くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「四月物語」「死刑台のメロディ」(4Kリマスター英語版)

四月物語

日常のさりげない1ページを美しい感性の色彩と映像、みずみずしいほどの松たか子の表情に、生きてることって良いなあと思わずため息してしまう作品でした。監督は岩井俊二

 

東京の大学に進学することになった卯月が、家族に見送られて出発する場面から映画は幕を開ける。着いた東京は桜の花びらがまるで雪のように舞い散っていて、その中を引越しの荷物を積んだトラックが入ってくる。途中、花嫁を乗せるためのハイヤーの運転手に行き先を聞いたトラックは卯月のアパートへ辿り着く。このオープニング映像がため息が出るほど美しい。

 

何か手伝いをしたいが、引越し業者の足手纏いになっているだけの卯月の浮かれる雰囲気の中、運んだものの全てを部屋に納めきれず、結局、ソファなど大きなものを再度トラックに戻して引っ越しは終わる。お向かいの住民に挨拶を済ませ、やがて入学式からクラス分け、自己紹介でギクシャクした挨拶をした後、食堂で同級生の女子大生に声をかけられ、さらに教室で釣りクラブに行こうと誘われる。淡々と進むストーリーなのだが、なぜかスクリーンに引き込まれていく。

 

卯月は初めてのことに挑戦したく釣りクラブに参加、フライフィッシングを部長から教わるようになる。実は卯月が武蔵野大学に通うようのしたのは高校時代、バンドをしていた先輩山崎に憧れ、彼が武蔵野大学に行ったから後を追ってきたのだ。と言って山崎が卯月を知るわけでもなく、単に片想いだった。高校時代の後輩が東京へあそびにいったさい、山崎が武蔵野書店でバイトしていると聞き、卯月は毎日のように本を買いに行く。

 

ある日、ようやく山崎から、高校のことを聞かれ、後輩だと知れてしまって、卯月は有頂天になる。そして帰ろうとするが雨が降ってくる。山崎が傘を貸すというが卯月は振り切って飛び出してしまう。しかし途中で土砂降りになり、美術画廊の軒で雨宿りをしていてそこで画廊から出てきた男性に傘を借りる。

 

卯月はすぐ戻ってくるからと書店に戻り、山崎に傘を借りるが、真っ赤な傘ながら半分壊れている。それでも卯月はその傘をさして画廊へ戻り傘を借りた男性に傘を返す。壊れた真っ赤な傘をさしながら高揚する気持ちを抑えられない卯月の笑顔で映画は終わる。

 

本当にさりげない物語で、片想いの気持ちがさりげなく伝わるクライマックスと、雨、赤い傘、通りかかりの男性というなんのことはない繊細な演出に頭が下がります。アパートのお向かいの女性がカレーを食べに来てくれたり、必要以上に絡んでこない学校の友達、映画館で怪しい男に近づかれ必死で逃げる姿や、そこでの忘れ物の本を追いかけて届けてくれる怪しい男などなど、たわいないあれこれがとっても良い。桜が舞う景色、雨の彩り、そして映画初主演の松たか子の瑞々しい姿に引き込まれてしまう一本でした。

 

「死刑台のメロディ」

1920年アメリカで起こった冤罪事件「サッコ=バンゼッティ事件」を描いたサスペンス。名作なのかも知れないが、いかんせん暗くて重い映画だった。結局、冤罪だったというエンディングのテロップもなく、ひたすら、実際に行われたらしい偏った裁判の事実を延々と描く様が辛い。戦前のアメリカの汚点をストレートに描写した辛辣さは見ている私たちにも暗い影を落としていく。見応えはあるもののしんどい作品でした。監督はジュリアーノ・モンタルド

 

1920年アメリカ、イタリア労働党のアジトに警察隊が突入してくる場面から映画は幕を開ける。次々と労働党の人々が逮捕され、殴られていく。そして、一台の路面電車が停められ、中にいた二人のイタリア人ニコラ・サッコとバルトメオ・バンゼッティが逮捕される。保身のために持っていた銃を追及され、それが無許可であったことから彼らは嘘つきだと言われ、イタリア移民だったことも暗に匂わせられて警察ではみるみる犯罪者の汚名をかけられていく。そして4月15日に起こった靴工場での強盗殺人事件の犯人であるかのように追求され始める。

 

最初は、楽観的に見ていた二人だが、どうやら自分たちがアナーキストであるとか、イタリア人であるとか何かにつけこだわってくる検察側の言葉に、犯罪を裁く以上に政治的な色合いと差別による何かを感じ始める。弁護についたムア弁護士は無罪を疑わなかったが、検察側のカッツマンや、証言台に立つ証人たちの偽証によって次々と窮地に立たされていく。さらに二人に有利な証言をした老人は退廷後暴行される事態さえ起こってしまう。

 

銃器鑑定にさえ歪んだ結果が示されるに及んで、ムア弁護士は裁判の非道さを訴えるが、ついにカッツマンは事件の真偽よりも二人が英語も喋らないイタリア人で、民主主義もわからず自由主義に対する危険な輩であると本音を暴露するにあたり、さすがの判事もカッツマンを責めることになり、弁護側検察側双方が厳重注意となる。しかし、陪審員の判決は有罪と宣言され、ムア弁護士は不正を判事に訴えるも退けられて、ついにこの地を去ることにする。

 

刑務所に入ったバンゼッティとサッコだが、刑務所で真犯人だという男が現れ、証人たちも自らの犯罪を見逃してもらうなどの条件で偽証した事などがわかり訴えるも、結局判事は取りあわなかった。さらにサッコはとうとう精神を病んで施設に入ってしまう。後を引き継いだトンプソン弁護士は市民の声を嘆願書にして知事に提出、知事はバンゼッティを呼んで直接面談をするが、結局味方になってくれなかった。

 

バンゼッティは施設のサッコに手紙を送り続け、サッコはとうとう正気を取り戻して刑務所に戻ってくる。最後の判決の日、バンゼッティもサッコもあえて抵抗することなく、無罪である旨だけ言葉を発する。7年の月日が経っていた。そして死刑が確定する。やがて刑が執行される日が来て、世界中で無罪の声が聞こえる中二人は電気椅子に沈んで映画は幕を閉じる。

 

少々、荒っぽい演出も見られるが、全編とにかく二人の姿に焦点を当て続けた映像が実に重苦しくて見応えがある。映画の底力を見せつけた迫力はあるのだが、とにかくしんどい映画だった。