くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ラフィキ ふたりの夢」「夕陽のあと」

「ラフィキ ふたりの夢」

今流行りのLGBTを扱った作品ですが、差別を差別として、偏見を偏見として丁寧に描いた良質の作品でした。監督はワヌリ・カヒウ。

 

軽快な音楽をバックに映画は幕を開ける。主人公のケナはちょっとボーイッシュな女の子で、父は地元の議員候補になっている。今日も彼女に惹かれているブラックスターという青年のバイクに乗せてもらったりしている。

 

ここに、女の子三人のグループがあり、リーダーのジキの父は地元の議員候補で、ケナの父とライバルにある。ケナはこのジキに心惹かれるものを感じていた。一方のジキもケナに惹かれていた。やがて二人は一緒に行動するようになるが、ゲイやレズに対する地元の人々の偏見はある意味普通なのだが、かなり厳しいものがあった。

 

ジキとケナは、乗り捨てられた廃車のワゴンで密会するが、ブラックスターの恋人が嫉妬してケナの後をつけ、ケナとジキが仲良くしている現場に地元の男たちを連れて行く。そして二人を引きずり出しリンチにする。

 

警察に二人は保護されるも、両親の知るところとなり、ジキはロンドンへ行かされることになる。時が経ち、ケナは看護師として病院で働いている。院内で患者に、レズだからと嫌われるシーン。そして、ジキが戻ってきたことを知る。ケナはジキから「会いたい」という手紙をもらっていた。ケナの手を握るジキの声で映画は終わる。

 

町の人々の辛辣な視線や露骨な差別行動が当たり前に描かれるが、それが真実の姿だと思う。そんな環境を知りながら、必死で隠れながらも会いたいという衝動が抑えられないふたりの物語が実に真面目に展開する。そこがこの作品のいいところだと思います。良質の一本という感じの作品でした。

 

「夕陽のあと」

期待もしていなかったし、主演の貫地谷しほりは好きではないので、ノルマをこなす一本という感じで見たのですが、これが何ともしっかり作られていて、ふたりの女性のドラマに胸が熱くなってしまいました。貫地谷しほりの演技力の真骨頂でした。監督は越川道夫。

 

九州の小島の長島、この日も、養殖業を営む五月は愛する息子豊和と楽しい日々を送っている。豊和はこの島の子供が誰も経験する太鼓の祭りの練習に励んでいる。港の食堂に一年前にここにやってきた茜という女性がいて、地元の人たちとも仲良く、豊和にも慕われている。そんな茜に役所に勤める秀幸が好意を持っていた。

 

実は豊和は五月と夫の優一の実の子ではなく、児童相談所から引き取り7年育ててきた子供で、間も無く特別養子縁組をする手続きが待っていた。五月は子供を産むことができなかったのだ。

 

そして養子縁組の書類を預かりにきた職員は、生みの母の承諾を得ないといけないが行方不明だと伝える。そして、その生みの母の名前は佐藤茜だとサツキたちに告げる。何と、食堂で働く茜こそ生みの母だった。そして、茜はもう一度親権を取り戻そうとしていた。

 

後半は、子供を産めないが豊和を育ててきた五月と、生みの母で、やむなく手放した息子をもう一度取り戻したい茜のドラマになっていく。どうしても手放したくない五月は、秀幸に付き添われ、豊和が捨てられるに至る茜の過去を知るべく東京へ向かう。ネットカフェに捨て、自殺未遂しようとする茜のシーンがフラッシュバックするが、ここが非常によくできていて涙が止まらない。そして、茜の苦しみを僅かでも知った五月は島に戻ってくる。

 

豊和を取り戻したい茜だが苦悩していた。そんな彼女を五月は船に乗せ、沖合で、自分たちを見守ってほしいと懇願。子供を産めない女の苦しみと産んだ子供を捨ててしまった女の心のぶつかりのこのシーンがとにかく見事。そして茜は豊和を五月に委ねる決心をする。五月はいつかこの島を出て行く豊和を受け入れてほしいと頼む。

 

やがて祭りの日、茜は島を出て行く。太鼓の稽古の成果を見せる豊和のカットでエンディング。一見、何度も取り上げられてきたテーマで、下手をするとありきたりに仕上がるところがふたりの女優の演技力で一気に深みのあるドラマに仕上がった感じでした。なかなかの一品です。