くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「裸足になって」「セフレの品格(プライド) 初恋」「ナチスに仕掛けたチェスゲーム」

「裸足になって」

映画のクオリティは非常に高いけれど、アルジェリアという国の国情を訴えかけてくる内容は流石に重い。ほとんどのシーンがバストショットで描かれるので息苦しささえ感じてしまいました。男性社会、テロの横行、役人たちの癒着、そんな暗さをじわじわと描きながら、明日を目指していく主人公の力強さを描く様は確かに重厚ですが、しんどいと感じるのは平和な国に暮らす自分達の甘さなのでしょう。主演のリナ・クードリの見事なダンスシーンは一見の価値がありました。監督はムニア・メドゥール。

 

クラシックバレエのダンサーフーリアが海を望む屋上でしょうか、白鳥の湖も練習をしている場面から映画は始まる。ストイックな練習の後、スタジオでのレッスンを受け、友達のソニアたちと今どきのダンスに興じて青春を謳歌しているかのシーンに続く。フーリアは、ヤギだろうかの格闘賭博に足を運んで、お金を貯めていた。それは母サブリナに車を買ってやるためだった。闘技場でいつも文句を言ったり不正をしたりしている一人の男アリが、いつも勝って帰るフーリアに不気味な視線を送っていた。ソニアはフーリアと一緒にホテルで働いていて、アルジェリアの国を出るためにお金を貯めていた。

 

ある夜、いつものようにフーリアは賭博場にいき、賭け金を勝ち取るが、その時に負けた側にいた男アリが、帰り道のフーリアに追いすがり、金を取ろうとする。その争いの中、フーリアは階段から落ちて気を失ってしまう。目覚めたフーリアは左足を骨折、顔もひどく腫れていた。しかも、精神的なショックから言葉も失っていた。

 

やがて足は回復しリハビリを始める。リバビリのスタジオで、いつもなにやらレクチャーしている女性たちの集まりがあった。彼女たちは、聾唖者で、様々な理由から精神的に不安定になり、そのリハビリをしているのだった。その中の一人の中年女性ハリマは、バスのテロで子供を失い、以来、子供が死んだことが受け入れられずにいた。フーリアは次第にハリマに興味を抱いていく。

 

フーリアと母サブリナは、警察に事件を訴えるが、犯人と思われるアリは元テロリストで、何かの恩赦で釈放されて生活しているのがわかる。しかし、警察の態度は真摯ではなかった。しかも、逮捕すると言っておきながら、しばらくして、郵便配達をしているアリの姿をフーリアは目撃し、サブリナと警察に訴えにいくが、取り合ってくれなかった。そこで、知り合いの弁護士に相談に行くが、かつて正義感に燃えた弁護士だったが、その頃の情熱はすっかり冷めていた。しばらくして、フーリアの家が荒らされる。

 

フーリアはモダンダンサーの自伝を読み、新しいダンスの道を模索し始める。そんな頃、ハリマたちと遠足に行った際にフーリアはダンスを披露し、それが気に入られて、みんなにダンスを教えることになる。フーリアの友人のソニアは国を出る仲介人が見つかったということでアルジェリアを出ることになる。夜、ボートに乗り込むソニアをフーリアは涙で見送る。

 

一方、フーリアが教えていたダンススタジオは突然警察によって閉鎖される。明らかに圧力がかかったのだ。しかもアリは露骨にフーリアたちを脅してきて、フーリアがサブリナのために買った車を傷つけたりする。フーリアの父は、かつてサブリナが車を運転している現場で警察に捕まり、銃殺された事件があった。おそらく男性社会と女性蔑視という偏った思想が蔓延しているためだろうが、実はうまく理解できない。

 

ところが、フーリアにソニアの遺体が上がったという連絡が入る。どうやら海に投げ出され亡くなったのだ。どん底に落ち込むフーリアだが、いつもダンスの練習をしていた建物の屋上を掃除し、灯りを飾り、夜の夜景をバックにハリマたちとと共にダンスを披露、ソニアの遺影に捧げる。それは自由を訴えるメッセージだった。

 

フーリアという名前は 自由へ という意味らしいことから、抑圧されたアルジェリアを訴えかけるメッセージを含んだ映画だったのだろう。一見、平和で何事もないかのような日々を描きながら、その背景に、テロや役人の癒着、女性蔑視、など描いていくなかなか重みのある作品でした。

 

「セフレの品格(プライド)  初恋」

城定秀夫監督らしいねちっこいいやらしさと、どこかドライで切ない大人の恋愛劇の世界観が綺麗に出ていた気がします。個人的には好みではないまでも、ラストの処理にさすがという手腕を感じてしまいました。

 

バツ2で高校生の娘と二人暮らしの妙子は、十八年ぶりの同窓会に迷っていたが、娘に背中を押され、娘のちょっと派手なワンピースを着て出かけることにする。そこで、友達の華江と会い、初恋の相手で、今は産婦人科の後取りの予定の一樹と再会する。つい飲みすぎて一樹に誘われるままにホテルに行った妙子は、体を合わせた後、セフレとして付き合おうと言われショックを受ける。しかし、一樹の体を覚えた妙子は、つい一樹のことを体で感じるようになる。

 

やがて、一樹との逢瀬も増えてくる中、華江も一樹のセフレの一人だとわかる。そんな妙子に気がある会社の上司栗山は、正社員に推挙するという口実もちらつかせて妙子に近づき体を合わせるが、妙子は全く感じなかった。しかし、本気の結婚を考えていた栗山は執拗に妙子に接し始める。

 

一樹にはかつて病院の一人の看護師に惹かれていた若き日があった。やがて二人は結婚し、子供もでき、大きくなるが、ある日、母から父が浮気しているらしく、寝室に隠しカメラを仕掛けたから、その映像を見て欲しいと頼まれる。一樹が確認すると、何と妻と父親がベッドで抱き合っていた。自分の子が父の子だとわかり、結局離婚することになり、それを機に一樹はパイプカットして女とはSEXを楽しむだけにするようになった。

 

ある時、栗山は妙子に、自分は見合いをする予定だから最後に一度食事して欲しいと頼む。二人で飲んでいる時、栗山は背後の席にいる一樹と華江を教える。そして、一樹は大勢の女性と交際していると興信所で撮った写真を見せるが、妙子は承知の上の交際だと栗山に告げる。公園まで追いかけてきた栗山は妙子に追い縋る。そこへ一樹がやってくるが、妙子はつい、一樹のことが好きだと言ってしまう。栗山がさった後、妙子は一樹に別れを言う。

 

帰ってみると、娘が彼氏の誕生祝いにケーキを作っていた。二人でケーキを作ったところで、一樹から電話が入るが、妙子は無視する。一樹は電話に出ない妙子を知って、暗転、映画は終わる。

 

締めくくりのうまさは、さすがというほどにセンスがいい。ちょっとした佳作という感じの作品でした。

 

ナチスに仕掛けたチェスゲーム」

映像を作り込みすぎた気がしないでもない感じで、次第に主人公の破綻をきたした精神状態に飲み込まれる感覚に囚われてきて気分が悪くなってきました。結局ナチス映画なのですが、一人の男の精神病院での妄想の世界だったという解釈もありのような気がします。細かいカットを繰り返し、過去と現代を交錯させ、さらに登場人物もオーバーラップさせていく絵作りは、若干、独りよがりに見えなくもない。個性的な映画ですがしんどかった。監督はフィリップ・シュテルツェル。

 

チェスの譜面を呟いている声が入り、バックミラーから後部座席にカメラが移ると一人の男ヨーゼフが車を降りてくる。彼に一人の女性が声をかけ、彼女はどうやらアンナという女性で妻なのかどうか。そのまま二人はアメリカに向かう船に乗り込む。二人は同じ部屋に泊まる。レストランで過ごしていたヨーゼフは、部屋の一角で行われていたチェスを見かける。チェスの世界王者がたくさんの客と同時に試合をし次々と負かしていた。船のオーナーとも対峙したが、ヨーゼフがちょっとしたアドバイスをしたためにオーナーはチェス王者と引き分けに持ち込む。気をよくしたオーナーはヨーゼフに、ぜひ世界王者と対戦して欲しいと持ちかけ、大金を準備する。翌朝、一緒に部屋に入った女性はいなかったと言われる。

 

時間が遡り、ドイツが侵攻してきたオーストリアで、弁護士で裕福な生活をしていたヨーゼフはある夜ドイツ軍によって拉致されホテルの一室に監禁される。目的は、ヨーゼフが管理している銀行の口座の認証番号を聞き出すことだった。しかし、ヨーゼフはがんとして明かすことはなく、ドイツ兵は、彼を外界と遮って孤独の中に放り込むことで一種の拷問をかけることにする。

 

本もなく、人と会話もできず。次第に追い詰められていくヨーゼフは、たまたまドイツ軍が処分しようとした本の山から一冊を盗み部屋に戻る。しかしそれはチェスの本だった。ヨーゼフは、粘土で駒を作り、洗面所をチェス盤のようにして、譜面を再現して時を過ごすようになる。

 

映画は、ドイツ軍に拉致されていた時代と、船の中の時間軸を交錯させながら、次第に孤独の中で追い詰められ狂っていく彼の姿を描いていく。監禁された場所では、とうとう隠していた本や駒も捨てられるが、記憶を頼りに一人でチェスを続ける。船の中では、いよいよ試合が始まる。どこか狂ったような言動を繰り返すヨーゼフだが、世界王者を追い詰めていく。監禁された場所では、その管理人のドイツ将校がヨーゼフが書いた認証番号をチェックし、それは全てチェスの譜面だとわかって、敗北を認めて彼を釈放する。船の中ではついに世界王者が敗北を認める。

 

晴れて船はアメリカに着き、過去では監禁されたホテルからヨーゼフは釈放される。病院の一角で、一人の女性が「オデッセイア」を読み聞かせていた。何とそれはアンナだったが、看護婦である。カメラが引くと、そこは精神病院だった。こうして映画は終わる。

 

つまり、精神病の患者ヨーゼフの妄想を描いたものか、その原因を作ったのはナチスだと言いたいのか、ちょっと作り込みすぎて主題がぼやけた気がする作品でした。