くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「流麻溝十五号(りゅうまこうじゅうごごう) 」「台北アフタースクール」「コンセント/同意」

「流麻溝十五号(りゅうまこうじゅうごごう)」

ほとんど知らない台湾の戦後の歴史を勉強させてもらった感じの作品でした。物語は群像劇タッチで描かれていくのでドラマ性は希薄ですし、いかんせん史実を知らないものには、まず物語の入り込むまでがちょっと難関でした。映画は丁寧に真摯に作られているので、なかなかの作品だった。監督はゼロ・チョウ。

 

1953年、台湾国民政府による恐怖政治下の白色テロ時代、罪を着せられ思想犯とされたものたちは思想改造、教育、更生のために緑島に収監されていた。その実態の描写から映画は幕を開ける。連行されたものたちは番号で呼ばれ重労働を課せられ、時に反抗的なものは洞窟で吊るされて拷問を受けたりした。

 

絵を描くことが好きな高校生シンホェイ、子供がまだ二歳なのに投獄された正義感の強い看護師シュェイシア、妹を守るために自ら囚人となったダンサーのチェン・ピンたちの島での生活を中心に物語は展開していく。チェン・ピンは、島の大隊長と懇ろになることで苦しい日々をやり過ごす日々だったが、仲間内からは娼婦呼ばわりされる。

 

シュェイシアは、たまたま作業中に監視員の女性を助けたことから、何かにつけて穏便に計らわれていたが、妊娠している一人の囚人により共産党の活動を続けているという密告をされ、拷問され、台湾の軍法法廷に送られてしまう。チェン・ピンに慕われたシンホェイは、島にきたチェン・ピンの妹の絵を描いてやったりする。

 

しかし蒋介石の独断で一夜で罪人にされてしまう時代で、シンホェイも拷問されてしまう。島では囚人と島民との恋、囚人同士の恋愛なども生まれるようになり、やがて、寛大だった大隊長共産党員だと通達されて島を追われていく。やがて時が経ち、緑島を無事やり過ごした、チェン・ピン、シンホェイ、シュェイシアらが、平和になった台湾本土の海岸で、過去を懐かしみながら再会する場面で映画は終わる。

 

歴史の一ページを勉強する感じの一本でしたが、それだけでも値打ちのある作品でした。

 

台北アフタースクール」

ゲイ映画ではあるのだが、これほどドライにそしてリアルに青春ストーリーとして描いた作品に出会ったことがない。普通に男女のラブストーリーが絡むかと思えば、友情と同性愛の不確かな展開も挿入され、さらにゲイというより女装趣味という意識の男性も描かれる。その彼ら彼女らが爽やかすぎる青春を謳歌する姿が実に瑞々しく心地よい。テンポいい音楽の挿入、コミカルな展開、そして世間の常識を辛辣に見え隠れさせる脚本も上手い。楽しい作品に出会いました。監督はラン・ジェンロン。

 

台湾の受験戦争、塾でがむしゃらに勉強する学生たちの場面から、現代、ジェンハン、シャン、シャンハー三人とチェン・スーは、かつての塾での恩師シャオジーを訪ねる場面から映画は幕を開ける。シャオジーは車椅子でどうやら余命わずかなようである。そして四人が懐かしい三十年前を思い出して物語は本編へ進む。

 

成功補習班という学習塾で、やたらいたずらばかりするジェンハン、シャン、シャンハーらは成功三銃士と呼ばれていた。ジェンハンは塾に通うマドンナチェン・スーに恋焦がれていた。そんなある日、臨時講師としてシャオジーがやってくる。公衆電話から塾の受付に電話をしてイタズラしようとしたジェンハンとシャンは、たまたま受付に来たシャオジーに揶揄われる。こうして、成功三銃士とシャオジーの奇妙な関係が始まる。そこに唯一の女性チェン・スーが加わり、四人は何かにつけ遊ぶようになる。

 

チェン・スーはシャンハーに告白するが、実はシャンハーは女装するのが趣味で、チェン・スーに化粧の仕方を教えてもらうようになる。チェン・スーに恋するジェンハンは、シャンハーに嫉妬して、塾の主任にシャンハーの女装趣味を告げ口し、シャンハーの父でもある主任が激怒してしまう。

 

シャオジーも実はゲイで、ジェンハンとシャンらを同性愛者の店に連れて行ったりする。その帰り、シャンはジェンハンに熱いキスをする。シャンはゲイだった。とまどうジェイハンだが、自分が同性愛者でシャンを慕うのか友情として慕うにかわからなくなる。そして、これからも親友として付き合おうと宣言する。

 

シャオジーがジェンハンやシャンを同性愛者の店に連れて行ったことが問題になり、シャオジーは塾を追われることになる。シャオジーは以前から同性愛者のドキュメンタリーを撮影することを考えていてその仕事に専念するため日本へ行くことになる。ジェンハン達は意を決して自分たちの素顔を主任の前で公に宣言し、ジェンハンはチェン・スーに告白する。

 

そして十年の時が流れ、ジェンハンはチェン・スーと結婚することになり、シャンハーはタイで性転換の手術をすることを決意して実家に戻る。反対していた父の主任も金なら十分あるから一緒に行くと息子を応援する。そして現代、ジェンハンは子供達を連れて家に帰ると、シャオジーが亡くなったという知らせが届く。ジェンハン、シャン、シャンハー、チェン・スーがシャオジーの葬儀にやってきて、帰り、かつてジェンハンらとシャオジーが親しくなるきっかけになった公衆電話の場面が回想され映画は終わる。

 

非常にこと細かく描かれた脚本が実に上手い。同性愛の話である一方で、純粋な青春ラブストーリーでもある作劇の清々しさに最後まで楽しく見てしまう。台湾コメディらしいノリも随所に見られるのも心地よい一本でした。

 

「コンセント/同意」

胸焼けがするほどに重苦しい映画ですが、その迫力に終始掴まれた感じがするなかなかの作品でした。フランスの作家ガブリエル・マツネフとバネッサ・スプリンゴラの情事を告発した原作を元にした映画ですが、ヴァネッサを演じたキム・イジュランの迫真の演技が映画を牽引していきました。特に終盤狂気に変わる部分は映像演出に細かいカット編集のリズムと相まって、圧巻でした。監督はバネッサ・フィロ。

 

人並外れて文学が好きで知的な十三歳の少女ヴァネッサは五十歳の有名作家ガブリエル・マツネフとあるパーティで知り合う。マツネフは自身の小児性愛嗜好をそのまま文学に仕上げ話題を集めていた。十四歳になったヴァネッサは、知的な会話で接してくれるマツネフにすっかり引き込まれ、やがて性的関係を結ぶようになる。

 

純粋にマツネフを愛していくヴァネッサに対しマツネフは、豊富な人生経験を教授するかのようにヴァネッサに接し、真っ直ぐにヴァネッサを愛しているかのように振る舞う。ヴァネッサがマツネフに傾倒していくのをヴァネッサの母は危惧するものの、一途な姿に全く反対することもなかった。しかし、マツネフは自身のペースで海外で買春したりし、それを小説にしていくマツネフに、ヴァネッサは次第に嫉妬心を超えた狂気的な感情が生まれていく。

 

マツネフが海外に長期で出かけた際、ヴァネッサはユーロという青年と知り合う。ユーロの進言もあり、ヴァネッサは、マツネフと別れる決心をして手紙を送るが、マツネフは執拗にヴァネッサに連絡をとって来る。まもなくしてヴァネッサとの日々を描いたかのようなマツネフの小説が出版され、ヴァネッサは興味の的になっていく。ヴァネッサは狂気の如くマツネフの幻影に取り憑かれたかのようになる。

 

やがて成長して大人になったヴァネッサだが、マツネフの常識を外れた道徳心や考え方はテレビで再三取り上げられるにつけ、ついにヴァネッサは告発文を小説にすることを決意し、その原稿を書き始めて映画は終わる。

 

全編、緊張感が半端ではない作品で、亡霊のようにマツネフに取り憑かれていくヴァネッサの存在が鬼気迫ってくるラストが見事。力の入った一本、そんな感じの映画だった。