「青いカフタンの仕立て屋」
泣いた泣いた、めちゃくちゃ良かった。苦手なゲイの映画なのですが、夫婦の愛と恋愛を丁寧に描き、主人公の妻ミナ(女)の存在が映画をどんどん厚みのある仕上がりにしてくれます。病気の設定さえも手を抜かずに描いた描写にたまらなく切なくなってしまいました。良かったです。監督はマリヤム・トゥザニ。
サレの街、民族衣装カフタンの職人ハリムが婚礼衣装として注文のあった青いカフタンを作っている場面、そして彼のもとに一人の青年ユーセフがやってきたところから映画が始まり、ユーセフの腕前をチャックするシーンが流れた後タイトル。手先も器用で誠実なユーセフに丁寧に指導するハリムだが、彼の視線はどこか危ういものがある。
その微妙なハリムの視線のニュアンスを妻のミアは察知している。ハリムはゲイなのだろう。しかし、しっかり者のミナはハリムを支え、ハリムもまたミナを心から信頼して愛している。しかし、どうやらミナは病気らしく、何かにつけ疲れた風を見せる。
ミシンを使わず手作りのこだわるハリムの姿をミナはしっかりした心根で支える様が実にいい。しかし、ミナの体は次第に衰弱してくる。時々倒れるが、それでもしっかりした姿を保つミナ。ハリムは婚礼衣装のブルーのカフタン制作に多忙な日々だった。ユーセフはそんなハリムを支えるが、ミナはついユーセフに嫉妬して、仕事のミスをしたかのようにピンクの生地を隠しユーセフのせいにして責めてしまう。
ある時、ユーセフはハリムへの思いを隠しきれず、愛しているとつぶやいてしまうが、ハリムは、自分の本心を隠して、拒絶したような態度をしてしまう。ショックを受けたユーセフは店を辞めてしまう。
まもなくしてミナはベッドから出られなくなる。店を閉めて彼女の看病に専念する。店が閉まっているのを心配したユーセフがハリムの自宅を訪ねてくる。そして、ハリムに代わって店に出るようになり、ハリムが手がけていた青いカフタンはハリムが自宅で作業するようになる。
ミナはユーセフを含めて一緒に食事するようになり、ユーセフに、自分がピンクの生地を隠したことを謝る。そして、ハリムと一緒に公衆浴場へ行けばいいと促すが、それはハリムとユーセフの仲を認めるということだった。ミアはユーセフに、ハリムと結婚するときに自分がプロポーズしたことを告白、結婚式で青いカフタンを着たかったが、その頃はハリムにその技術はなかったと笑う。
ハリムの母はハリムが生まれる時に亡くなり、ことあるごとに父に責められていたが、ハリムはミアに癒されてきたのだ。ハリムにとって、ミアは心の支えだった。
ある夜、ミアはハリムに着替えを手伝って欲しいという。いつもミアが着替える時はハリムは背を向けていた。その意味がわかる。ミアは乳がんの手術をしていて片方の乳房がなかった。ハリムは優しくその傷跡を愛撫する。翌朝、ミアは息を引き取る。
葬儀の日、真っ白な衣服で清められたミアにハリムは青いカフタンを着せる。それは儀式としての冒涜にあたるのだが、以前、近所のかつて有名なダンサーだった女性が白い衣装で葬儀で贈られるのを嘆いているミアの言葉を思い出したのだ。ハリムとユーセフは青いカフタンを着せられたミアの遺体を担ぎ上げ、墓地へ向かう。途中、新しい時代を担っていく子どもたちの視線や、古い慣習を脱ぎ捨てた人の視線、さらに車が走りすぎるカットで、近代化が進んでくる姿を描写した後、広大に広がる墓地にハリムたちが進むのを俯瞰で捉える。そしてカフェで、ハリムとユーセフが座る場面で映画は終わる。
夜、街で身分証明を警官に求められても毅然とした態度を取り、昔ながらの職人気質の仕事をするハリムのドレスに文句を言う客にもきっぱりとした受け答えをするミア、さらに、流れてくる新しい曲に合わせて踊る姿など、芯のしっかりしたミアの存在がハリムとユーセフの関係を力強くと支えていきます。単純なゲイ映画ではなく、それ以上に至高の愛の姿を夫婦愛、恋愛それぞれを丁寧に描写した脚本と演出が素晴らしい作品でした。
「ビデオドローム」
初公開以来の再見ですが、やはり変態映画でした。グロテスクな映像を巧みな手作り特撮で見せる面白さと、メディアに毒されていく人類のこれからを危惧するメッセージがとにかく怪作の極みで走り抜けていきます。今見ても、どこか先進的な空気感を感じさせるのがは流石に面白い。監督はデヴィッド・クローネンバーグ。
エログロ専門のケーブルテレビシビルTVの経営者マックスが、深夜テレビをチェックしているところから映画は幕を開ける。新たな刺激を求め、日本のポルノビデオをチェックするがいまひとつ上品すぎていただけない。そんな彼は世界中の電波をハッキングしている部下のハーランが見つけたビデオドロームという作品を見る。そこに映されているのはリアルな拷問映像だった。たまたまテレビの座談会で知り合ったニッキーとベッドで見ていたマックスだが、ニッキーはその映像に興味を持ち、マックスの反対を押し切ってその配信元らしいピッツバーグへ一人で向かう。
捜査の中、テレビ座談会で話していたオブリビオン教授からビデオドロームのテープを手にすることになったマックスだが、あのテープを見たら脳に腫瘍ができて幻覚に囚われるのだと説明される。しかも、教授はすでに死んでいた。娘のビアンカからテープの危険性を忠告されるが、次第に現実と幻覚が交錯し始めていたマックスは会社の重役を銃で撃ち殺し、最後にビデオドロームを作った会社の代表も殺す。さらに、ハーランも殺し、廃船に逃げ込んだマックスだが、そこにあったテレビからニッキーが現れ、テレビの中でマックスは銃で自殺、現実のマックスも銃をこめかみに突きつけて引き金を引いて映画は終わる。
腹が裂けて、ビデオテープを押し込んだり、手が銃に変わっていたり、テレビから顔や手が浮き出してきたり、殺された人間の体が裂けて肉塊が溢れてきたりとグロテスクシーン満載でさすがにCG全盛の今となっては作り物感が強いとはいえ、気持ちの良いものではない。しかし、どこか先を読んだようなストーリー展開は。評価されて然るべき映画だったのかと改めて思いました。
「探偵マーロウ」
レトロ感満載に、音楽と映像を操ったなかなか良質の映画だった。次々と出てくる登場人物を巧みに整理していく演出手腕は流石にこなれた感満載だったが、リーアム・ニーソンにもう少しカリスマ感が出ていればもっと映画が引き締まったかもしれない。でも素直に面白かった。監督なニール・ジョーダン。
1939年、ロサンゼルス、窓に人々が映るのをじっと事務所から眺める主人公の探偵マーロウの姿から映画は幕を開ける。ヒッチコックの「裏窓」を思わせるこの画面が実に上手い。そこへ、一人の依頼人の女性クレアが現れる。彼女はキャベンディッシュ夫人と名乗り、性なのか名なのかわからないでしょうと登場。この導入部から、ただ物ではない物語を予感させる。
彼女は元愛人のニコが行方不明なのだという。ニコは映画俳優だが、今一つパッとしないままだった。そんな男をマーロウは調査し始めるが、まもなくして、ニコはグラナダクラブの前で顔を車で潰された死体となって発見される。てっきり事故死したかと思われたが、クレアが、街でニコを見かけたと証言し、殺人事件と判断したマーロウはさらに調査を進める。
マーロウはグラナダクラブに調査に行き、そこで支配人のハンソンと会うも、相手にしてもらえない。ここで運転手のセドリックと知り合う。帰り際、ニコの死体を確認したニコの妹リンを見かけたマーロウは近づくが、リンを調べる中、二人の不気味なメキシコ人に襲われ、リンは拉致された挙句無惨に殺されてしまう。ここにきて、マーロウの旧知の刑事、バーニーとジョーも本格的な捜査に参加する。
クレアの母ドロシーは有名な女優で、愛人の英国大使とパシフィック撮影所を購入するなど大金持ちだった。ドロシーもマーロウに近づいてくる。次第にハリウッドの魑魅魍魎の世界が見え始めたマーロウは、さらに調査を進め、グラナダクラブの支配人ハンソンの裏の顔が見えてくる。しかもそこにはドロシーの影もあった。マーロウは二人のメキシコ人を調べる中でグラナダクラブに潜入しハンセンが麻薬の密売をしていること、裏で売春組織も牛耳っていて、リンも娼婦の一人だったことなどを突き止め問い詰める。
しかし、酒に薬を盛られ、拉致されてしまう。これもマーロウはあらかじめ予想していたことで、マーロウは酒を飲んでいなかった。拉致されたところで同じく捉えられているセドリックを発見し、一緒に銃を持って反撃、ハンセンらを倒すが。隠されていた人魚の人形の中の麻薬を水に流してしまう。
一段落したマーロウが自宅に戻るとなんとニコが待っていた。ニコはマーロウに、クレアに撮影所の小道具室にくるよう伝えてくれという。マーロウはクレアとドロシーをレストランに誘う。そこで、ドロシーはクレアに英国大使とを取られたと悪態をつく。飛び出したクレアに、マーロウはニコからの伝言を伝える。
クレアはニコとの待ち合わせの小道具室へ向かう。それをセドリックとマーロウがつけていく。小道具室でニコは、小道具に仕込んで輸入していたヘロインが本来の目的ではなく、その流れの全てを記録した書類が本当の値打ちのある物で、それで英国大使を脅していたのだ。ところが最後の最後、クレアはニコを撃ち殺し、書類もろとも焼いてしまう。駆けつけたマーロウはその真実を知りクレアを逃す。そこへバーニーら警察がやってくる。全ての証拠は灰になり、事件の全貌は真犯人ニコの事件のみとして片付けられた。
この日、マーロウはパシフィック撮影所に呼ばれていた。今やここの所長となったクレアに呼ばれたのだ。ドロシーも女優として再スタートするらしく、全ては英国大使を守るための計画だったことが明らかになる。警備主任になってほしいというクレアの申し出を断ったマーロウは、帰り際、セドリックにここのセキュリティチーフに推薦すると言葉を投げて映画は終わる。まもなくして英国も第二次大戦に参戦することになる。
音楽といい映像と言い、レトロ感を見事に映し出した映画作りが抜群に心地よい作品で、その品の良さに引き込まれますが、さすがにリーアム・ニーソン、ちょっと無理があったかもしれない。でも彼は彼なりのマーロウ像としては面白かった。