くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「父は憶えている」「未成年」

「父は憶えている」

静かな映画ですが、とっても良い映画でした。キルギスの国柄とかは詳しく知りませんが、近代化が進む一方で失われていくものと生まれてくるものが落ち着いた物語と流麗なカメラワークで描かれていく様はとっても美しい。監督はアクタン・アリム・クバト

 

木々が白く塗られている林をカメラがゆっくりと引いていって静かにタイトル。20年以上行方不明だったザールクが息子クバトに連れられて村に帰って来るところから映画は幕を開ける。ザールクは言葉と記憶を失っていて、息子の姿も駆けつけてくれた幼馴染の名前もわからない。息子の妻や孫が出迎えるがほとんど無表情に接する。妻のウムスナイは近所の成金の男ジャイムと再婚している。

 

ザールクはなぜか村に散らばるゴミを集め始める。最初は反抗するクバトだが、父親が黙々と続けるのを助けるようになる。孫もザールクの手伝いをして、母親に心配をかける。そんなある時、納屋が火事になる。ザールクの仕業だったのかもしれないが村人はみんなで火を消す。

 

ウムスナイはザールクが戻ってから塞ぎ込んでいて、再婚したことを後悔していた。導師の所に行き、神の判断を仰ぐが、男の方から離婚するには、ある言葉を三度唱えないといけないからと言われる。その帰り、寺院の男に、女性からも離婚の言葉を発することができると言われる。

 

ウムスナイは帰ってジャイムに離婚の言葉を発するがジャイムは無理やりウムスナイを襲う。翌日、クバトは父が帰ってきた祝いの宴を開く。村人たちが集まり、ザールクが帰ってきて村は美しくなったと呟く。ザールクは一人木にペンキを塗って白くしている。宴席にウムスナイがやって来る。そして地元の歌だろうか朗々と歌を歌い始める。

 

外で作業をしていたザールクはその歌声に耳を貸し、空を仰いで映画は終わる。果たしてザールクの記憶は戻ったのだろうか、その余韻の中映画はエンディング。

 

村がゴミだらけになり、何やら成功したらしい男が高級車に乗り、街外れにはハイウェイが走り、列車が疾走していく。近代化が進む一方で、古い慣習や宗教観に縛られる村人との対比描写が見事で、言葉を発しない主人公の淡々とした佇まいが、映像に語らせるという効果を生み出していく。高級な作品でしたが、良い映画でした。

 

「未成年」

時代色を感じるとはいえ、なかなかのクオリティの社会派青春ドラマの佳作でした。丁寧な脚本と演出が切々と一人の青年の青春の苦悩と母への思い、憧れの女性との出会いを切なく描いていきます。ラストの雨の演出も秀逸、見応えのある映画でした。監督は井上梅次

 

とある港町、不良たちやヤクザもの、麻薬の売人などがたむろする世界を見せながら映画は本編へ進む。自動車工場に勤める啓一はその真面目ぶりから、次の人事で班長になるだろうと長屋ではもっぱらの噂。そんな噂が嬉しくてたまらない母のかねは息子自慢の毎日だった。母と二人暮らしの啓一は、この日も会社に行き、帰りに同僚と居酒屋に寄ってささやかな酒を酌み交わしていたが、つい、不良を蔑む会話をして、隅にいるチンピラの健に絡まれ喧嘩をしてしまう。

 

翌朝、定期を落としたと気づいた啓一は健の居場所を教えてもらい一人取り戻しにいくが、そのまま健と喧嘩になり健の足を刺してしまう。通りかかった兄貴分の五郎に助けられた啓一は、五郎の誘いでヤクザものの世界で仕事をするようになる。最初はアルバイト程度だったが、会社では班長にもなれず、一方で五郎には次第に認められ、五郎の右腕で縄張りを張るようになる。ある夜、母と喧嘩した啓一は家を飛び出す。

 

五郎が刑務所にいる間、縄張りを任せられた啓一は五郎の情婦マッチンと仲良くなっていくが、啓一にとっては憧れの女性以上ではなかった。ある時、靴磨きの少年三太の姉京子に不良と呼ばれ、さらに健の姉から、カタワになって初めて堅気に戻れたと言われたことからショックを受けた啓一は悩み始める。一方、刑事の戸塚はかねに頼まれ、啓一に近づいて来る。啓一は、マッチンと深い仲になり、それを仲間のスモークに見られてしまう。それを知った五郎はマッチンを薬漬けにしてしまう。

 

何もかも嫌になった啓一は京子に誘われ京子の家でお茶漬けをご馳走になる。京子らには両親もいなくて家も船を渡り歩いていた。啓一は母の元に戻って迎えに来ると約束してかねの待つ家に帰って来る。戸塚は浜万組に掛け合って啓一が足を洗うのを約束させる。

 

翌日、啓一は最後の挨拶にと浜万組の事務所に行く。帰りに五郎に再度諭されるが啓一の意思は変わらなかった。五郎は、啓一が余計なことを警察に言わないように、ダムというチンピラに啓一を襲わせる。雨の中、啓一とダムが一騎打ちをする。啓一の帰りが遅いかねが表に出る。途中京子と一緒になり啓一を探すが見つからない。その頃、啓一はダムにナイフで刺され瀕死で自宅に向かっていた。

 

かねと京子が自宅に戻ると、玄関で倒れている啓一を発見、虫の息のまま救急車へ運ばれる。駆けつけた戸塚にかねは悪態をつく。力になれず、悲劇を生んだことに呆然とする戸塚のカットで映画は終わる。

 

とにかく、無駄のない展開と、一つ一つのシーンが実に丁寧に描き込まれていて、映画が緻密に仕上がっている。一人の青年の青春ドラマではあるけれど、さまざまなものが見えて来るなかなかの佳作でした。