くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ザ・クリエイター/創造者」「悪い子バビー」

「ザ・クリエイター/創造者」

面白い話に見えるのですが、B級映画に見られるような妙なメッセージが中途半端に埋め込まれていて、ストーリーテリングがおざなりになって流れが淀んだ作品に仕上がった気がします。もう少し、脚本を丁寧に仕上げた上で、ラストへ向かった流れを作り出した演出がなされればもっと見やすい映画になったようにも思いました。監督はギャレス・エドワーズ

 

テクノロジーの進歩が描かれ、究極のAIの誕生へと続くが、突然ロサンゼルスに核爆弾が投下されるという事件が起こってしまう。その結果、西側はAI開発を中止するがネオアジア諸国は開発を続けた。そこで西側はAI撲滅のために究極の兵器ノマドを完成させ、AIの潜む街の破壊工作を始める。ここに、AI開発者のアジトを詐欺るために潜入捜査していたジョシュアは、妊娠した愛妻マヤと仲良くベッドにいた。ところが突然政府軍が突入してくる。慌ててジョシュアは中止を訴えるも攻撃は止まず、やがてノマドが接近してきた。

 

潜入捜査をしていたことを知ったマヤはジョシュアを疑い、ジョシュアの元を離れて海岸に逃げる。ジョシュアは彼女を追って海岸へ出るが、ノマドのミサイルが発射され、マヤの乗った船は破壊されてしまう。それから5年が経つ。失意の中、軍を引退して暮らすジュシュアの元に軍から指令が下る。マヤが生きていることがわかり、AIはノマドに対抗するアルファ・オーと呼ばれる新兵器を開発した。その開発者と兵器を奪取するために、かつてAIのラボに潜入したことがあるジョシュアの記憶を頼ってきたのだ。しかし、ジョシュアは潜入捜査の時の記憶がほとんどなかった。

 

しかし、ジョシュアはマヤ生存の映像を見て軍に参加することを決意する。そして、AI開発の兵器が格納されている施設への潜入に成功、格納場所に辿り着くが、そこにあったのは幼い少女だった。彼女は様々な機器を自由に操ることができる力があった。しかも、AIにも関わらず成長していて、やがてノマドさえ操作しかねない力を秘めていた。

 

ジョシュアはこの少女にアルファと名づけ、マヤを探すために脱出して逃亡する。そしてAIが隠れている村に辿り着く。そこでAI戦士のハルンと共に政府軍を迎え撃つ流れになるが、アルファが怪我をしてその治療のためにマヤの元へ連れていくことになる。どうやらマヤがAIリーダーである展開で、ジョシュアが行くと、そこに昏睡状態のマヤがいた。五年前、子供を亡くしてからこのままで、AIは人を殺せないのでなんとかして欲しいという。ジョシュアはマヤを安楽死させてやる。

 

間も無くして、ハッキングでノマドがAIの本拠地へ襲ってくる。ジョシュアはアルファと一緒に政府軍に捕まってしまうが、隙を見て脱出、宇宙旅客機に忍び込んでそのままノマドへ向かう。そして銃撃戦の後、アルファを逃してジョシュアは身を挺してノマドを破壊、脱出したアルファはマヤの後を継いでAIの指導者となって映画は終わる。

 

明らかに東洋を小馬鹿にした展開で、日本語やらネパール寺院を思わせる衣装やらが出てきて、政府軍の白人らは冷酷なほどに殺戮をするし、いつまでこんな映画を作るのかと思わせるSF作品だった。

 

「悪い子バビー」

とにかく同様の展開が何度もあって退屈極まりなくなってくる。オープニングは、奇を衒った設定ながら、主人公が外に出てからは、堂々めぐりのようにエピソードが繰り返され、キリスト教批判なのか、さまざまな不満を描いているうちに収拾がつかなくなったのか、なんともカルトな映画でした。監督はロルフ・デ・ヒーア。

 

薄暗い一室で、椅子に座らされた一人の男バビーは母親の世話になっている。どうやら母からこの部屋を出るとガスマスクがいると脅され、30年以上ここに閉じ込められているようだ。母が出かけた後は身動きせず椅子で待つように言われ、壁のキリスト像で監視されている。母は息子とSEXし、極端な束縛を続ける。そんなある日、ドアをたたく男の声がする。しばらくして30年以上音信不通だった父が帰ってくる。母は父とねんごろになってよりを戻し、バビーは邪魔者にされてくる。

 

かねてから、猫をラップで包んで息をしているか確認などしていたバビーは両親が眠っている時にラップで殺し、部屋を出ていく。そして、讃美歌を練習する合唱隊の女と出会ったり、バンドメンバーと知り合ったりして外の世界を体験していく。しかしバビーの憧れは

母の巨大な胸だった。

 

様々な経験をして、行き場のなくなったバビーはかつてのバンドメンバーと再会、ステージで覚えた罵詈雑言を叫ぶと観客に受け、毎晩ステージに立つようになる。そんな時、障害者施設で働くエンジェルと知り合う。彼女は太っていて、そのことを両親は異常なほど忌み嫌っていた。しかしバビーはエンジェルを愛し始める。間も無くして二人は結婚して子供ができ、子供たちと戯れるバビーの姿で映画は終わる。

 

エンジェルの両親が狂信的に娘を罵倒したり、バビーの両親が情欲に溺れていったり、何度も背後に聖歌が流れたり、明らかに宗教批判の映画だと思いますが、日本人にはこの毒は理解できない。結局、キリスト批判のカルトムービー、そんな映画でした。