「マーニー」
ヒッチコックの失敗作といわれている作品ですが、ほぼ30年ぶりくらいで見直すことができた。
確かに、ほかの作品ほどに強烈なラストシーンへのテンポが弱い。とはいっても、おもしろい。これが、ヒッチコック映画の魅力でしょうね。
主人公マーニーのお母さんは「キャリー」のお母さんにかぶる。執拗に娘に純血を求めるあたりは、そのまんまである。
セットによるマーニーの自宅のショット、背後に書き割の港がどんとそびえる舞台は、映画は娯楽と考えるヒッチコックの思惑が全面にでる。
ファーストシーン、シンメトリーな駅のホームの画面に、黄色のバッグを持った主人公の後ろ姿。この作品、随所に、一点透視の構図が多用されていることに気がつく。
赤に対し異常な恐怖を感じるマーニー。精神が高ぶると、盗みをしてしまうという異常心理、そのあたりの異常さがこの作品では弱い。
白眉のシーンは、金庫の金を取るときに、掃除のおばさんが入ってくる。スプリットイメージのようなドアの四角と奥のショットを重ねる。
靴を脱いで逃げようとするマーニーは途中で靴を落とす。はっとするが、入れ替わりにきた警備の男が、その掃除の女に話しかける。どうやら耳が遠かったという落ちのうまさがたのしい。
ファーストシーンから登場する、マークを演じるショーン・コネリーがとにかく、ニヒルでかっこよすぎるのが、この作品の欠点かもしれない。しかし、意地になるようにこのマーニーにご執心になり、やがて結婚、一方でそのトラウマを払拭すべく奔走するという展開は、ヒッチコック映画によくあるパターンである。
結局、幼い日に、母を守るために、男を殴り殺したときの血のイメージが、赤への恐怖になっているという真相でエンディングであるが、確かに、クライマックスのマーニーが子供の声になる下りがちょっと、と思わなくもない。
でも、それは、欲目にみているからで、他のこの手のサスペンスと比べれば抜きんでたオリジナリティが伺える。やはり、ヒッチコックはおもしろい。
「母の旅路」
清水宏監督晩年の作品で、カメラワークといい、演出といい、手慣れた世界になってしまって、悪くいえばふつうの映画である。しかし、、強引な設定、ストーリー展開は横に置いとけば、それなりに感動できるストレートな作品であることも確かなのです。
映画は、あるサーカス団の座長晋吾とその妻京子、そして娘泰子が中心となる。この夫婦は娘の進学を考えて、旅回りのサーカスをやめ、東京の自宅に戻る。そこで、かつての共同経営者が亡くなり、晋吾はその会社の社長となり、京子は社長夫人となるが、元来、性に合わない京子は、周りからも疎まれ、やがてサーカスへ戻っていく。
そんな京子に会いたい一心で、泰子は、たまたまハイキングの先で、サーカス団にでくわし、母の元にいくという展開。
ラストで、サーカス団が、画面奥に去っていくのを娘の後ろから、ゆっくりと横にパンしたカメラでとらえるショットは実に美しいが、総じて普通のカメラ演出といえば、そういうことである。
しかし、クライマックスは、それなりに涙がでてきた。これも清水宏の職人技のなせるものだろうと思います。
「風の中の子供」
清水宏監督の代表作の一本で、大人たちの陰謀、打算の世界を向こうに回して、子供たちの純粋な物語を対比して描く作品です。
という解説を読んだものの、どうも私はその世界に入り込むことはできなかった。確かに、主人公で、やんちゃが取り柄みたいな三郎と、その兄で何事も優等生という感じの兄弟のコミカルな展開は、さすがに清水宏はうまい。
例によってオーバーラップで繰り返す場面展開のテンポや、より集まってくる近所の子供たちとのたわいのない無邪気なシーンは、本当に生き生きしている。
しかし、三郎の父親の会社の描写が、かなりリアリティに欠け、さらに三郎が、いったん世話になる親戚の家族の、冷めた扱いも、ちょっと弱いように思える。そのために、大人の世界と子供の世界の対比はそれほど、うまく表現されておらず、どちらかというと子供の世界がウェイトが高く見えてしまうのである。
大人の世界の煩雑さをそっちのけで、子供たちの、純粋無垢な生き生きとした世界観を語った作品としてみれば、実に良質の一本だと思うけれど、そうやってみると、清水宏監督には、この作品以外にも傑作があるように思えるのです。
この映画には、いつものような横への移動撮影や、俯瞰のカットは少ないです。その意味で、淡々と描いているのかもしれません。確かに秀作ではあるのですが、私は、他の清水宏監督作品と比べると、ちょっと物足りなかった。