くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「マーベルズ」「花腐し」

「マーベルズ」

自分たちだけが楽しんでいるのではないかというようなストーリーで、物語の面白さは全くなく、と言ってアクションがすごいわけでもなく、特撮も今時のCGに目新しさもない、さらにヒロインが全然可愛くも美しくもないその辺の人となったら、もうこのシリーズも終焉ではないかという映画だった。惰性で見ているだけの一本です。監督はニア・ダコスタ。

 

故郷の惑星ハラを立て直すべく、ダー・ベンが量子バングルを手に入れる場面から映画は始まる。しかしバングルは片方だけしか手に入らず。不安定なまま行使して空間の歪みを作り始めたため、キャプテン・マーベル、ミズ・マーベル、モニカ・ランボーの三ヒーローは力を行使すると入れ変わってしまう現象が起こり始める。そんな混乱をニック・フューリーが取りまとめて、元の世界に戻すべく奔走し始める。

 

ミズ・マーベルは、量子バングルの片方を手にしていて、ダー・ベンのものと一つになれば力を最大限に発揮でるはずだった。ダー・ベンは惑星ハラ再興のため、水と太陽を手にれるべく周辺の惑星を襲い始める。それをキャプテン・マーベルを中心にしたマーベルズが阻止しにかかる。ダー・ベンはキャプテン・マーベルが惑星ハラを滅ぼした殺戮者だという恨みがあったが、AIに支配されつつあった惑星ハラをキャプテン・マーベルが救った際手違いで殺戮と惑星滅亡の危機を招いたのだった。

 

そしてダー・ベンとマーベルズの戦いが始まり、ダー・ベンはミズ・マーベルのバングルを奪い、太陽を生み出そうとして自滅してしまう。その余波で空間の歪みが破壊され始め、それを修復するためにモニカ・ランボーが犠牲になって歪みを修復。惑星ハラの太陽を復活させるためにキャプテン・マーベルが自らのパワーを使い、全て丸く治って映画は終わる。モニカ・ランボーは並行世界で目覚めてエピローグもエンディング。

 

とにかく作るというだけの何の工夫も目新しさもないシリーズで、猫が人間を取り込んでいくバックにキャッツの音楽が流れるなど遊びもあるのですが、とってつけただけになっているし、もういいかなと思うものの、惰性で見る映画という感じでした。

 

「花腐し」

いい映画だった。こういう作品に感動する歳になったのかというのも一つあるけれど、雨、煙草、酒、SEX、恋愛、演歌、そんな様々が映像になって昇華している。何故というサスペンスを人生の機微の中に盛り込んだ物語に、何故かラストのエピローグシーンで胸が熱くなってしまいました。難を言うと、もうちょっとあくの強い深みのある役者ならなお良かった気がします。でもいい映画だった。監督は荒井晴彦

 

2012年冬、海岸に打ち寄せられるように死んでいる男女のカットから映画は幕を開ける。一人の男、翔谷が亡くなった女性祥子の実家にやってくるが両親から追い返される。心中の相手桑山の通夜の席に戻った翔谷は、同僚と飲み始める。翔谷はピンク映画の監督をしているが最近は作品を撮っていない。祥子とは同棲していたが、何故か心中の相手は映画監督の桑山だった事がわからないままだった。祥子もまた女優を目指していたが泣かず飛ばずの状態だった。

 

自宅に戻った翔谷はアパートの大家の金から家賃の催促をされるが、翔谷が待って欲しいと言う言葉に、建て替えを予定しているアパートに居座っている伊関という男を追い出してくれたら家賃は考えると言われる。畑違いの仕事だが渋々金のアパートに向かった翔谷は途中雨にあったまま、そこで伊関という青年と出会う。伊関に言われるままに部屋に上がり込んだ翔谷は、そこでつい話し込んでしまう。

 

しばらくすると奥の部屋で女の声が聞こえる。奥の部屋では違法キノコを栽培していて、中国人のリンリンが寝ていた。伊関がその女を宥めるので、翔谷は一人アパートを出て、近くの韓国スナックへ立ち寄る。まもなくして伊関もやってきて、二人で過去に出会った女の話を始める。

 

伊関は2000年ごろ、一人の女優志望の女と付き合っていた。伊関はシナリオを書いていたが、なかなか上手くいかず、その女と同棲していた。女の名は祥子と言った。過去に話を描く際はモノクロ映像からカラーに変わる。映画は二人が祥子という女性と付き合った経緯とそのなりゆきを語る形で進んでいくが、同じ女性だというのは観客にはわかるは二人の会話の中では最後までわからないままに進む。

 

伊関は祥子と付き合う中、やがて祥子は妊娠するが、女優を目指す彼女は中絶してしまう。一方、翔谷は酒の席で親友の桑山と一緒に来た祥子と出会い、その日、祥子はカラオケで「真夜中の向こう側」を歌い、酒に酔って翔谷とスナックを後にし、道端で祥子はザリガニを拾う。二人はそれ以来付き合うようになる。外は雨が降っていた。やがて祥子は妊娠するも翔谷は出産に否定的で、しばらくして流産してしまう。

 

どことなくギクシャクし出した翔谷と祥子だが、翔谷は男の存在を感じ問い詰めてその相手は桑山だと知るも、翔谷は「そうか」と答えただけだった。それを聞いた伊関は、何故殴らなかったかと責める。ある日祥子は実家に帰ると言って翔谷の部屋を出る。そして三日後海岸で亡くなる。

 

伊関が、あの女はどうしたのだろうとつぶやく、翔谷は、死んだと答えて、初めてお互いに付き合った女が同じ女だったことがわかる。そして二人は再度アパートに戻る。アパートではリンリンが、別の女とSEXしていた。女同士で絡んだ後それぞれ翔谷と伊関とSEXする。翔谷が目を覚ますと誰もいなかった。伊関のパソコンを開くと「花腐し」のシナリオが書かれていて、翔谷が祥子に男の存在を聞いた場面で、「そうか」というセリフを消し、祥子を殴ると変えたものの再度消し、抱きしめて唇を合わせると書き直す。外に出た翔谷はアパートの出口で鏡を見ていると、白いワンピースの祥子が入ってきて伊関の部屋に入っていく。それを見つめる翔谷の場面で映画は終わる。エンドクレジットの後、スナックで「真夜中の向こう側」を歌う祥子、二番に翔谷が参加して二人で絶唱して暗転する。

 

ラストのデュエットシーンで何故か涙が出てしまいました。繰り返し雨の音を駆使し、二人の思い出話の中に、翔谷の思いをさりげなく浮かび上がらせる演出がどうしようもなく切ない。あれほどSEXシーンが必要なのかという疑問と翔谷を演じた綾野剛がちょっと弱い気がするのがもったいないですが、クオリティの高いいい映画でした。