「サラの鍵」
大ヒットしていて、連日の満席といううわさにいかほどの映画だろうと身構えていったのですが、私の感想はふつうの映画だったなという感じでした。何らかの宣伝かコメントが行われてそれに踊らされて見に来ているとしか思えないお客さんが多かったように思う。
物語は「黄色い星の子供たち」同様、ユダヤ人を迫害したのはドイツ人のみでなくフランス人も彼らを収容所へ送るべく手を貸したという史実に基づき、その中で悲劇に見舞われたある家族、特にその娘サラの悲劇を描いています。
1942年7月に物語が始まる。シーツにくるまってはしゃいでいるサラと弟のミシェルの様子から映像が始まる。外が騒がしく、突然この家にも警察が踏み込んでくる。そして家族すべてを収容所へ送るべく逮捕するが、サラの機転で弟のミシェルは納戸の中へ入れられ鍵をかける。
物語は現代2009年、現代のこのアパートを借りることになったジャーナリストのジュリアと夫、娘。改装の話に盛り上がる中、ジュリアはこのアパートがユダヤ人居住区であり、1942年の悲劇を絡めてかつての歴史を調べ始めていた。
こうして過去のサラの物語と現代のジュリアの物語が交互に交錯しながら描かれていきます。ジュリアは不妊治療をしていましたがようやく妊娠したことがわかりますが、夫は今のジュリアの年齢等から中絶を勧めている。
サラは収容所へ送られるけれども、そこでたまたまジャックという警官の助けで脱出に成功、ある農家へ駆け込みそこで元気になって納戸をあけるべくパリへ戻る。その家は今はテザック家が住んでいて、納戸をあけると弟の死骸があったというショットが写される。
そのテザック家こそが、ジュリアの義父の家族であり、サラを家に入れた少年がその義父であるという下りも描かれる。しかし、ユダヤ人の後に移り住んだテザック家をどこか非難するようなせりふがでてくるにもかかわらずあまりそこには言及しないで、さらにサラの物語へ軌道修正する脚本はちょっと弱いといえば弱い。
ジュリアは執拗にその後のサラの足跡を求め、どうやらサラは1953年に農家をでてパリへ行き、そこで知り合った男性と結婚、しかし、数年後一人息子を残してトラックにぶつかり死んでしまったことを知る。
サラの息子に会うべくイタリアにやってきたジュリアは彼が自分の母はユダヤ人ではないといわれ疎んじられてしまう。しかし、その息子は父からすべての真相を明らかにされるのである。
そして2年後、ジュリアは中絶せずに娘を連れてその息子に再会、そしてサラの人生をつづった書簡を彼に渡す。さらに今の娘の名前をサラとしていることを告げ、二人は抱き合ってエンディングである。
こうして思い出してみると、これといって目を見張るほどの出来映えの映画ではない。時にカメラが真上からとらえてみたりして意味ありげなシーンもあるが、現代と過去を繰り返しながら、1942年の悲劇をつづっていく作風に特に目新しいものはなく、いままで扱われなかった題材にストレートに取り組み、その社会的なテーマが過大評価されていると思わざるを得ない。確かに凡作ではないけれども傑作でもない。この映画を映像作品として絶賛するのはそれはどこか方向が違うように思えるのです。
「運命の子」
西洋的に対する東洋的という意味での父と子の物語として、純粋に感動してしみました。導入部分のスペクタクルな戦闘シーン、クライマックスの剣劇シーンの娯楽性も含めて、二人の育ての父にかわいがられた一人の少年の物語として、そして、復讐と権力欲の為に生きた二人であるはずがいつのまにか一人の父親として、一方は戦場でなくした息子を思い、もう一人は自分の義のために息子を死なしてしまった詫びとして一人の息子に注がれる愛情。それは白と黒というような西洋的な感覚で表現することができない曖昧な感情かもしれません。しかしこの映画は権力の中で渦巻く大人たちの戦いを背景に、その人間としての心に迫った意味で優れた一本だった気がするのです。
とある国の宰相趙朔の息子が戦場から凱旋してくる。時の君主はいわゆるバカ君主で、その君主につくのがかつての英雄屠岸賈将軍。しかし、そんな自分の存在が疎まれるようになってきた最近、謀反を起こし権力を手に入れるべく準備を進めていた。
時に君主の姉荘姫はまもなく出産、彼女に使えている医師程嬰の妻もまたまもなく出産を控えている。
荘姫の夫は宰相の趙朔の息子である。
そんな折、屠岸賈将軍が反乱を起こし、その宿敵である趙氏の一族皆殺しをはかる。そんなときに荘姫が出産、当然その子供にも危険が迫る。荘姫は居合わせた程嬰に生まれたばかりの赤ちゃんを託す。途中、屠岸賈将軍の部下韓将軍に捕まりかけるが、荘姫の言葉に子供を見逃してやる。しかし、後で屠岸賈将軍に顔を刀で斬られてします。
こうして物語は始まるが、託された赤ん坊を守るために程嬰は荘姫の子供を逃がす過程でその子供を守るために自分の生まれたばかりの子供を荘姫の子供と屠岸賈将軍に思わせて殺されてしまう。復讐を誓った程嬰は残された子供の程僕とともに屠岸賈将軍のもとに家来となり、程勃が大人になったときにことの真実をあかして程勃に屠岸賈将軍を討つべく日々を過ごすようになる。
屠岸賈将軍を父上と慕い、程嬰を父さんと慕う程勃はやがて少年から青年へと育っていくが、一人の男として強い屠岸賈将軍を慕うようになる。やがて、成人になり戦場へ赴く日、程勃が趙氏の子供とわかった屠岸賈将軍は戦場で、ピンチになった程勃を一時は見捨てるが引き返して助ける。しかし、帰ろうとした屠岸賈将軍は彼を狙っていた韓将軍の矢に倒れる。程勃賀連れ帰り、程嬰の薬で快復、そして、すべての真相を告げられた程勃は二人の父の前で屠岸賈将軍に戦いを迫るのである。
ワイヤーワークを多用した迫力ある剣戟シーンを描いた後、屠岸賈将軍は二人の間に立った程嬰を程勃は屠岸賈将軍を同時に突き刺し二人は果ててしまう。
息を引き取る寸前、程嬰は亡き妻と子供の姿を追うように死んでいくのである。
CGを利用した映像演出も含め、スローモーション、大胆なカメラワークと最新テクノロジーの限りを駆使しているのですが、非常に丁寧な演出を心がけたチェン・カイコーの映像は実にドラマティックでエンターテインメントにもあふれている。全体の出来映えとしても決して凡作と呼べないほどに人間ドラマとしての完成度はあったと思います。人それぞれかもしれませんが、私は好きな映画です。これこそ、忘れかけている東洋的な父と子の物語なのではないかと思うのです