「敵」
死を間近に控えた主人公の現実とも幻想ともつかない日々をモノクロームの美しい映像で綴っていく秀作。淡々と流れる物語の中にさりげない欲望や思い出などが描かれていくのは、この年で見るとなんとも切ない。人生の晩年の孤独というのはこういうものだろうかと背中がそれとなくゾクっとしてしまいました。映画としてはなかなかの一本ですが、さすがに身につまされてしまいました。監督は吉田大八。
夏、大学教授の渡辺儀助が、朝食を作り、食事をし、家を掃除しているさりげない日常から映画は幕を開ける。すでに仕事は引退し、妻にも二十年前に先立たれ、子供もなく、わずかなエッセイの投稿という仕事だけで暮らしている。生活費から年金収入と原稿料を差し引き、残りの人生が後どれくらいかを測って、その日に死ぬことを覚悟している。
行きつけのバー夜間飛行で親友と酒を飲む。そこでオーナーの姪だという歩美と出会う。自宅に、かつての教え子靖子がやって来る。渡辺は靖子にほのかな恋心もないわけではなく、つい夢の中で抱こうとするがそんな夢もすぐに覚めてしまう。庭の井戸を掘ってやろうと知人の若者が時々やって来る。時折悪夢のようなものを見るようになり、パソコンに敵という題名の怪しいメールが届く。隣に住む老人は家の前に犬のフンを落とされると通りかかった散歩の女に悪態をついている。
井戸を掘っている青年から、見慣れない男が立っていたことがあると言われて、渡辺は疑心暗鬼になっていく。季節がうつり秋、冬、親友が入院する事になり見舞いに行くと突然苦しみ出して「敵」と呟く。歩美に三百万を貸したがある日店に行って見ると店は無くなっていて歩美にも連絡がつかないと告白する。
次第に渡辺の夢に亡くなった妻が現れるようになる。ある日担当の編集者が若い編集者を連れてきて、エッセイは今回限りで打ち切りたいと告げに来る。若い編集者は全くフランス文学に疎い人物だった。パソコンに敵からURLが送られてきてクリックすると画面が真っ暗になってしまう。仕方なくコーヒーでも飲んでいると画面に謎のメッセージが延々と表示され始める。
ある夜、靖子と鍋を囲もうとしていると、以前来た若い編集者がやって来て遠慮も知らずに食事をする。妻も現れ、靖子に思いを寄せているのではないかと詰め寄る。妻が出て行った後、部屋に戻った渡辺は若い編集者が靖子に殴り殺されている現場を見る。二人で庭の井戸に捨てようとするが井戸を掘っていた若者が懸念をしめす。
朝、渡辺が玄関に出ると隣の老人がまた犬のフンで通りかかった女に罵声を浴びせていたが、突然、北からの敵が老人を撃ち殺し、渡辺は物置に逃げ込む。渡辺はまた春になったらみんなに会えるからと呟いて後、春、渡辺の葬儀の場面、遺言書を読む弁護士の姿。遺産を引き継いだ親戚の若者が物置に行き、渡辺の双眼鏡を見つけて覗くと何かを見つけた後、双眼鏡は地面に落ちて青年が消えて映画は終わる。
どこまでが夢か現実かわからないままに見ていると、いつの間にか自分が夢の中に入り込んでしまってラストを迎えるという入り組んだ構成ですが、何気ない日常に迫る死=敵という描写はある意味寒気がするほどに怖い。しかし、美しい思い出で夢を繰り返す渡辺の姿もまた映像としてとっても抒情的で透明感がある。何気ない話なのに映像が伝えるメッセージにいつの間にか酔いしれてしまう一本だった。
「ワン・フロム・ザ・ハート リプライズ」(4Kレストア版)
非常にシンプルなラブストーリーを超贅沢なセットと、めくるめくファンタジックな夢物語のような映像で描き切ったある意味映画とはこういうロマンティックなものだと見せつけられる作品。初めて見た時は「地獄の黙示録」など超大作の後だったので影が薄く印象がなかったが、今見直してみると、これもまたコッポラらしい作家の映像作品だと納得させられる。一方で、ヒットしなかったというのもわかるような映画だった。監督はフランシス・フォード・コッポラ。
カーテンが開くと砂漠の中に埋もれたネオンの看板、やがてそれは壮麗なラスベガスの夜の景色になって映画は幕を開ける。ショーウィンドウで飾り付けをするフラニーは、ボラボラ島への旅行案内を作っている。家に帰ると恋人のハンクがいて、二人は体を合わせるが、出会った五周年記念にフラニーはボラボラ島へのチケットハンクは家の権利証をプレゼントしたりする。食事に出かけるつもりのフラニーと自宅で食事しようとするハンクは意見が食い違って喧嘩してしまう。
フラニーはショーウィンドウを飾っていて、近くの店でピアノを弾いているレイに声をかけられ誘われる。一方ハンクは友人のモーとラスベガスを歩いていて街頭でサーカスの宣伝をしているライラに惹かれ、後日のデートを約束する。
フラニーはハンクの家を出て友人のマギーの家に泊まる。そしてレイの店を訪ね、レイと体を合わせる。一方ハンクもライラと待ち合わせて車の中で体を合わせるが、実は今もフラニーへの思いを断ち切れずにいた。ハンクの前にフラニーがレイと過ごしている姿が映り、ライラと別れてフラニーの元へ急ぐ。ライラはハンクが振り返ると消えていた。
フラニーとレイが抱き合う現場に飛び込んだハンクだが、フラニーたちはボラボラ島への旅行に旅立とうとしていた。ハンクは空港まで追いかけ、フラニーを連れ戻そうとするがフラニーはレイと飛行機に乗ってしまう。落胆したまま自宅に帰ったハンクの前にフラニーが戻って来る。二人は抱き合い、カメラは夜のラスベガスをゆっくり俯瞰で捉えて映画は終わる。
なんのことはない物語だが、金に糸目をつけずに作ったラスベガスの夜のセット、さらにそれぞれのカップルが過ごす夢のような舞台セット、などが素晴らしく、時に場面が交錯して心の風景が映し出されたり、映画的な演出が施されたり、流石に映像作品として非常に凝っているのですが、何かスパイスというかインパクトが弱い気がします。終始背後に流れる美しい楽曲も素敵だし、流麗なカメラワークも見事なのですが、だからどうなのだろうと言えなくもない。でも個性的でロマンティックな一夜を体験したような感じに浸れる映画だった。
「アウトサイダー コンプリートノベル」(4Kレストア版)
ロードショーで見た時もあまり印象に残らなかったのですが、全体が群像劇として描かれているせいかと思います。ただ、映像は目が覚めるほどに美しいし、全体を覆う情緒感は不思議なくらいに胸に迫って来るものがあります。行き場もなくもがくだけの若者たちの姿は、一昔前といえばそれまでですが、不思議なほどに青春という瑞々しさを感じさせてくれる映画だった。監督はフランシス・フォード・コッポラ。
映画館を出てきたポニーは敵対するソッシュのメンバーに追い回されるところから映画は幕を開ける。なんとかグリースの仲間たちの所に逃げ込んだものの、やられっぱなしの状態だった。北部のやや貧困層のグリースと南部の富裕層のグループソッシュはいつも歪みあっていた。ポニーたちの兄貴分的なダラスは先日刑務所から出てきたばかりだった。ダラスは乱暴者で、嫌われることもあるがポニーやジョニーたちにとっては頼れる兄貴分だった。
この日、ポニーたちはドライブインシアターに出かけ、そこでソッシュのリーダーの彼女チェリーと知り合う。それが気に食わないソッシュのメンバーは執拗に絡み、ポニーとジョニーが公園で屯していて襲われてしまう。ポニーが噴水に顔を沈められ乱暴されるのを見たジョニーはナイフでメンバーのボブを刺し殺してしまう。二人はダラスに相談に行き、ダラスは丘の上の廃墟の教会に隠れるように指示する。
ほとぼりが覚めた頃、ダラスがポニーたちのところに来て三人で街に食事に行くが、戻ってみると教会が燃えていた。しかも幼い子供たちが中に残っているという。ジョニーは火の中に飛び込み、続いてポニーもダラスも飛び込んで子供達を救出する。この事件はニュースになって三人は英雄になるがジョニーは重傷を負って入院してしまう。
ソッシュがグリースに仕掛けてきた決闘の夜が近づいていた。この日、ポニーや長男のダリー次男のソーダらと共に決闘に参加し、ソッシュを撃退する。ダラスとポニーがジョニーに結果を報告に行くがジョニーはその場で亡くなってしまう。自暴自棄になったダラスは店を襲って逃亡する。ダリーたちが駆けつけるがダラスは空砲の銃を警官に向けて撃ったために警官に撃ち殺されてしまう。
ジョニーとポニーがボブを殺した裁判が行われ、無罪の判決が降りる。学校へ行ったポニーだが、チェリーからは無視されてしまう。自宅に戻ったポニーは兄のダリーやソーダらと喧嘩するが、ソーダがもう喧嘩はやめようと訴えダリーも反省、三人は肩を組んで夕陽に向かって映画は終わる。この日ポニーは映画館を出て来る。映画館では「ハスラー」が上映されていた。
切ない映画ではあるけれど、背後に流れる物悲しい曲と相まって、しみじみと感傷に浸ってしまう作品だった。