「闇のあとの光」
素直な感想を書けば、全くわからなかった。全編すべてシュールな世界で、シーンとシーンになんの脈絡もない。にもかかわらず、画面が実に美しいし、四隅周辺をレンズで覆ったのか、不思議に二重にぼやけている。
監督はメキシコのカルロスレイガダスという人である
映画は、一人の小さな女の子が草原を走り回っている。周りにはたくさんの犬、牛、さらに、馬、彼方に山々。
きゃあきゃあいいながら走り抜けるシーンに続いて、突然部屋の中が写され、オレンジ色に輝く角に生えた、しっぽの二本足の怪物のようなものが入ってくる。。手には箱を持っている解説によれば、これが邪悪の象徴であり、これが入ってきて、家族が崩れるという展開らしい。
シーンが変わると、ベッドで目覚める夫婦、そこへ、さっきの女の子がきゃきゃっと飛び込んでくる。おむつをした男の子が飛び込んでくるどうやら冒頭のシーンは、その女の子が見ていた夢らしい。
しかし、こうして物語はこの家族の話かと思えば、訳の分からない登場人物が次々と現れ、さらに、乱交パーティの場所で、女性が大勢の男たちと交わっていたり、ふつうの食事のシーンがあったり、突然、さっきの子供たちが少し大きくなった場面があったり、取りとめもなく不思議な展開を繰り返す。
どの場面にも、周辺をぼかした、しかもシャープな色合いの映像が展開。タルコフスキー的かと思えばいいのか、と見ているが、どうもそうではない。ブニュエルタッチかと見ても、そうではない。
どうやら、子供たちの父親は病気らしく、妻とSEXしようとすると感染するかもしれないからと言われ、じゃあ、エイズなのか?と思っていると、まもなくして父は死んでしまい。再びオレンジ色の怪物のシーンが繰り返され、それを見つめる男の子のシーン。
画面が変わると、父親が、山に向かって歩いていき、突然首を自分で引きちぎって死んでしまう。
カットが変わると、ラグビーをする青年たち。暗転、エンディング。
たまたま、友人も見に来ていたので、聞いてみたが、全く脈絡のない映画だったと、同じ感想だった。
チラシの解説によると、赤い邪悪がやってきて、平和な日常がゆがみ始めるという映像らしい。ストーリーとしての作品より、直接感性に訴えかける映像世界だったのだろう。どうも、最近のカンヌ映画祭受賞作品は、意味不明なものが多くなってきた気がします。
「ヴィオレッタ」
母親が娘のヌードを撮影した実話を元にした作品で、当事者であるモデルだったエバ・イオネスコ自身が脚本、監督をした作品である。
なんといっても、圧巻は母親アンナを演じた名優イザベル・ユペールの抜群の存在感、そして、目の覚めるような美少女として登場するヴィオレッタを演じたアナマリア・バルトロメイの妖艶さがこの作品を支えた感じである。とくにアナマリア・バルトロメイは、「ダウンタウン物語」のジョディ・フォスターを彷彿とさせる存在感が終盤に見られた気がします。
映画は、夜、一人でケンケンで遊んでいるヴィオレッタのシーンに始まる。おばあさんと二人で暮らしている。母親のアンナは自堕落で、この日も、家に挨拶によるだけで、また男とでていってしまう。
そんなアンナが、愛人の画家からカメラを贈られる。
元々写真家でもあったアンナは、娘のヴィオレッタをモデルに写真を撮り始めるが、その美しさに魅せられていき、どんどんエスカレート。
娘のヌード写真を平然と、そして、狂気のごとく撮り始めるのである。そして、自分を芸術家気取りで、当たり前のようにきわどい写真を撮り続け、周囲の忠告さえ無視していく姿は、まさに名女優イザベル・ユペールの迫真の演技に引き込まれる。
確かに、いやな存在として登場するアンナだが、娘に狂っていく異常さが見事にスクリーンから伝わるのである。
一方のアナマリア・バルトロメイも、そんな母親に翻弄され反発しながらも、写真を撮られることに魅せられる微妙な子供心を見事に演じていく。
しかし、エスカレートしていく母親に、自分を見失わないヴィオレッタは、母親に反発し、避けるようになっていく。ほどなく、写真集が物議を醸しだし、訴訟を起こされ、親権を脅かされていくアンナ。執拗なまでにヴィオレッタから離れられない彼女だが、周囲の目、法の目がどうしようもなく、アンナとヴィオレッタを遠ざけていく。
祖母の死からさらに狂気的になる母に、とうとうヴィオレッタはひったくりの犯罪を犯し、施設に入れられる。面会にきた母親を避け、窓から逃げ、走り去るヴィオレッタのシーンでエンディング。
とにかく、二人の女優の演技力がすばらしく、エバ・イオネスコの演出は普通に見えるが、抜群の演技力が、それなりの作品として完成させている。
とにかく、アナマリア・バルトロメイがかわいらしすぎた。