くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「NINIFUNI」「生きてるものはいないのか」「ヤング

NINIFUNI

「NINIFUNI」
「イエロー・キッド」の真利子哲也監督の中編作品です。ドキュメントタッチのちょっとフィクションな映画である。

幹線沿いの歩道を二人の若者が歩いている姿を背後から手持ちカメラでとらえる映像から映画が始まる。そして、そのままとあるロードサイド店にやってきた店長らしき男を裏口で襲って強盗に入り、タイトル。

一人の若者がこちらに歩いてきてあちこちをさまよったあげく浜辺に車を止め、窓をガムテープで留めて眠りこける。というか自殺でしょうか。

その浜辺に「ももいろクローバー」というアイドルユニットのPV撮影の一隊が゙やってくる。浜辺に止められた車をチェックするが無視して撮影スタート。

暗転して車の中の強盗犯人は死んだことがテロップ。警察署のシーンが無音で映され、もう一人の犯人も捕まり裁判になったテロップ、そしてエンディングである。

どこをどうコメントすべきかと思うが、映像のリズム感、アイドルユニットの撮影と一方で若者の強盗犯人の姿を対照で映すという編集の妙味である。一方で強盗殺人をした社会の暗部、もう一方になる華やか二注目されるアイドルの姿を対比し、それぞれがまったく感知されない現代の冷たさをも微妙に演出してみせる。当たり前のような日常の断片にさえ見える怖さが存在する作品だったと思います。

「生きてるものはいないのか」
若い頃に石井聡互監督の「狂い咲きサンダーロード」、ちょっと大人になってから「五条霊戦記/GOJOE」などを見たが、今回石井岳龍と名前を変えて望んだ終末映画である。

主演というのは見あたらない群像劇のような展開であるが、ラストで一人たたずむのが染谷将太なので彼を主人公としてもいいかもしれません。

ベッドに向こうを向いて座る少女のショットから映画が始まる。点滴をさわって医者がこちらにアウトしてタイトル。舞台はとある総合大学。大学病院の都市伝説では地下三階で人体実験が行われているという話があったりする。

ロック調の音楽をバックにタイトルが終わると大学の廊下、一人の男が学生に病院に勤めている妹に会うために病院への道順を聞く。大音響の音楽が会話のシーンで突然無音になったりと音と映像にこだわる演出が施される。

一方で女学生たちが友人の結婚式に呼ばれた時の余興を考えている。一人の女性は都市伝説研究の論文準備のために資料をそろえている。この3人の会話がまるで機関銃のように小気見よく交わされる。それにあわせて映像もめまぐるしくカットしていく。特に名の通った俳優案を使っていないし、どちらかというと若すぎるほどの俳優さんたちばかりなのだがこのシーンは実にテンポがいい。石井監督の演出力のなせる技かと感心してしまいます。

学内のカフェ、三角関係になった男女がいる。若い夫婦、夫が浮気した女が妊娠して三人でその処置を議論しているが、今時の若者を象徴するように理屈と訳の分からない会話の応酬。唯一、妻がまともな話をしているかのように見える。このカフェの店員が染谷将太である。

さて、さっきの学生三人のうち論文準備をしている一人が突然苦しんで死んでしまう。

火のないところに煙は立たないかのごとくの都市伝説が真実なのか、ここから次々と学生たちが死んでいく。原因は最後まで分からないが、今風であってどこかナンセンスな会話の応酬が繰り返され、そこに不可解な死人が次々と発生する。映像は時にスプリットイメージになり、マスキングになりと様々なデジタル処理が施されていく。全く石井岳龍の映像センス、その奇才たるゆえんを見せつけるかのごとくである。

結局、冒頭の入院していた少女も死に、彼女と一緒に海に向かっていた染谷将太一人になって映画が終わるのであるが、なにもかも明らかにならないままに、無意味な会話におぼれている現代の若者を具体化したかのようなストーリー展開には不思議とモダンさを感じざるを得ない。これが石井岳龍が見た現代の姿なのだろう。戯曲の映画化なのでそのせりふの応酬の妙味も見せ場だがそれを映像としてリズムを付け加えた石井岳龍の演出が秀逸である。

「人間というものがすべて死んでしまえばもっとすばらしい社会になるのに」というような意味のせりふがでるが、まさしくその通りなのだと言わんばかりなのだ。

ヤング≒アダルト
ミネアポリスゴーストライターとして作家活動をする主人公メイビス(シャリーズ・セロン)。二年前までは人気だったヤングアダルト小説も今や人気も下火で、後は最終回を残すのみで原稿の催促がきている。一向に進まない彼女のパソコンにかつての彼氏からベビーのお披露目パーティの知らせがくる。監督は私の大好きな映画「JUNO/ジュノ」のジェイソン・ライトマンである。

最初は気に入らなかった彼女は目にもの見せようとかつてのふるさとへ帰ってくる。高校時代にはみんなからあこがれの女性であり、誰からも羨望されていた彼女は着いたその日からかつての学生友達のマットたちにあっても上から目線で女王様気取り。このメイビスのキャラクターの描き方が極端なので、みている私たちもこの女に対しいけ好かない女という視点がどんどん高まってくる。しかし、この演技演出がこの作品の完成度を左右したようである。

終盤、元彼のバディの赤ん坊の披露パーティでバディを誘惑し手ひどく断られたメイビスは酒の勢いで悪態をつく。ここで頂点になった彼女への嫌悪感はこの後、マットと一夜をともにし翌朝その妹に、メイビスは昔からあこがれだったと告白され、自分を見直し、未来を生きるべく前向きになってミネアポリスに帰る。一気に彼女に希望と現実に向き合わせる気持ちを見せるラストシーンが、それまでの極端な彼女のキャラクター演出が最高潮になったあとの最大の効果になって生きてくるのである。

滞っていた小説もうまくエンディングを迎え、はつらつとした彼女の姿を映して映画が終わる。

前半から終盤近くまでのどんどんエスカレートするメイビスという女性の自己中心的なキャラクターぶりが、シャリーズ・セロンという希代の美貌の女優を起用することで見事な効果を生み、一気にふつうの女性になって現実を知り明日へ向かっていくというほんの僅かなラストのシーンで見事にまとめあげた構成のうまさ、演出のリズムの配分のうまさが際だっている秀作だったと思います。

それにしても、シャリーズ・セロンはきれいですね。大好きな女優さんです。