くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「リバー・ランズ・スルー・イット」(4Kリマスター版)「夜明けのすべて」

「リバー・ランズ・スルー・イット」

淡々と静かに流れるだけの物語なのに、いつの間にか画面に引き込まれていくとっても素敵ないい映画でした。フライフィッシングの美しい釣り糸の流れが映画をとっても美的なものにしていて、作品全体を染み入るほどに優しい色合いに染め上げていく様が素晴らしい。兄と弟の二人の兄弟のかすかに揺れ動く心の描写が、いつの間にか静かな感動を胸に生み出してくれます。人生のひとときなんてこんなものかもしれません。良い映画だった。ただただ良い映画でした。監督はロバート・レッドフォード

 

モンタナの山深い村、幼い二人の兄弟が、牧師をしている父に連れられてフライフィッシングをする場面から映画は幕を開ける。時は二十世紀初頭、理解のある父マクリーン牧師と母、息子たちに慕われ、息子を慈しむ、そんな心温まる普通の家族である。ノーマン達は地元の幼馴染三人を交えて五人で川に遊びに行き、ポールはボートで滝を降ろうと提案する。友達は気後れしてしまうが、ノーマンはポールと一緒にボートに乗り滝を下る。

 

二人は無事滝を下ってそのまま家に帰るが、心配していた両親に叱られる。ポールは自分の言い出した事だと言い張り、ノーマンと喧嘩をしてしまう。生涯、二人が喧嘩をしたのはその一回だけだった。やがて、兄は十六歳を迎え、弟のポールのフライフィッシングの腕前は父を凌ぐほどになっていく。それでもポールは兄ノーマンと一緒に川で釣りをする日々が繰り返される。

 

やがてノーマンは村を離れて大学に行き、ポールは地元の大学に進んで、ジャーナリストになる。教鞭を振るうようになったノーマンは地元に戻ってきて、そこでジェシーというチャーミングな女性と知り合う。ポールを交えて飲みにいく事になるが、ポールは先住民の娘を連れてくる。二人は幼馴染らと飲みにいくが、ポールは途中で一人どこかへいく。友だちの話ではロロという賭博場に出入りしているらしいとノーマンは聞く。翌日、留置所に入れられたポールと先住民の女をノーマンは引き取りに行く。

 

ジェシーの兄ニールがハリウッドから帰ってくるというので、ノーマンは駅へ迎えに行くが、初対面の時から気が合わなかった。ジェシーに頼まれてノーマンはニールを釣りに誘うが、ポールも誘う事にする。しかし、地元のタチの悪い女と酔ったまま釣り場に現れたニールはノーマンとポールが釣りをしている間、裸で寝てしまい日焼けしてしまう。ノーマンはニールをジェシーの家に連れ帰り、ジェシーに責められる。ジェシーの車でノーマンは自宅に送ってもらうが、ジェシーは線路を通ってトンネルの中を抜ける冒険をし、ノーマンを驚かせる。ノーマンの家でポールに会ったジェシーは、ノーマンは面白くないと呟く。

 

まもなくして、ノーマンにシカゴ大学で教授に採用された通知が届く。両親もお喜びし、ノーマンはジェシーに恋を告白する。酒場でポールに話し、二人で飲むが、ポールはノーマンをロロの店に連れていく。ポールはこの店でかなりの借金があるようだった。ノーマンは危険な空気を感じ取り帰ろうというが、ポールは残るというので、翌日父を誘って釣りに行くことを約束してポールを残して家に帰る。

 

翌朝、ノーマン、ポール、父の三人でフライフィッシングに出かける。次々と釣り上げるノーマンを見つめるポールは、流されながらも三人の中で一番大きな獲物を釣り上げる。しかし、どこか寂しい表情を見せるポールだった。ノーマンは喜ぶポールを写真に収める。

 

しかし、シカゴに旅立つ前日、ノーマンは警察に呼ばれる。ポールがロロの店で拳銃で殴り殺されたのだという。ノーマンは両親に報告し、悲しみに沈む両親を慰める。時は経ち、父の最後の説教、死、そして年老いたノーマンが釣りをしている場面で映画は幕閉じる。

 

フライフィッシングの場面を繰り返しながら、静かに進む物語とロバート・レッドフォードの優しい語りで、まるで川の流れのような人生の時間を描いていく作りが映像詩のように美しい。良質の映画という感想がぴったりの名作でした。

 

「夜明けのすべて」

いい映画でした。最初は、パニック障害PMSに悩む人達の物語かと思っていましたが、それはあくまでモチーフであって、描きたい本筋はもっと大きな、そして普遍的なものであるのが徐々に見えてくると、映画にどんどん深みと暖かさが加わってきて、ラストは人生観を考えさせられる感動を覚えてしまいました。前作があまりに傑作だったのでかなり心配でしたが、今回の映画も相当に良かった。監督は三宅唱

 

雨のバス停でスーツを着た女性藤沢さんがバスが来ても乗らず、何かに苦しむようにその場に崩れる場面から映画は始まる。警察官が駆けつけて、友人が引き取りに来る。藤沢さんはPMSと言って月経前症候群という障害があり、生理が近づくと異常なイライラ感を発生させる。病院で漢方薬を貰っているがあまり効果がなかった。入社間もない藤沢さんは、上司に謝罪して仕事を再開するが、新たに貰った薬の副作用で眠ってしまい、結局、退職、五年の月日が経つ。

 

子供向けの工作のおもちゃを作る小さな会社栗田科学に就職した藤沢さんは、周りの人たちに迷惑をかけると、お菓子などを買ってきては謝罪する日々を送っていた。この日も、ついイライラしてしまい、周りの人にお菓子を買ってきたが、ここに山添くんという一人の青年にお菓子を拒絶され怒りを爆発させてしまう。

 

山添くんは、大会社からこの会社に入ってきたが、やりがいをなくして落ち込んでいた。彼は以前、突然パニック障害を起こし職場に行けなくなってここにきたのだった。かつての上司の辻本に愚痴を言いながら毎日を送っていた。そんな辻本は山添くんが元の会社に戻れるように動いてくれていた。

 

ある日、山添くんの忘れ物を届けに行った藤沢さんは、山添くんがパニック障害ではないかと聞いてしまい、自分はPMSだと告白するが、山添くんにはあまり相手にされなかった。藤沢さんは、山添くんが電車にも乗れないのを知って、自転車を届けてやるが、山添くんは拒否する。しかし、美容院へも行けない山添くんが自分で髪の毛を切ろうとしているのを見て、藤沢さんは髪の毛を切ってやる。そして、いきなりの失敗で山添くんを大笑いさせてしまう。

 

山添くんは、藤沢さんの苦しみも理解し始め、PMSについて自分でも調べ始める。そして藤沢さんが、イライラし始めたら、車を洗うことで気を紛らわせたらと提案してみたりする。やがてお互いに心がほぐれ始め、それぞれの障害とうまく付き合い始める。栗田科学の社長栗田和夫は、かつて一緒に仕事をしていた弟を亡くし、遺族の会に長年通っていた。そこには妻を亡くした辻本も通っていた。

 

山添くんと藤沢さんは、恋人でも友達でもないお互いを助け合える不思議な関係が作られていく。毎年、この会社では移動式プラネタリウムのイベントを企画していた。今年はそのMC担当は藤沢さんになっていて、山添くんと原稿を詰めていた。たまたま、栗田社長がかつて弟が説明した時のテープを思い出して山添くんに貸す。山添くんはそのテープを元に原稿を書き始めるが最後のところが消えていた。ある日、倉庫を片付けていた藤沢さんは社長の弟のノートを発見する。そこには最後の部分のメモがあった。

 

そしてイベント当日、藤沢さんは友人を招待し、山添くんは辻本やその家族、かつての同僚を誘っていた。説明の最後、藤沢さんは「夜が来るからその奥に広がる広大なものが見えてくるし、地球が自転している限りいずれ夜は来る。さらに太陽の周りを公転している限り、同じ日はない…」と話す。それは社長の弟の書いたメモだった。イベントは大盛況に終わる。

 

一ヶ月後、藤沢さんは、かねてから進めていた、リハビリ施設に通う母の近くに転職することを決め栗田科学を退職する。山添くんは、栗田科学にそのまま残る決心をする。こうして、みんなが少し前に向いて、それでもいつもと変わらずに働く姿を映して映画は終わる。

 

社長の子供が栗田科学のドキュメンタリーを作っているシーンを上手く使って、物語の説明を補完したり、周りの脇役をさりげない描写で登場させることで普通の日常を映したり、細かい演出が実にいい感じに効果を生んでいます。人も会社も第一印象だけでは本当の姿は見えないという中盤のメッセージから、終盤の藤沢さんが語るメッセージへの流れも実に良い。原作がが良いというのもあるのでしょうが、脚本の構成と丁寧な演出が光る一本でした。