くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「プリシラ」

プリシラ

エルヴィス・プレスリーの元妻プリシラプレスリーの半生を描いているのですが、エルヴィスよりもプリシラの一人の女性としての繊細な気持ちを切なく淡々と描写していく展開が、見終わった後不思議なほどに胸に染み渡ってきました。女性目線というより少女目線の心の機微がとってもセンス良くモダンに映し出されていていい映画だった。こういうのを描かせると本当にソフィア・コッポラ監督、うまいですね。

 

ふかふかの絨毯を踏む足、つけまつげをつける女性のアップの場面にメインタイトルが被って、物語は1959年、西ドイツのアメリカ空軍基地に舞台が移って映画は始まる。カフェでくつろいでいた14歳の少女プリシラは、テリーという軍人に声をかけられる。エルヴィス・プレスリーと親しいのだが、彼のパーティに来てみないかというものだった。エルヴィスもまたこの基地に徴兵されて赴任していた。もちろん本国では引く手数多の大スターである。エルヴィスの大ファンでもあるプリシラは是非行きたいと思うが、両親は大反対をする。それでもテリーが紳士的に説明して、自分の妻と自分とでサポートすることを条件にパーティに行くことになる。

 

夢のような気持ちでエルヴィスのパーティに来たプリシラは、同じアメリカ本国出身者ということもあり、エルヴィスに親しく話しかけられる。すっかりエルヴィスに気に入られたプリシラは再びパーティに誘われ、エルヴィスの部屋で二人きりでアメリカ本土の話に花を咲かせるが、エルヴィスはまだ幼なげなプリシラにはキス以上のことは決して求めなかった。やがてエルヴィスは本国へ戻ることになり、一緒に行きたいというプリシラを残して帰っていく。

 

すぐに手紙や電話をすると言っていたエルヴィスだがプリシラには何の音沙汰もなく一年の月日が流れる。そしてようやく連絡が来て、本国へ戻った途端目まぐるしく忙しかったというのがエルヴィスの言葉だった。そして、メンフィスの自宅に来て欲しいとエルヴィスは言うものの、プリシラの両親は決して許さなかった。エルヴィスは直接プリシラの父に電話をして了解をもらい、プリシラは父とともにエルヴィスの家にやってくる。そしてエルヴィスの提案で、プリシラをメンフィスの学校に転校させ、卒業まで責任を持つから一緒に暮らしたいと言う。プリシラの父もそれを許し、プリシラはエルヴィスの家で暮らすようになる。

 

しかし、ツアーや映画の撮影でエルヴィスはほとんど自宅にいることはなく、プリシラは寂しい日々を暮らす。それでもエルヴィスの家族らは彼女に優しく、エルヴィスも帰ってきたらプリシラを第一に大事にしてくれるのでプリシラは別れている時の寂しさを紛らわせるのだった。そんな中、プリシラの求めに対しエルヴィスは決して彼女を抱こうとせず、ベッドを共にしてもキス以上のことはしなかった。やがてプリシラが学校を卒業した日、エルヴィスは彼女にプロポーズし二人は結婚、ようやくエルヴィスはプリシアを抱くのだが、すぐに以前のように家を空ける。

 

プリシラは、エルヴィスがツアー先やロケ先での女優らとのスキャンダルの記事を見るたびに、嫉妬よりも寂しさを覚える。やがてプリシラは妊娠し、娘リサが生まれる。エルヴィスも大喜びするが、エルヴィスは仕事のストレスから次第に薬に溺れるようになり、時にプリシラに暴力的な振る舞いをするようになる。それでも、エルヴィスはプリシラに優しかった。しかし、プリシラの寂しさは次第に心の中に蓄積し、リサと一緒に別居することになるにつけ、とうとう離婚を決意しプリシラはエルヴィスの家を出て行く。一人車を運転し門を出る彼女の姿で映画は幕を閉じる。

 

エルヴィス自身も孤独の中に沈んでいっているのだが、この作品はプリシラの孤独に焦点を当てる描き方になっていて、まだ十七歳にもならない幼いプリシラを大事にする大人の振る舞いのエルヴィスに、素直に抱いてほしいと寂しい思いをするプリシラの女心がたまらなく切なく思えてくる。ハイキーな背景で逆光を多用した絵作りと1960年代、70年代の空気感を醸し出すプリシラの心の変遷と外見の変化がとっても繊細に描かれているのが素敵な作品でした。主演のケイリー・スピーニーがとってもキュートで可愛らしかった。