くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース」「ザ・フラッシュ」

スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース」

相変わらずの縦横無尽に飛び回る映像が爽快。CGを超えたCGアニメというイメージに、今回も堪能させてもらいました。物語は今回が前編という感じで、さまざまなエピソードのきっかけを描いていくのですが、少々複雑すぎて、ついていけないところもあった。でも時に二次元アニメを挿入したり、実写映像が挿入されたり、粗い絵を組み合わせたりと、絵作りの自由さというかさまざまを駆使して作る面白さは見事です。監督はホアキンドス・サントス、ケンプ・パワーズジャスティン・K・トンプソン。

 

スパイダーガールとして活躍するグウェンだが、スパイダーマン=ピーター・パーカーを倒した悪として、警察署長の父ジョージからも追われる身だった。そこへ、次元に穴を開けて大暴れするスポットという化け物が現れ、スパイダーガールが戦いに臨んでいく。しかし、一方でグウェンがスパイダーガールだと知らないジョージはスパイダーガールを追い詰めていく。間一髪になった時、異次元のスパイダーバースからミゲルらが現れる。ジョージに自分の正体を明かしたグウェンは、スパイダーガールの先輩ジェシカの誘いもありスパイダーバースの世界へ行く。

 

一方、マイルスは、両親から謹慎を申しつけられ自宅に閉じ込められていたが、グウェンが現れ、彼を連れ出し、共にスパイダーバースの世界へ行く。そこでは世界各地、さまざまなスパイダーマンが集っていた。そこでの戦いでマイルスは一人の警察署長を助けるのだが、スパイダーマンといえども全員を助けることはできないことと、署長を助けたことで過去が変わる危険をミゲルから説明される。実はマイルスは、本来彼が存在する世界でのクモではなく別次元から来たクモに刺されてスパイダーマンになった異端分子で、彼の行動はマルチバースの世界を超えて影響を与えてしまう存在だった。

 

その別次元からのクモを呼び寄せたのが、マイルスが忍び込んだ研究所にいたスポットだった。本来マイルスの住む世界にはピーターというスパイダーマンが存在していて、マイルスはスパイダーマンになる運命ではなかったのだ。しかもピーターはマイルスを守るために命を落とした。

 

ミゲルはマイルスを閉じ込めることが目的だった。そんな考え方に反抗を持ったマイルスは、自分の世界に戻って、まもなくして警察署長になる父を助けようと考える。しかしミゲルたちの妨害が入る。

 

あらん限りの力で自分の次元の戻ったマイルスだが、そこは本来のクモ42が住む世界で、マイルスの本来の世界ではなく、そこにスパイダーマンさえも存在しなく、街は荒れ果てていた。父はすでに亡くなり、叔父が警察署長となり、マイルスの家庭に入り込んでいた。一方、グウェンも元の次元に戻っていたが、そこで、スパダーバースから、多次元へ移動するための装置の海賊版を手に入れる。

 

ここでは、グウェンの父は警察を辞める決心をしていて、署長にならないことで命を助ける結果になっていく。グウェンは次元移動装置を持ってマイルスが迷い込んだ世界へ行き、マイルスを助け、スポットを倒して、全ての世界を元通りにするべく仲間たちと旅立って映画は終わる。

 

若干、ストーリーの把握が間違えているかもしれませんが、物語より、アニメのカメラワークそして軽快な音楽を楽しむ作品で、それだけで二時間超えを全く退屈しないのは大したものだと思います。アカデミー賞を取った前作には及ばないものの、面白かった。

 

「ザ・フラッシュ」

ここまでやると、悪ノリにしか見えないし、時間を遡るのを繰り返すのなら、なんのサスペンスも感じてこないので、ダラダラと引っ張られるように感じるだけ、しかも、かつてのテレビ版のスーパーマンや、クリストファー・リーブのスーパーマン、スーパーガール、まで再現さしてくると、芸もなにもない。しかも主演の役者にもヒロインにも花がないし、ストーリーは適当やし、面白いものを作ろうという意気込みも伝わってこなかった。退屈こそしなかったものの、低レベルのエンタメ映画でした。監督はアンディ・ムスキエティ

 

フラッシュとして、超速で移動できる能力を持つバリーが、父の冤罪を晴らすべく証拠の防犯カメラの映像に思っている映像が映ってなくてガッカリしている場面から映画は幕を開ける。母が殺され、父が疑われて収監されたバリーは、この日、ぶつけようのない憤りで猛スピードで夜の街を駆け抜けていて、時間が戻ることに気がつく。

 

そこで、母が殺されるきっかけになった、トマトソースの買い忘れを防ごうと時間を戻ろうとする。そして、なんとか母の買い物にトマトソースを忍ばせるのに成功するが、その時代の旧バリーと遭遇してしまう。しかも、まだ能力を得ていなくて、能力を得る雷の日を二日後に控えていて、バリーは旧バリーが事故に遭うように準備する。ところが、旧バリーには能力が身についたが、自分は消えてしまう。さらに、バリーが過去を変えたことでゾッド将軍が蘇り、地球の危機がおとづれる。

 

バリーは旧バリーと協力して仲間のバットマンを探し当てるが、すでに引退していた。なんとかウェイン家の過去の装備を稼働させ、スーパーマンを見つける。そしてスーパーマンが拉致されている現場に駆けつけるが、そこにいたのは少年カリ・エルではなく少女カーラだった。カリ・エルの父ジョー・エルの従姉妹で、カリ・エルを守るべく一緒にカプセルに乗ってきたのだ。

 

彼女を拉致していたのはゾッド将軍で、クリプトン人の遺伝子を彼女から採取するのが目的だった。バリーはブルース・ウェインの屋敷で雷に打たれて能力を取り戻し、バリーらはゾッド将軍との対決に臨んでいく。しかし、最後の最後に、カーラも殺され、バットマンも死んでしまう。バリーらは時間を遡るが何度やっても死んでしまう。

 

時間の交差点にあるため変わらない、さらに過去をいじくったために、空間が壊れ始める。それでも旧バリーは時間を遡ることを繰り返し、最後には年老いたバリーとなって現れる。ゾッド将軍はバリーを殺そうとするがすんでのところで旧バリーに助けられる。バリーは買い物をしている母のカゴからトマトソースを再度取り出して棚に戻し、ハグをする。

 

元の世界に戻ったバリーは、父の裁判をしている裁判所へ駆けつける。そこで、証拠の防犯カメラ映像に父の顔がはっきり写っていた。バリーがトマトソースの戻した場所が高いところになり、顔が映ったのだ。そして父の冤罪は晴れる。こうして映画は終わっていきます。エンドクレジットの後、アクアマンと飲んだくれるバリーの場面でエンディング。

 

なんともいえない、スケール感の乏しい作品で、しかも中身も薄っぺらく、いくら娯楽映画でも、ドキドキ感くらいないと見ていられない。安直な脚本と演出で仕上げた一本というレベルの映画でした。