くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ある閉ざされた雪の山荘で」

「ある閉ざされた雪の山荘で」

原作が弱いのか脚本が甘いのか演出が力不足なのか、使い古されたシチュエーションのサスペンスゆえに個性的な役者を揃えたは良いが。どれもうまく機能していなくて、原作の展開を上滑りになぞっただけの作品に仕上がっていました。流石にこれはいけません。「そして誰もいなくなった」がモチーフなのは誰しも知るところだし、それゆえに、驚くような工夫を期待したのですが、不完全燃焼に終わった感じの映画でした。監督は飯塚健

 

海岸通りを走るバス、中には目隠しした六人の男女が乗っているところから映画は幕を開ける。そしてバス停で降りた六人は目隠しをとって、一軒の豪邸にやってくる。六人は劇団水滸のメンバーで、この日、オーディションの最終選考だからと演出家に呼ばれたのだ。そして、屋敷では、劇団メンバーではない唯一の参加者久我が待っていた。この設定も映画では意味をなしていない。

 

邸内に入った七人は、演出者の声で語る今回のオーディションの内容を説明される。ここで演じられるすべてがオーディションだと言われる。外は大雪で外部と遮断された邸内で、殺人事件が起こる。その謎を四日後の午前十時までに解いた者を合格者とするというものだった。そして「そして誰もいなくなった」の本を各自渡されるが、この小道具が全く役に立っていない。

 

各自部屋に分かれて第一日目が終わる。翌日、女子メンバーの笠原がいないことに気がつく。そして演出者から、笠原はヘッドフォンのコードで絞殺されたと聞かされる。庭に井戸があり、どうやら死体はそこに捨てられたと推測されたが、この設定もほとんど意味をなしていない。

 

お芝居として演じられたのだろうと、久我は劇団リーダーの本多と部屋を一緒にしてアリバイを作ろうと持ちかける。ところが二晩目が終わったら、今度は元村が殺されたとメッセージが出る。そして元村を撲殺したと思われる花瓶には本物の血がついていた。本当の殺人事件ではないかと狼狽始めたメンバーに、本多は落ち着くように説得する。

 

雨宮は、これまで殺されたのは、先日の第三次の選考会で落ちた上に交通事故で半身不随になり役者生命を断たれた麻倉の見舞いに行ったメンバー三人のうちの二人だと説明、次は自分だからと帰りかける。しかし、そんな雨宮を本多は巧みに引き止める。そして最後の夜、雨宮が絞殺されてしまう、全ては、田所が持ち込んで仕掛けていたビデオカメラに写っていた。

 

そして最終日に午前十時を迎える。本多が、終わったことを告げるが、久我が押しとどめる。実は、久我、田所、中西は昨夜一緒に泊まっていたことを告白、犯人は本多だと説明する。そして、全ては本多の書いたシナリオによるお芝居だと説明、邸内の一角に隠れている車椅子の麻倉を呼び出す。

 

オーディションの三次選考に落ちた麻倉は役者を辞める決心をして実家に帰っていた。そんな麻倉を慰め半分、からかい半分で元村、笠原、雨宮が麻倉の実家に行くが、結局言い争いになり追い返される。帰り道のドライブインで、笠原は謝るつもりで麻倉に電話をし、交通事故を起こしたというお芝居をする。その嘘に気を取られた麻倉は本当に交通事故にあい、半身不随になった。

 

落ち込む麻倉に本多はどんな力にもなると告げるが、麻倉は元村、笠原、雨宮を殺したいと日記に書いていた。本多は麻倉と共謀して今回の計画を実行する。しかし、元村、笠原、雨宮三人は生きていた。本多は、本当に殺害をすれば麻倉も罪に問われてしまうので、笠原らと示し合わせ、麻倉を騙したのである。麻倉は手に持っていたナイフで自害しようとするが本多が押し留め、もう一度一緒に舞台に立とうと励ます。場面が変わり、車椅子に乗った麻倉を主演にした舞台「ある閉ざされた雪の山荘で」の上演が行われ、カーテンコールの場面で映画は終わる。

 

東野圭吾が張り巡らせた小道具や設定を全て反故にした上に、通り一遍に物語をなぞるだけの作品に仕上げたのはあまりにも雑すぎる。使い古された設定なら思い切ったチャレンジをして欲しかった。なんの取り柄もない映画だった。