リチャード・カーティス脚本のロマンティックラブストーリーという感じですが、私としてはどこかテンポが乗ってこない感じがしました。もう少し、キレと洒落た感があるのを期待しすぎたのかも知れません。監督はロジャー・ミッシェル。
ハリウッドの人気女優アナの華やかな毎日を映す場面から映画は幕を開ける。そして舞台はロンドン、ノッティングヒルの旅行書専門の書店。主人のウィリアムはこの日も店番をしていたが、そこへアナが現れる。あまりにさりげないために、ウィリアムもさりげなく応対してその場は終わる。ところがまもなくして街角でウィリアムはアナとぶつかって紅茶をこぼしてしまう。ウィリアムはアナを近くの自宅へ招き入れ着替えさせてやることに。帰り際、アナはウィリアムにキスをする。何処か不器用ながら誠実な感じにウィリアムにアナは一目惚れしてしまう。このシーンが上手くみえないのです。
まもなくして、アナから電話をもらったウィリアムはアナのホテルに行くが、そこは取材陣が集まる場だった。とりあえず、先日のキスのことを謝るアナに、ウィリアムは彼はただの夢だったかと諦めかけるが、夕食に誘うとアナは受けてくれる。しかしこの日、ウィリアムの妹の誕生パーティだった。アナは自分も連れていってほしいと言い、ウィリアムはアナを連れて親友に家へ。そこで友達夫婦や妹に紹介することになる。
そして今度はアナが、ウイリアムを自分のホテルに誘う。ところが、ウィリアムが行ってみると、アナのアメリカの恋人が来ていた。ウィリアムは、また夢が壊れ現実に戻り、すごすごと帰る。やがてアナはアメリカに帰るが、ある時ウィリアムの家にアナがやってくる。昔撮ったヌード写真が広まって落ち込んでいるという。ホテルにも記者が押しかけているということでウィリアムの部屋に泊まることになる。そこで、アナとウィリアムは体を合わせる。ところが、夜が明けると大勢の記者が集まっていて、ウィリアムはアナの恋人であるかの騒ぎになる。パニックになったアナは迎えの車を呼んで這々の体で帰ってしまう。
ウィリアムは今度こそ彼女を諦めようと決意、普通の日常に戻る。そして季節は流れ、妹にも恋人ができる。冬がきて春が来て一年の時が経つ。オスカーを受賞したアナはこの日も撮影に来ていた。我慢できないウィリアムは撮影場所に行くが、もはや自分の居場所がないと帰ってくる。ところが撮影が終わったアナが訪ねてくる。そして、このまま帰国するのだが、一緒にここに残りたいという。ウィリアムは、その申し出を素直に受けられず、アナをふってしまう。後で、友人たちに相談したウィリアムは、友人たちにけしかけられ、自分の気持ちに素直になることを決意、アナを追いかける。
サザヴィホテルで、アナの記者会見の場に着いたウィリアムは、気持ちが整理できたのだがやり直したいとアナに言う。こうして、アナとウィリアムの恋はようやく成就する。華やかなハリウッドの映画界でアナの隣にはウィリアムがいた。エピローグで、アナとの家庭を築いたウィリアムの仲睦まじい家族の姿が描かれ映画は終わっていく。
出だしから、妙にもたついた感じがするには気のせいか、自分に合わないのか。途中の展開もラストの畳み掛けも今一つのめり込んでいかない感じだった。ジュリア・ロバーツ全盛期で美しいのだが、迫ってくるものがなく、良い映画というのはわかるのですが、個人的には普通に作品に見えてしまいました。
「ファーザー」
特殊撮影などどこにも使っていないのに、主人公アンソニーの幻覚が目の前に広がってくる。アンソニー・ホプキンスの圧倒的な演技力とカメラワークのコラボレーション、そして絶妙のタイミングで入れ替わっていく脇役たちの演出に脱帽してしまう噂通りの見事な作品でした。まるで、自分がいずれみる幻覚を疑似体験させられているかのような一本。監督はフロリアン・ゼレール。
クラシックの曲が流れ、一人の女性がある建物に入っていく。彼女の名前はアン、認知症のはじまった父が介護人のアンジェラを罵倒して彼女が出ていってしまったので、仕方なく父の様子を見に来たのだ。カメラは部屋でヘッドフォンをつけて音楽を聴いているアンソニーのカットへ変わっていく。ヘッドフォンを外し、娘のアンが来たのを出迎える。アンは、新しい看護人ローラを雇い入れることにしたという。そして、自分はまもなくして恋人とパリに移り住むので、ここには来れないと告げる。
カットが入れ替わると、アンソニーの前に一人のややハゲた男が座っている。アンソニーが声をかけると、ポールという名前だという。しかもアンの夫でここに10年住んでいるというのだ。まもなくしてポールの妻アンが帰ってくるが、アンソニーには覚えのない顔である。買ってきたチキンをポールが台所に持っていき、アンソニーは、疑心暗鬼にアンと話を始めるが、いつの間にかポールの存在が消えている。
翌朝、アンがやってきて、新しい介護人ローラを連れてくる。アンソニーはハイテンションでローラに対応して、タップダンスまで披露して歓迎。アンの妹ルーシーにそっくりだとおおしゃはぎするが、まもなくしてローラをまんまと言い任せたと罵倒してローラを困惑させる。映画はここから、アンソニーの目の前に現れる人物が次々と入れ替わりながら、それに混乱するでもなく、戸惑いながらも普通に振る舞うアンソニーの姿を描いていく。
どうやら、すでにアンソニーはアンの家に移ってきているようで、冒頭で出てきたポールとは違う顔立ちのポールが平然とアンと話をしている。そして、アンソニーを施設に入れなければいけないのではないかと相談をしている。それを立ち聞きするアンソニー。そして、食事のシーンになり、アンソニーがチキンを取りにダイニングへ行き、戻ってくると、またアンとポールが施設の話をしている場面が繰り返される。
介護人のローラがやってきてアンソニーとしばらく対話するが、いつの間にかまた、アンの家で過ごすアンソニーの姿。窓の外から通りを見つめるアンソニー。アンが、「この部屋でいいでしょう」とアンソニーに確かめる。どうやら施設に入所したらしい。一人の看護人がやってきてアンソニーと話す。アンは、父アンソニーを残して施設を後にしていく。この場面がたまらなく切ない。
残されたアンソニーは看護人と話している。やがて、アンソニーは、いずれママが来てくれると言って泣き始める。優しく抱き寄せる看護人。こうして、アンソニーは施設に入り、次第に薄れていく記憶の中に沈んでいって映画は終わります。
前半で、アンが思わず寝ているアンソニーの首を絞める場面、これは幻想なのかどうかわかりませんが、があったり、入れ替わり立ち替わり出入りする人物が果たしてアンソニーの幻覚が生み出したものか、現実なのか混濁してくる展開も見事で、一見普通なのに、見ているものが信じられなくなってくるアンソニーを表現していくアンソニー・ホプキンスの演技がとにかく素晴らしい。映像で語るとはこのことだと言わんばかり、見事な作品でした。