くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「カールじいさんのデート」「マイ・エレメント」「エリザベート1878」

「カールじいさんのデート」

アカデミー賞をとった「カールじいさんの空飛ぶ家」の後日談の短編。監督はボブ・ピーターソン。

 

カールじいさんと愛犬のダグ、今やダグも老犬である。そこへカールじいさんはマイヤーさんからデートに誘われる。亡き妻に申し訳ないと思いながらも前に進むべくダグを連れてデートに出かけるところで映画は終わる。

 

たわいない一編、そんな感じの一本でした。

 

「マイ・エレメント」

色々深読みすれば、差別問題、移民問題など見えてこないわけではないが、素直に見れば。一昔前のアメリカ映画、それもかなり古臭い物語の作品で、レトロ感さえ漂う。でもアニメは抜群に美しいし、うっとりするほどの色彩氾濫に見惚れてしまう映画でした。監督はピーター・ソーン。

 

かつて、ファイアーランドから新しい天地エレメントシティを目指して故郷を後にするバーニーと妻のシンダーの姿から映画は幕を開ける。新天地で娘のエンバーも生まれ、開店した雑貨店も繁盛して順風満帆な日々がやってくる。しかしエレメントシティの中心は水の住民達で、火の住民たちのファイアーシティと隔絶したものがあった。白人と黒人のイメージなのでしょう。

 

バーニーは将来、店をエンバーに継がせるべくエンバーを教育していたが、エンバーは時に癇癪を起こしてしまう癖がありそれが気がかりだった。しかし、バーニーもよる年波で体力が衰えてくる。なんとか感情的になるのを抑えられるようになったエンバーに、バーニーは、セールスの日一日店を任せ、無事乗り切ったら店を譲ると約束する。

 

張り切ったエンバーだが、いきなりトラブルに巻き込まれ、とうとう癇癪を起こして地下室の水管を破壊してしまう。流れ込んだ水に乗ってきたのは水管調査員のウェイドで、違法に組み立てられたバーニーの店の水管をチェックし、役所へ報告しようとする。営業を止められては大変とエンバーはウェイドを追いかけるが、すんでのところで、責任者のゲイルまで届いてしまい、店は営業停止を通告される。

 

そんな頃、ファイアーシティに来ていないはずの水の出所が気になったウェイドはエンバーと一緒にその原因を探り、運河を通る巨大船の波が堤防を超えて流れ込んでいて、それを止める壁が破損しているのを発見する。一時は土嚢で塞いだがもたないため、エンバーが砂をガラスに変えて貼り付ける。

 

ウェイドとエンバーはいつの間にか愛し合うようになり、エンバーはウェイドの家を訪ねる。ウェイドの家庭は涙もろくて素敵な家庭だった。エンバーとウェイドは触れ合うこともできないはずだったが、お互いの心が通じ、そっと手を合わせると問題なく触れ合えることに気がつく。ウェイドの母はエンバーのガラス加工の才能を見出し、世界一のガラス工場へ推薦する。

 

一方、バーニーはエンバーに店を譲る準備を進めていた。エンバーは、父の雑貨屋よりもガラス工場へ行きたかったが、エンバーを頼る父に気持ちが逆らえなかった。エンバーは涙でウェイドのもとを離れバーニーの引退式に出るが、そこへウェイドが現れる。バーニーは怒りに震え、店を譲るのを中止するが、母のシンダーはエンバーの気持ちを信じてやる。

 

その頃、ガラスで塞いでいた壁が崩壊し大洪水がファイアーシティを襲う。エンバーは必死で、バーニーが故郷から持ってきて守ってきたブルーファイヤを救おうとするが、そこへウェイドも駆けつける。ウェイドは自身が蒸発することも辞さずにエンバーと共にブルーファイヤを守る。危険が去り、エンバーの気持ちを察したバーニーは全てを許す。ウェイドは一旦蒸発して壁に吸い込まれたが、エンバーたちが泣く話をして再び水に戻る。エンバーとウェイドはガラス工場へ向かうべく船に乗ろうとしていた。バーニーたち、ウェイドの母らに見送られて映画は終わる。

 

一昔前の黒人と白人のラブストーリーという内容で、もちろん今時の解釈をすれば、色々見えてくるのだろうが素直に見たら普通に楽しいアニメーションでした。

 

エリザベート1878」

オーストリア王妃エリザベート1878年一年に絞った物語を淡々と描く一方で、モダンで大胆な解釈を加えて、フィクションに仕上げた作品で、特に公務をひたすら描く前半はかなりしんどいのですが、そう感じさせるのが演出の意図であるのでしょう。エリザベート自身がそれほど退屈な日々を送っていると言わんばかりを実感し、後半から終盤にかけての展開に繋いだ脚本は見事です。ただ、あくまで現代の女性の考え方による改編という雰囲気がちょっと違和感がありました。監督はマリー・クロイツァー。

 

1877年、二日後にクリスマスイブ=四十歳の誕生日を迎えるエリザベートの姿から映画は始まる。世間の人々の前では美貌の王妃と讃えられ、その役割をこなすが、この日も突然気を失って倒れる。しかし、それはエリザベートの演技だった。夫で皇帝のフランツとは形式的な夫婦で過ごし、外には威厳のある存在としているものの、恋人のルードヴィッヒ二世といちゃつき妹のイーダの元を訪れては旧友の男性と戯れる。そんな母を息子ルドルフは非難する。公務をこなし、美貌の王妃を演じるエリザベートの姿を淡々と描いて行く様は、まるで見ている私たちも退屈さを感じさせることで感情移入させようとしているようです。

 

体重を気にして好きなものも食べられず日々を過ごすエリザベートだが、ある計画を思いつく。それは自分の身代わりをたて、庶民の前にベールを着せて立たせることで自由を手にしようとした。そしてマリーにその役を与え、自分は医師にヘロインを調合させ、好きなケーキを食べ、象徴であった長い髪を切ってしまう。そして十月、マリーとイタリアに行ったエリザベートは、マリーの肩に自分と同じ錨の刺青をし、帰りの船で、エリザベート本人は船のへ先から海に飛び込んで映画は終わる。

 

男性の飾りのような存在として日々を暮らす一人の女性、しかも王妃という立場から、美貌を保ち羨望の目で見られなければいけない重圧の中生きる一人の女性が、心の中でじわじわと湧き上がる軋轢の末に、大胆な計画を思いつく様は、現代人が考える解釈でしかないように思う。それを考えると若干浅はかなイメージで作られた感がないわけではないけれど、まだ発明されていなかったキネマトグラフを思わせるような機材が登場したり、モダンなテンポの音楽があったり、エンドクレジットではエリザベートが髭をつけてダンスしてみたり、時代色に縛られず独創的な世界にしたのは面白い。こういう映画があってもいい。これが映画の面白さだなと思える作品でした。