くらのすけの映画日記

大阪の社会人サークル「映画マニアの映画倶楽部シネマラムール」管理人の映画鑑賞日記です。 あくまで忘備録としての個人BLOGであり、見た直後の感想を書き込んでいるので、ラストシーンまで書いています。ご了承ください

映画感想「あゝひめゆりの塔」「帰郷」(吉永小百合版)

あゝひめゆりの塔

第二次大戦末期の沖縄で、看護婦として徴用された女生徒たちの悲劇を描く群像劇。緻密な脚本と丁寧な演出で隙のない展開は流石に見ごたえ十分な人間ドラマでした。監督は舛田利雄

 

踊り狂う若者たちの姿、踊っている曲をリクエストした一人の青年に誰かが声をかけるところから映画は始まる。そして時が遡り、第二次大戦も中盤を迎える昭和十八年、苦戦をする日本軍の様子が伝えられる中での沖縄。将来教師を目指す沖縄師範学校女子部の和子はこの日も勉強に勤しみ、弟や級友たちとの日々を過ごしていた。しかし、戦禍は次第に沖縄に迫り、和子の母は小学生たちを乗せて対馬丸で本土租界へと旅立つ。しかし、米軍潜水艦で対馬丸は撃沈され、和子は弟武と二人きりになる。

 

秋の運動会などを経て間もなく卒業式という日、軍部は師範学校の女生徒に臨時看護婦として従軍するようにという命令が降る。校舎も焼け、米軍の空襲が連日行われ、沖縄上陸した米軍は次第に首里から南下を始める。それに伴い和子たちも南へ移動しながら負傷する兵士たちの看護を続けていくが。悲惨な状況は日に日に高まっていく。やがて日本軍は沖縄撤退を決意、その中、和子たちに校長から任務終了が通達されるが彼女たちの逃げ場はすでになかった。

 

各自、自害のために手榴弾を持って南へ逃げたものの、次々と先生や級友が死んでいき、決死の逃亡を前に和子たちは最後の食事をする。やがて外では終戦の米軍の呼びかけが聞こえてきたが、それを信じる状況もなく、和子らは手榴弾を抱いて自害していく。こうして映画は終わる。

 

歴史の史実ゆえ、物語は周知しているものの、群像劇として隅々まで描いたなかなかの力作でした。こういう映画は後々までちゃんと残して上映すべき一本だった

 

 

 

「帰郷」

普通の文芸映画という一本で、淡々と静かに進むある家庭の物語、その背景にキューバ革命があってという時代色も垣間見られる原作の色が見える映画でした。監督は西河克己

 

1959年、キューバ革命が成功したというテロップの後、ハバナにて、高野左衛子が日本の外交官守屋恭吾と会う場面から映画は幕を開ける。守屋はキューバ革命を影で応援し、翌日日本へ脱出する予定だった。革命に乗じて宝石などを収集した左衛子は、たまたま恭吾が脱出する時間を聞いてしまう。ホテルに帰った左衛子を政府側の刑事が待っていた。左衛子は、宝石などをの取引を抑えられるとおどされ、恭吾の逃亡の日時を刑事に漏らしてしまう。脱出の日恭吾は逮捕された行方不明になってしまう。

 

時が立って1964年日本、恭吾の娘伴子、妻節子は、大学教授の隠岐と結婚し幸せに暮らしていた。ところが、キューバで亡くなったと聞いていた恭吾が日本へ帰ってきたという噂を聞く。編集社に勤める伴子は仕事でたまたま画廊をしている左衛子に会い、恭吾のことを知ってしまう。隠岐は、家族の幸せのために恭吾と再会することに疑問を感じるが、節子の気持ちも複雑だった。

 

伴子は左衛子に教えられて恭吾が奈良にいると知り、会いに行く。恭吾は大人になった伴子を見て安心する。隠岐は別途手紙を出して、恭吾と会う。隠岐は、節子や伴子と相談し、恭吾とどう付き合うかはそれぞれに任せると伝える。節子は今更会うことはないと答えるが、隠岐が恭吾は深夜の飛行機で日本を離れると伴子に伝える。伴子は一旦家を出たが、電車が事故で不通になっていてそのまま戻って来る。家に帰った伴子は、恭吾に会う気持ちは失せてしまったと話し、節子や隠岐といつも通りに振る舞い、隠岐の家庭は元の姿に戻ったかに見える。恭吾は一人飛行機に乗って、日本を見下ろす姿で映画は終わっていく。

 

これという出来のいい作品ではないかもしれないが、登場人物の心の微妙なざわめきの機微がしっかり出た演出、そして演技は、流石にクオリティが高い。真面目な文芸映画という感じの一本だった。