くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「愛に乱暴」「幻の光」「帰って来たドラゴン」(2Kリマスター完全版)

「愛に乱暴」

こういう映画もあって良い。映画の出来栄えがいいものか悪いものか以前に、どうしようもなく入り込めない作品だった。何気ない日常を描くのだが、そこにどこか重苦しいストレスが見え隠れするし、ありきたりに展開する割には、押しつぶされるような息苦しさを感じてしまう。すっきりしない何者かを切々と訴えられるような映画だった。監督は森ガキ侑大

 

桃子がさりげない日常を淡々と過ごしている姿から映画は幕を開ける。母屋の離れに暮らし、夫の母照子は母屋で一人暮らし、すでに義父は亡くなっているようである。子供もいなくて夫の真守は桃子の言葉に応えるでもない冷めた夫婦関係である。この日も桃子がいつものようにゴミを捨てに行くと、分別していないゴミが散乱し、カラスがいたので追い払い、ゴミ置き場を掃除する。

 

義母の照子とはつかず離れず適当に過ごしている風である。ぴーちゃんという飼い猫らしいものを探すが、いつも見当たらない。近所でゴミ置き場が放火される事件が続いていて警官が巡回していたりする。桃子は真守の浮気を薄々知っていて、浮気相手のSNSらしきものを覗き見している。桃子は石鹸教室を週二回開いているが、元いた会社の上司に新しい企画を提案するがほとんど無視されている。それでも淡々と日々を過ごす。

 

ある日、夫から、彼女と会って欲しいと言われる。一瞬、耳を疑い、拒絶するが、改めて会うと応える。そして約束の場所で真守とその彼女奈央と三人で会う。真守は、奈央が妊娠したので別れてほしいというが桃子は拒否してその場を出ていく。そのまま真守は戻って来ず、桃子は畳をあげて床下にチェーンソーで穴を開ける。そこへ照子が入って来たので床下に隠れる。さらに真守も帰って来て照子と話すのを床下で盗み聞く桃子。

 

照子は桃子は少しおかしいという。真守は桃子と別れることを照子に話すが、かつて桃子と結婚するときも、桃子が妊娠したから前の妻と離婚して結婚したことを持ち出し、また同じことだと責める。桃子は真守と結婚して直後流産したことがあった。桃子は床下から何やら埋めたものを取り出す。それは、流産した子供に着せようとしていた産着だった。ぴーちゃんとは流産した桃子の子供のことだった。

 

桃子は産着と一晩寝て暮らし、そこへ照子が入って来て驚く。真守も入ってくる。桃子はチェーンソーでキッチンの柱を切ってしまう。それを見た真守は、桃子はおかしいと責める。桃子が深夜いつものようにゴミ捨て場に行くとゴミ捨て場が燃えていた。桃子はその場を走り去り、持っていたゴミを捨てていつもいくホームセンターの倉庫に駆け込む。そこに、いつも無口なレジの男子店員が、いつもゴミ捨て場を綺麗にしてくれてありがとうと礼を言うので桃子はようやく嬉し涙を流してしまう。

 

照子は家を売ることにしたと桃子に話し、桃子に離れは譲ると話す。取り壊される母屋を眺めながら桃子が部屋の奥に消えて映画は終わる。

 

淡々とした日常に微かな歪みが生まれて、それが広がるわけでもなく、そこから新しい物語が生まれていく。そこに驚くような希望も見えないが、それでもまた日常が始まる。吉田修一原作ゆえに、掴みきれない何かも見え隠れするし、映画の作りは決して悪くはないのかもしれないが、個人的には好みの作品ではなかった。

 

幻の光

静かに流れる時間を、詩情豊かな美しい映像と落ち着いた物語で描いていく秀作。遠景で捉える景色、日本間の襖の四角を通して描く構図、さりげなく四季を感じさせる演出、そして、子供の描き方、何気なく通り過ぎる野良犬や、懐かしい風情の景色もとっても詩的で、主人公の心の奥の蟠りがいつの間にか切なさに変わっていくストーリーに引き込まれてしまいました。いい映画だった。監督は是枝裕和。彼のデビュー作である。

 

尼崎の町、少年時代の郁夫が自転車で駆け抜けていく、少女時代のゆり子は、四国に帰って死んでしまうと言う祖母を追いかけて連れ戻そうとするも、結局連れ戻せず帰って来る。両親はそのうち戻ってくるだろうと気にしない。祖母はそのまま亡くなってしまい、ゆり子は連れ戻さなかったことを後悔する。そんな場面から映画は幕を開け、暗転すると、郁夫とゆり子は今は結婚して、アパートで暮らしで、一人息子勇一も生まれている幸せなシーンになって物語は始まる。隣の部屋に一人暮らしの老人がいて大きな音でラジオを聴いている。自転車を盗まれて甲子園まで別の自転車を盗みに行った郁夫は、ゆり子とペンキを塗っている。赤ん坊の勇一は近所へ預けて郁夫たちは仕事に出る。

 

ある日、郁夫はわざわざ自転車を置きに戻って来て、また仕事に出かけるが、夜になってゆり子が一人待つ部屋に警官がやって来る。警官は主人が戻っていないことを確認、先ほど列車に轢かれた男性が郁夫らしいと伝える。警察署にゆり子が行ってみると、自転車の鍵と職場の名前の入った布の切れ端だけがあった。勇一がまだ三ヶ月の時、郁夫はなぜか自殺した。そして時が流れる。

 

勇一が間も無く小学校という頃、近所の婦人の世話でゆり子は再婚することになり、奥能登の小さな村の民雄の元へ向かう。民雄には友子という娘もいたが、ゆり子にもなつき、勇一とも仲良くしてくれた。こうしてまた平穏な日々が始まる。近所のおばさんにも可愛がられたゆり子は、日本海の海の音を聞きながら民雄に愛されて過ごし、勇一も元気に育っていく。しかし、ゆり子はいまだに郁夫がなぜ自殺したのか分からず心の奥で悩んでいた。

 

ある冬の日、葬式の参列を目にしたゆり子は、磯辺で遺体を野焼きするところへ向かう。そこへ民雄も車でやってくる。いまだに郁夫がなぜ自殺したのか分からないというゆり子に、民雄は、漁師をしていた父もなぜか不思議な光が見えて海に引き込まれそうになる時があるという話をする。そして、多分郁夫もそんな光を見たのではないかと応える。浜辺で勇一が自転車の練習をしている。それを手伝う民雄と友子の姿があった。日本海の厳しい冬が去り、柔らかな季節に変わっていく。そんな能登の海岸を見て義父に話しかけるゆり子の姿で映画は終わる。

 

詩的な作品とはこういうものをいうのでしょう。劇的な出来事もなく、確かに夫の自殺は事件ではあるものの、どこか日常の一ページにしか見えない。子供達が遊ぶ景色はいかにも幸せな姿だし、能登は厳しい寒さといえども人々の心は常に温かい。尼崎に戻れば、下町らしい人情が溢れている。そんな古き良き日本の姿が、まだまだ残っていると言わんばかりの映像にすっかり引き込まれてしまいます。本当に見てよかった。

 

「帰って来たドラゴン」

すでにオリジナリネガが失われているために、監督が個人的に持っていたものをリマスターした結果、おそらく左右横長の画面がややカットされた形になっている。前半は、香港映画らしいふざけたコミカルなシーンの連続で次第に退屈になってくるが、クライマックスのブルース・リャンと倉田保昭の死闘シーンは相当に圧巻で、これを見ただけでも値打ちがあると言える作品。カンフー映画全盛期の香港映画を堪能した気がしました。今回は倉田保昭が自身のプロデュースで、現在の倉田保昭が夢を見て、忍者たちと戦う「夢」という短編がセットされています。監督はウー・シーユエン。

 

悪徳の金持ちから金を巻き上げて旅をするドラゴンが、イム・クンホーが支配する金沙村にやってくるところから映画は幕を開ける。途中、盗賊に襲われて反撃した後、二人組の強盗が襲って来た。彼らも打ちのめしたのだが、二人組はドラゴンを兄貴と慕ってついてくる。

 

金沙村には女格闘家イーグルもやってくる。実はチベットの寺院から盗まれたシルバー・パールを狙っていた。イム・クンホーは、殺人空手の使い手ブラック・ジャガーを呼び寄せ、彼にシルバー・パールを託す。それを狙ってドラゴンやイーグル達もブラック・ジャガーに戦いを挑む。

 

ブラック・ジャガーに次々とやられる中、彼を追い詰めたドラゴンは最後の死闘を行う。ヌンチャクなどの道具、さらに壁と壁を両足でよじ登ったり、建物を飛び回って戦いを繰り返し、ついにドラゴンはブラック・ジャガーを倒しシルバー・パールを手にするが、二人組強盗が乗って来たバギーがシルバー・パールをつけたまま暴走して崖下へ落ちて大爆発、シルバー・パールも砕けてしまう。こうして映画は終わる。

 

とにかく懐かしい香港カンフー映画で、ブルース・リーに負けじとアクションシーンに磨きをかけた演出が相当に見応えがあって面白い映画だった。

 

短編の「夢」は、今や高齢となった倉田保昭が縁側で昼寝をしていて夢の中、竹藪で忍者と戦う。最後は殺されかかって目が覚めるというもので、ユーモアとアクションが混じった楽しい作品だった。