
信念に基づいて潔く殺人を繰り返していた前半のサイードの表情が、裁判が進むにつれて、狂気から化け物の殺人鬼に変貌する様が凄まじく恐ろしい。そして、死刑執行時には普通に命乞いする無様さに至っては、寒気がしてしまった。にもかかわらず裁判所の外では、サイードを擁護する人たちが無実を訴えている。上辺しか見ていない世間の目の怖さが二重の恐怖となって映画を締め括る。その圧倒感に打ちひしがれてしまいました。見事です。
「薔薇の名前」
ロードショー以来の再見でしたが、やはり名作ですね。初めて見た時は、入り組んだストーリーと、宗教テーマという難解さで、その良さもサスペンスタッチの展開の面白さも十分把握できていなかったみたいですが、改めて見ると、ここまで描きこむかというほどの重層的な作風に圧倒されます。名作ですね。監督は全盛期のジャン=ジャック・アノー。
修道士のアドソが過去を回想するセリフで映画は幕を開けます。14世紀、若き修道士だったアドソは師であるウィリアムについてとある修道院へやってくる。修道院長から、重要な会議に出席するべく北イタリアの修道院へやってきたのだ。修道院についたウィリアムは早速、最近一人の修道士が亡くなったことを墓にたかるカラスの姿で推理する。院長を問い詰めた矢先、新たな殺人事件が起こる。最初の事件は塔の上からの自殺だと判断したが二人目は血の瓶に逆さに入れられていて他殺だった。死んだ修道士は文書館で挿絵師として働いていたヴェナンツィオだと説明され、ウィリアムは事件の真相に向けて奔走し始めるが、黙示録の終末思想の如く起こる殺人事件に修道士たちは恐怖に慄く。
アドソは、貧民たちが修道院のごみを施しとしてもらっている現場を目撃、さらに、文書館に異常に本が少ないことに不審を感じたウイリアムは文書館の奥に謎があると推理する。そして、暗号が書かれたメモを発見する。それを解読しようとした時、副司書のべレンガーリオが、ヴェナンツィオの机の本を持ち去ってしまう。ベレンガーリオが事件の謎を知っていると考えウィリアムらはベレンガーリオを捜索するが、彼は浴槽で死体となって発見される。
三人の死に文書館奥にある禁書が関係していると突き止めたが、文書館の奥は迷路になっていて、肝心の部屋に入るには暗号の意味を解く必要があった。異端審問官ベルナールがやってくるにあたり、院長はウィリアムに事件の捜査を中止するように言い渡す。ベルナールはウィリアムが若き日に確執のあった男だった。
そんな時、持ち去られた本を見つけた修道士が殺され、犯人としてレミージョが拘束される。さらに、アドソと肉体関係を持った貧民の女が魔女として逮捕され、悪魔の儀式をしていたサルヴァトーレも逮捕される。ウィリアムは犯人は他にいて、殺人はまだ続くと唱えるもベルナールはレミージョたちを火炙りにする判決を下す。折しも教皇の使節団も到着する。
しかし処刑の当日、司書のマラキーアも死んでしまい、ベルナールはウィリアムこそ真犯人だと公言するが、その混乱の中、ウィリアムとアドソは、文書館の中の迷路に入り、暗号を解いて奥に部屋に入る。そこにホルへ長老がいた。ホルへ長老が隠していたのはアリストテレスの喜劇の本で、笑いを禁じたベネディクト会にとっては焚書であった。ウィリアムとアドソはホルへ長老を追いつめるが、ホルへ長老はアドソのランプを振り落とし塔内は火事になる。
何とか脱出したアドソだが、ベルナールらは逃亡しようとしていた。アドソは必死で追うも取り逃す。しかしベルナールの馬車は貧民たちに襲われ崖下に転落する。折しも火刑が行われていたが、貧民の女までは火が回らなかった。ウィリアムは瀕死の中塔から抜け出しアドソと再会する。やがて、ウィリアムとアドソは故郷への道を辿るが、途中、アドソと体を交わした貧民の女が二人を待っていた。アドソは女に視線を送るも、そのままウィリアムの後を追っていく。のちに、アドソはウィリアムと別れるが、その後再会しなかったというアドソのナレーションで映画は終わる。
謎解きの面白さに宗教色が絡んでくるので、ちょっと難解なのですが、しっかり見ると実に見事に描かれている。修道院の建物の姿や内部の迷路の美術が見事で、まさに名作の漫録十分な一本でした。