「小さな恋のメロディ」
テレビでしか見ていない名作の一本、ようやくスクリーンでみることができた。
今更いうまでもない、10歳のダニエルとメロディのピュアなラブストーリーがビージーズの名曲に乗せて描かれていく。いわゆる、ファンタジーである。
監督はワリス・フセイン、脚本はアラン・パーカー。全編に流れるビージーズのみずみずしい曲に乗せて、まるで散文詩のような映像と物語が展開していく。とにかく、美しい。
今回思ったのは、トレイシー・ハイドとマーク・レスターってあんなに幼かったかということです。確かに10歳の少年少女の話だから、幼くて当然だが、本当にかわいらしい。だからこそピュアなラブストーリーが成立するのだろう。
しかも、前半導入部は、大人たちが子供にいかに無関心か、子供たちがいつの間にか成長していることに余りに気がつかないかを、ちょっと辛辣なカメラ視点で描かれる様は、やはり凡作ではない。
そして、二人がお互いに牽かれ、恋に落ち、一気に結婚へと進む展開のさわやかさはもう、すがすがしいほどに美しい。
有名なトロッコで消えていく二人の姿は、これからいったい二人になにが起こるか、という映画の醍醐味を見せつけてエンディングとなる。やはり名作。
「ジヌよさらば〜かむろば村へ〜」
おもしろい物語と、ちりばめられたギャグの数々は理解できるが、映像作品としてテンポガ乗ってこない。つまり脚本と演出の弱さである。せっかくの芸達者を使いきっていない。
監督、脚本は松尾スズキだが、どうも映画のセンスはないのだろうか、ちょっと残念な映画だった。
物語は、東京で金でひどい目にあって、金をさわることができなくなった主人公高見がまほろば村という東北の田舎にやってくるところから始まる。
神様と呼ばれるおっさんや、村長らしくない村長、妙にエロい女子高生、などなど個性的な村民が彼を迎える。このお膳立てはなかなかおもしろいのだが、繰り返されるギャグの数々が、すべて映像としてのリズムになっていない。舞台的なのである。
さらに起こってくるエピソードが支離滅裂に展開するので、いったい、どう進んでいくのかわからなくなるのだ。
銭にさわれない主人公が起こすどたばた激化と思えば、終盤は村長候補の話、村長が殺人犯だった話など、あれもこれもてんこ盛りにエピソードが乱立、しかも、スーパーの前でふつうに札束を握って燃やす主人公高見のカットは??となるのだ。
神様が死んで、ザリガニが降って、とけ込んでしまった高見が、仲良く村民とほほえんでエンディング。う〜〜んなんかまとまりがない。駄作とはいわないが、今一歩。
「君がいなくちゃだめなんだ」
一時間足らずの映画なのに、割引もきかない映画ってどうよ。と思うが、この手の短編ファンタジーはけっこうはまる作品もあるので、見に行きました。
映画は、一台の車がフレームアウトし、事故のような音が聞こえ始まる。
一人の絵本作家楓アンは、次の作品に苦心していた。編集部からきた女性からもせっつかれ、それでも脳天気な彼女は脱出、母の経営する本屋で時間をつぶす。
ところが、戻ってみると愛猫のペローがいなくなっていた。
そして街角に「ペローを生き返らせたければ太陽と引き替え・・という」悪魔のメッセージを発見する。しかし、それは父光平からのメッセージだった。
物語は、実は冒頭の車には光平と妻、そして愛する娘楓が乗っていた。事故で娘も妻も亡くし、一人になった光平は、楓のことを残せるのは自分だけだと小説を書き勧める。
このあたりから、アンがペローで、光平の本の中の主人公であるのが見えてきて、すべてが、ファンタジーとなっていく。
少々、無理のある部分もないわけではないし、これという個性的な作品でもないが、軽いプロモーションビデオをみる感覚で楽しむことができた。正直、この手のお話好きです。