「ジュテーム・モア・ノン・プリュ」
まず音楽が素敵に美しい。その曲に乗せて描かれるラブストーリーのリズムが、ゲイと女性の物語にもかかわらず詩的に見えてくるのがとってもピュアでよかった。。監督はセルジュ・ゲンズブール。
一台の黄色いトラックを運転する男の手の場面から映画は始まる。突然フロントガラスにカラスがぶつかる。ゴミ処理をしながら街を転々としているクラスキーとパドヴァンは、ある街でカフェに寄った際に一人のボーイッシュないでたちのジョニーという女性と出会う。クラスキーはジョニーを口説き始めるが、そんなクラスキーに嫉妬心を覚えるパドヴァン。
クラスキーはジョニーと次第に親しくなり体を合わそうとするが、クラスキーは女性であるジョニーを抱くことができない。そんなクラスキーにジョニーは自分を男と思って抱いてとせがむ。しかし背後から挿入されたジョニーはその苦痛に絶叫してしまう。
一方、ないがしろにされたパドヴァンはだんだん自暴自棄になって行く。クラスキーとジョニーは何度か体を合わせることを試みるが、ジョニーが絶叫するのでその度にホテルを追い出された。そして荒野の真ん中にトラックを止め、その荷台で二人は体を合わせる。前でも後ろでも関係なく同時に達するのが良いとクラスキーはつぶやく。
ジョニーが一人で風呂に浸かっていると突然背後からビニール袋を顔に被せられる。嫉妬に狂うパドヴァンだった。そして、危うく首を絞められるところへクラスキーがやってきて助けてやる。しかし、クラスキーはパドヴァンのことを殴ることもできなかった。そんなクラスキーにジョニーは思わず「オカマは出て行け!」と叫んでしまう。クラスキーはパドヴァンと一緒にトラックで去って行く。ジョニーは全裸のまま後をおいかけ、「本気じゃなかった」と地面に倒れて映画は終わる。
セルジュ・ゲンズブールの美しい楽曲が随所に流れ、クラスキーとジョニーの大胆なSEXシーンが繰り返されるが、映画全体の流れが実に詩的で美しい。ラブストーリーの秀作という感じの一本でした。
「わたしはダフネ」
いい映画でした。空間の説明シーンがないために、今どこにいるのか前半わかりにくかったけれど、終盤はいつの間にか引き込まれていました。ダフネを演じたカロリーナ・ラスパンティという女優さんが抜群に良かった。ラストは一気に涙が出てしまいました。監督はフェデリコ・ボンディ。
ダウン症の娘ダフネと母マリアがのどかな道を歩いている場面から映画が始まる。さりげないシーンだが、ダフネが本当に心優しくて人の気持ちがわかる娘だと短い間に見せてくれる。村のパーティでしょうか、若者たちと踊るダフネはいろんな友達から親しげに声をかけられる人気者。ある時、洗濯物を見に行った母が戻らないのでダフネが見に行く。続いてダフネの叫び声、病院で落ち込む父ルイジのシーンへ続く。何が起こったかわからないが、手術をした結果マリアは死んでしまう。葬儀の場面が映されるが、ダフネはダウン症ゆえかすぐに立ち直ったかに見える。
職場ではみんなからお帰りと歓迎され、新入りの同僚とも仲良くなる。ところが父のルイジは妻の死に打ちのめされたようになってしまい、経営している店も閉めてしまう。ある夜、ルイジは懐中電灯を持って廊下を歩いているのを見たダフネは心配になる。そして、母マリアの故郷へ歩いて行こうと提案する。ダフネは村のパーティで夜遅く帰ってきたりして、ルイジは心配するが、ダフネは着実に大人へと成長していることを実感する。
そしてルイジはダフネと一緒に一路徒歩でマリアの故郷へ向かう。行った先で、宿の女主人にルイジの辛い思いを話したりする。ダフネは持ってきた荷物の中に秘密のものがあるという。途中色々な人と出逢いながらようやくマリアの墓地にやってくるが開いていないので翌日またくることにして、実家の家に二人は行く。そこでダフネは秘密にしていたあるものをルイジに渡す。それは、マリアが生前息を吹き込んだ風船か何かで、ダフネはこの中にお母さんの息があるからとルイジに渡して映画は終わる。このラストで一気に涙が出ます。
一見、ダウン症のダフネを憐れむような展開かと思えば、高齢で弱って行くルイジの姿を並行的に描いて行くので、ダフネの成長、ルイジの立ち直る姿が見事に映し出されていきます。映像にテンポも良いし、なかなか良質な作品でした。