「雁」
豊田四郎ならではの映像美術の世界を堪能する秀作。原作が森鴎外であるから、当然、文芸ものである。木村威夫の美術セットの美しさと豊田四郎ならではの影を利用した美しいショットが随所にみられ、かなわない恋に揺れる主人公お玉(高峯秀子)の物語がみごとにスクリーンに描かれていました。
妻に先立たれた呉服屋の旦那の妾となった主人公、実は妻がいないことも嘘、呉服屋も嘘で実は世間に嫌われる高利貸しである男のもとに妾の身になったが、年老いた父を助けるためにやむにやまれず選ぶことのできない運命に放り込まれる主人公。
時代風景の描写も丁寧で、さらに男の妻が不気味にお玉に近づいてくる恐ろしさ、さらに近所の魚屋などからの冷たい視線など、当時の世間の目を描く一方で、次第にさりげなく見えてくる学生への想いが実に見事に映像になっています。
雨の降る様子を影で映し、そこに浮き出すお玉の姿に表現する恐怖心や、着物にくっきりと映える草木の影のショットなど、ハッとさせる美学はさすがに豊田四郎ならではです。
ラストシーンのあたりはややくどい部分もなきにしもあらずですが、高利貸しの男が金に頭を下げながら生きていかざるを得ない悲哀の姿を表現したりと非常に丁寧な人物描写も見事な一本でした。
「春の戯れ」
何のことはない平凡な映画である。公開された時代の息吹が痛烈に伝わってくる作品で、時を隔てた普遍性というものがほとんど感じられない。しかも、山本嘉次郎監督の演出スタイルなおでしょうか、非常に一つ一つのシーンが長い。じっとカメラを据えたまま、俳優たちの演技をとらえたり、これでもかというほど一つ一つのシーンの展開もしつこいのである。
ストーリーは何とも単純。品川の浜辺を舞台に、主人公お玉(高峰秀子)とその幼なじみの青年(宇野重吉)との恋い物語なのだが、この青年、外国船の船乗りになるのが夢で、たまたまやってきた外国船の船員に誘われて、船に乗ろうとする。それを必死で止める父親や彼に恋するお玉の姿をくどくどと描く。
結局、お玉が折れて、愛する人の夢を叶えるべく、彼女を嫁にほしいといっていた気のいい、しかし、中年の呉服屋の主人と婚約をする。ところが、お玉は青年との一夜の過ちで身ごもっていた。
呉服屋の主人はそれを承知で、二人は仲むつまじく暮らすが、そこへ2年越しに青年が帰ってくると、これまためんどくさい展開なのです。
結局、青年は再び笛に乗って、まぁ、めでたしめでたしと大団円。
これで終わりかと思えば、また物語が続くというくどい展開に辟易してしまう作品でしたが、今と違って、婚前交渉やできちゃった結婚などもってのほかだった当時の世相をまざまざと映し出していて、興味深い一本でした。
「馬」
この作品は黒澤明が助監督についているという逸品。これは見たかった作品だったのですが、いかんせん、こちらも山本嘉次郎監督、一つ一つのシーンシーンが非常に長々と描かれ、ストーリー展開もしつこいのは先ほどの「春の戯れ」とほとんど同じパターンでした。
黒澤明が助監督であるからといって、どの部分が黒澤明が参加しているのかなどわかる由もなく、ひたすらまだ17歳だった高峰秀子の愛らしいまでに可憐な、それでもしっかりとした演技を楽しむ一本でした。
物語は無類の馬好きの少女いねが馬の競市で馬をみているシーンに始まります。三度のご飯より馬好きないねの家は東北の貧乏な農家、周りの農家はどこも馬を飼っているのに、この家だけ買う金もない。ところが、妊娠している馬を世話をする代わりに生まれた子馬をもらえるという話で馬を飼うことになる。
献身的に馬の世話をするいねの姿を中心に、今ではほとんど見かけない東北のうらさびしい農村の姿が描かれていきます。
馬の病気、父親が馬にけがをさせられるなどのプロットの一つ一つ以外に、ナマハゲが登場するシーンや、お祈りで病気を治そうとするおばあさんの考え方など、今となっては描かれることも少ないシーンなどもふんだんに登場するのもみる価値のある作品でした。
さらに、子馬のままに売られるのを阻止するべく紡績工場へ働きにいくといういねの行動など、当時の時代背景も叙述に映し出す展開もなかなか興味深いです。
農家の土間のシーンを横長の広い構図でどんととらえるショットが実に見事ですが、いかんせん、この作品もワンシーンが延々と長い。「春の戯れ」ほどだれることはありませんが、ストーリーは実に単純で、単純なプロットが何度も繰り返されるのは何ともしんどいです。
ただ、子馬が生まれるシーンでやきもきするいねの姿を演じた高峰秀子の愛らしい演技が見事で、才能の片鱗を伺わせるに十分だった気がします。
結局、成長した子馬が競市で売られるシーンでエンディングへ続きます。これといってとらえる作品ではないかもしれませんが、見て損のない作品だったと思います。