くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「燕 Yan」「その手に触れるまで」

「燕 Yan」

よくわからない映画というか、いかにもな細かいカットや意味不明のズーミングを繰り返すのですが、結局ストーリーを語ることもできずにエンディングを迎えた感じの作品でした。正直退屈だった。監督は今村圭佑。

 

ある日、日本に住む早川燕は、父から台湾にいる兄龍心に、相続放棄の書類をもらってきて欲しいという。父の事業が厳しく、迷惑をかけたくないためだという。燕の台湾の母は、5歳の時に燕を残して兄を連れて台湾に帰ったいう過去があった。

 

燕は気乗りしないままに台湾にやってきて龍心に会うのだが、どうもすっきりとした心の交わりが持てない。龍心には息子がいてなんとか近づこうとするのだが、なかなか交わらない。

 

燕は幼い頃、母が台湾人であるが故に周りから疎まれたこと、風習の違いからいじめられたことなどを回想する。そして、寂しい思いをする燕になんとも言えない切なさを感じさせる母の姿がなんとも言えなくもの悲しいのですが、この辺りの描写が妙に弱くリアル感がない。

 

既に台湾の母は亡くなっているが、兄龍心と燕との溝があるのは、一つにはお互いの幼い頃の記憶によるものかもしれない。龍心の友人トニーを通じて、次第にほぐれていき、最後は燕は自分の存在を掴んだようなエンディングで映画を締めくくる。ただ、意味不明の映像編集やカメラワークで翻弄されてしまい、ひたすら眠かった。

 

「その手に触れるまで」

これはなかなかの映画、物凄いといえばものすごい映画である。一人の少年の成長なのか、宗教の本質をつくものか、さらには命の根元を表現したものか、その圧倒されるラストシーンに唖然としてしまいました。監督はダルデンヌ兄弟

 

ベルギーのある街、一人の少年アメッドが放課後教室が終わり帰りがけ、宗教上の理由で担当のイネス先生の手さえ握ることを拒んで家に帰る。ゲーム好きだった普通の少年だった彼は、近所にいたイスラム教の導師に感化されて、次第に宗教にのめり込んでいくようになっていた。肌をあらわにした姉を娼婦だと蔑み、アルコールを飲む母を罵倒するような言葉を浴びせる。

 

イネス先生は近代的にアラビア語を教え、コーランの教えも大切だがもっと視野を広げるべきだという意見を持ち、地元のイスラム教徒たちの一部から反感を買っていた。そんな先生に対して導師はイスラムの敵だとアメッドに教える。それを真に受けたアメッドは、ある時、イネス先生を殺そうとナイフを向けてしまう。

 

アメッドは少年院に入れられ、まもなくして導師も逮捕される。しかし、狂信的にイスラム教の教えを守ろうとするアメッドは、歯ブラシを盗んで、先を尖らせて、イネス先生との面会の機会を待つ。しかし、心理療法士の許可が下りず、やっと面会の機会を得て、兼ねてから準備していた歯ブラシを準備するも、イネス先生が精神的に乱れてしまい機会を失う。

 

アメッドは、少年院の作業所で一人の同年代の少女ルイーズから好意をもたれ、キスしてしまう。自己嫌悪に落ち入り、地獄に落ちると信じたアメッドは、ルイーズに改宗するように迫る。しかし、彼女は拒否し、アメッドに別れをいう。

 

アメッドは作業場の農場から帰る途中、車から逃げ、そのままイネス先生の放課後教室のところへ行く。そこで、壁に突き刺された釘を手に入れ、再度イネス先生を狙うべく、壁をよじ登るが屋根から落ちて背中をしこたま打ち、身動きできなくなる。

 

ママと叫び、準備した釘でフェンスを叩き助けを呼ぶアメッドのところに、音に気がついたイネス先生が駆けつける。身動きできないアメッドは、宗教的な理由で女性の手を触らないと決めていたイネス先生の手を取り、許してほしいと叫ぶ。イネス先生は救急車を呼ぶからと答えて、暗転、映画は終わる。

 

自分が本当に身動きできなくなり、命の危険を感じて、初めて本当に宗教とはなんなのかを身を持って知った上イネス先生に謝罪をする。自分の宗教への信念を貫くべく準備した凶器の釘を使って助けを呼ぶことになるラストの暗示と描写がすごい。いや、実はアメッドはまだイネス先生を狙っているのか?そんなことはないと思いたい。久しぶりに圧倒される力強い演出に出会いました。