くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「大いなる緑の谷」「マグダナのロバ」「アンナの出会い」

「大いなる緑の谷」

モノクロームの映像が実に美しい名編で、放牧だけを守ってきた土地に静かに忍び寄る近代の伊吹が石油という形で染み込んでくる展開は静かながら、胸に迫ってきます。名作という言葉があてはまる作品でした。監督はメラブ・ココチャシュヴィリ。

 

一人の女性が洗濯をしている。道路を固めるために作業車に乗っている男アレクサンドレに女が叫ぶ。女の夫ソサナが帰ってきたというのだ。どうやら妻は不倫をしていたようだが定かではなく、夫婦の関係は冷めている。妻はこの地での生活が嫌だった。ソサナにはイオタムという息子がいる。

 

長らく一緒に牛の仕事をしていたギオルギがソサナの元をさっていく。牛の管理事務所の方からは新しい街に引っ越さないかと誘いが来ている。この地にはどうやら石油が出るらしく、工事の車がやってくるし、地面には時折油が滲み出ていた。

 

間も無く子供を産むであろう一頭の牛が具合が良くなくて、ソサナは獣医の元へ荷車に乗せて連れていくが、結局助からなかったようで戻で戻ってくる。いつの間にか一面に雪が降っていた。戻ってみると牛は一頭もいない。水に油が混じったので逃げたという。息子と妻は車で出て行ったらしい。落胆するソサナの前にギオルギが戻ってくる。二人、雪原を昔話をしながら延々と歩いて行って映画は終わる。

 

どこか寂しくなるような展開に胸が締め付けられる映画で、ジョージア独特の空気感もあり、なかなかの名編でした。

 

「マグダナのロバ(青い目のロバ)」

構図の美しさにまず目を見張ります。スタンダード画面に見事に配置された画面作りの素晴らしさと、シンプルな話なのに大胆な展開、そして、風刺を込めたようなラストの悲劇的なエンディングが、この映画を数倍大きく見せているように思いました。カンヌ映画祭短編映画賞受賞の名作、その貫禄十分な一本でした。。監督はレゾ・チヘイゼ、テンギズ・アブラゼ

 

その日暮しながら三人の子供を健気に育てる寡婦のマグダナは、この日も重いヨーグルトを街で売ってパンを手に入れ戻ってきた。幼いミホとカト、長女のソポが出迎える。一方、ここに強欲な石炭売りの商人ミトゥナはこの日もたくさんのロバに荷物を乗せて、雇人の青年と道を急いでいたが、一頭のロバが道端で倒れ動かなくなってしまう。ミトゥナは、そのロバは捨てていけと命令し、青年に石炭を担がせて街にやってくる。

 

マグダナは次の日も重いヨーグルトをかついで街に売りに行き、なんとか捌いて戻ろうとしていた。母の帰りを待っていたミホらは道端に死んだように倒れているロバを見つける。まだ息をしているので大騒ぎしているところへ、葬式の帰りの神父と村長がほろ酔いかげんで通りかかるが、死んだロバなど谷底へしててしまえと笑って行ってしまう。

 

そんなところへマグダナが帰ってくる。子供たちが大騒ぎしている姿を見かけ、ロバを助けてみることにする。そして必死の看病の末ロバは元気になる。しかし、他人のものであることに変わりはないので、念のためマグダナは村長に、この状況を知っておいて欲しいと呼ぶのだが村長は話半分に帰ってしまう。

 

マグダナは元気になったロバにたくさんのヨーグルトを積んで子供たちにお土産を約束して街に行くが、カトに買う赤い靴を見ていてそこを通りかかったミトゥナの集団にロバを倒されてしまう。大騒ぎの中、ミトゥナは倒れたロバが自分のものだと気がつく。しかし、周囲の群衆はマグダナの味方だった。ヨーグルトの壺も割れてしまい、ロバもどこかに消えてしまい、重い荷物を抱えて戻ってきたマグダナだが、雨の中、後からロバは帰ってくる。しかしミトゥナは訴訟を起こしてロバを取り戻そうとした。

 

裁判所へ呼ばれたマグダナに、村人たちも応援に駆けつけ、村長も村人の意見を訴えざるを得なくなる。しかもミトゥナの雇人の青年もロバは捨てたものだと証言するのだが、判決はマグダナのロバをミトゥナに返せという命令だった。落胆する村人たちとマグダナ。村の長老が世界は広いと呟いて映画は終わる。

 

流れとして、ハッピーエンドだろうと見ていたら、アンハッピーなラストはさすがに毒を感じてしまいました。資本家に対する痛烈な風刺で締め括ったのはともかく、それまでの美しい画面と展開から谷底に落とされた感じは、ある意味見事、という映画でした。

 

「アンナの出会い」

さすがにこの作品で二時間を超えるのはしんどかった。左右対称のシンメトリーな構図を中心に横に流れるカメラワークを多用した映像作りはそれなりに独特の空気感を感じられるのですが、映画監督であるという主人公の意味がどこにも生かされていない気がするのと、次々と出会いを繰り返す展開で、人物関係が把握しづらかった。しかも長回しの台詞のシーンも沢山あって、映像作品としてのクオリティはさすがに見事ですが、正直退屈だった。監督はシャンタル・アケルマン

 

誰もいない電車のホームをシンメトリーな構図で捉えて映画は幕を開ける。列車が入ってきて大勢の乗客が階段に向かって降りていく。そこに主人公アンナが含まれていく。

 

最新作のプロモーションのためにヨーロッパを回っている彼女は、まず小学校の教師だという男性と知り合い、体を合わせるものの、結局それ以上にならず、彼の家族である娘や母と引き合わされる。続いて、友人の母だろうかに駅で出会い、さらに母親と出会う。最後にダニエルという、おそらく夫だろうか、政府の要人らしい男性と出会うが、ホテルに着いて、ダニエルの体調が悪くなり、深夜の薬局へ行ったアンナは薬を購入して飲ませる。自宅に戻ったアンナは次々と留守電を聞く。そして映画は終わる。

 

出会いを繰り返し、言葉を交わす中で、さまざまなアイデンティティや、彼女のこれまでのドラマを描き出していくという手法はなかなかの洞察力のある演出だと思うし、フィックスでの長回しと横に流れるカメラワーク、そして左右対称の構図のリズムが絶妙に作品にテンポを生み出していくのはさすがです。ハイレベルの映画ですが、万全の体調でないとしんどい映画だったと思います。