「時の重なる女」
二重三重に組み立てられた複雑なミステリーの秀作。めくるめくような音楽の陶酔感とどこまでが本来のストーリーか錯覚を繰り返す構成にしまいにはラストの真相さえもが嘘に見えてしまう。ここまで重層的に作られるとまさに本格ミステリー小説を読むかのような感慨に耽ってしまいます。
映画が始まると主人公ソニアがメイドとして働くホテルの一室を掃除にくる。「髪は下ろした方が素敵よ」という客の声、次の瞬間、さっきまでいた客は飛び降り自殺をしている。さらに、ソニアはいわゆる出会い系パーティで一人の男性グイドと知り合う。人目で引かれ会った二人。グイドが警備を任されている大邸宅で二人がデートをするとそこへ強盗団が現れ、グイドは撃たれ、ソニアも意識不明に。
回復したソニアは仕事に戻るが、グイドの姿が時折見え隠れする。幻影が現実か、謎が深まっていく。そこへソニアが強盗団のリーダーらしき男と抱擁。つまりソニアは強盗団の一味だったか。
そしてベッドで目覚めるソニア。傍らにグイドが。では、さっきまでのことが昏睡状態の中の夢なのか。物語はここからしばらくグイドとソニアの話。ことあるごとにぞろ目を縁起担ぎするグイドの言動。ところが、強盗団のリーダーがやはり見え隠れし始め、疑念を抱き始めるグイド。
リーダーとソニアがブエノスアイレスへ高飛びするのをじっと陰で見送るグイド。
リーダーとソニアが記念写真を撮る。しかしその写真はグイドとソニアが写っている写真をグイドの知り合いの刑事が持っていたものと構図が同じ。航空券の番号がぞろ目。
いったいどこまでが真実なのだろう。不思議な構成と甘ったるい音楽の調べ、二転三転する映像に翻弄され、途中しばらく眠くなってしまった。もう一度ゆっくり見てみたい作品ですが、それにしてもここまで練り込まれると参ってしまいますね。なかなかの逸品でした。
「ムースの隠遁」
フランソワ・オゾンが「しあわせの雨傘」の前にとった作品である。いつものような陽気なムードの作品ではなくかなりシリアスな展開の映画でした。
主人公ムースと恋人ルイのところにドラッグが届けられるところから映画が始まる。なにやら暗い作品ではないかと予感させるが、その後ルイは過剰接種で死亡、ムースは妊娠が発覚する。
そしてムースは生むつもりでパリから遠く離れた町で暮らし始めるがそこへルイの弟ポールがやってくる。次第におなかが大きくなるムースの姿にホモセクシャルであるにも関わらずどこか曳かれていくポール。そして、出産後病院へやってきたポールに赤ん坊を託してムースは一人列車に乗る。
何とも不思議な展開の映画で、主人公ムースが妊婦となって惜しげもなくおなかを見せながらの生活が物語の中心になる。母親賛歌ではないし、ドラッグへの警告でもない。妊娠しているのに平気で鎮痛剤を飲んだりビールを飲むあたりの描写にこのムースの複雑な心理状態を写しているのかもしれない。養子であるポールとのさりげない心の結びつきも微妙。そこがフランソワ・オゾンだといえばそれまでだが、感想やコメントのしづらい映画でした。