くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「自由の暴力」(自由の代償)「エフィ・ブリースト」

「自由の暴力」

貧乏人は富裕層に搾取されるという大人の寓話のような映画だった。赤を基調にした色彩演出が美しく、シンプルに展開する物語は、ゲイを扱っているもののあまり意味のない所はちょっといただけないが、メッセージをブラさずにラストまで描き切った演出はさすがなものでした。監督はライナー・ヴェルナー・ファスビンダー

 

見せ物小屋の前を俯瞰で捉える画面から映画は幕を開ける。色とりどりに客たちを呼び込む男が、美女を紹介したり、生首がしゃべる出し物を紹介したりしていたが、そこへ刑事が踏み込んできて座長は逮捕され、役者や生首の出し物をしているフォックスことフランツらは路頭に迷ってしまう。ロトの宝くじが得意なフランツは、少額の金を無心して回るも誰も相手にしてくれず、姉のところへ行くも追い返される。そんな彼にマックスという男が声をかけてくる。高級車に乗る彼はいかにも裕福そうだった。

 

マックスに助けられて花屋で小金をせしめたフランツは、ロトで50万マルクという大金を手にする。マックスは自宅のパーティに招待し、フランツはそこで印刷工場を経営するオイゲンと知り合う。フランツは、いかにも上品で教養もあるオイゲンにすっかり惚れ込んでしまい、彼の会社の経営難を知って、自身の金を融通してやり。その契約の中で将来共同経営者にすると明記してもらう。しかし、何かにつけオイゲンはフランツを蔑んでいるような態度を見せる。そんな事もフランツには心地良かった。

 

フランツはオイゲンに言われるままに家を買い、高級家具を買い、服を買って、オイゲンの会社で下働きをするようになる。しかし、金が尽きてくるとオイゲンは次第に冷たくなっていき、フランツは追い詰められていく。二人で二週間の旅行から帰ると取引先が倒産したと嘆くオイゲンの父の姿があった。フランツはオイゲンの言うままに自身の名前で買った家の名義をオイゲンにし、金を融通してやる。

 

フランツは胸に痛みを覚え病院に行くが心因性のものだからと薬を処方される。フランツはある日、職場で失敗をして損害を与えてしまう。共同経営の話や最初に融通した金の返済の件で詰め寄ったが、契約の中で全て返済済みになっていた。最初からオイゲンらの計画だったのだ。全てを失ったフランツは姉のところへ行くも追い返される、自宅に行ってみると、オイゲンの元カレフィリップが出てきて追い返される。買った車も買い叩かれてなけなしの金だけ手にする。

 

駅の構内、二人の少年が倒れているフランツを見つける。彼は薬の飲み過ぎで死んでいた。車を売った金がポケットにあり子供らはそれを奪い、時計も盗み、服を脱がせてその場をさっていく。通りかかったマックスらも関わりを恐れてフランツを放って行ってしまう。こうして映画は終わる。

 

まさに資本主義の露骨な警告をメッセージにした作品で、辛辣そのものの展開には頭が下がります。シリアスながら辛い映画だった

 

「エフィ・ブリースト」

鏡を巧みに使った絵作りと短いシーンを淡々と繰り返しながら、知的な会話劇で描いていく一人の女性の幸福と後悔という作品で、非常にクオリティは高いのですが、暗転を繰り返す絵作りに次第に陶酔感に酔ってしまいました。監督はライナー・ヴェルナー・ファスビンダー

 

ブリースト家の娘エフィが庭のブランコに揺られている場面から映画は幕を開けます。彼女は、かつてエフィの母とも話があった二十歳年上のインシュテッテン男爵にみそめられて結婚する事になる。インシュテッテン男爵は、田舎町カッシンへ移住して生活を始める。しかし、何かにつけて若いエフィを躾けようとするインシュテッテン男爵の態度に自由奔放な性格のエフィは息苦しさを感じ始める。そんな頃、インシュテッテン男爵は、仕事でベルリンへ行く事になる。エフィはインシュテッテン男爵の友人で若く魅力的なクランパス少佐と交際するようになる。

 

数年後、たまたまクランパス少佐からエフィに当てたラブレターを見つけたインシュテッテン男爵は、クランパス少佐に決闘を申し込み、クランパス少佐はそこで亡くなってしまう。噂が広まり憔悴したエフィは愛娘アニーとも別れ、両親からも拒絶され、エフィを支える女中のロスヴィータと暮らし始める。しかし、次第に孤独と後悔が彼女を追い詰め体が弱り、それを見かねた主治医は両親の元に戻すべきだと進言する。

 

ようやく自宅に戻ったエフィだが、過去を振り返り、冒頭で乗っていたブランコに揺れながら牧師と話すも、やがて体は弱り死んでいく。エフィの希望で庭に埋葬されたが、その墓のそばに愛犬ロロが眠っていて、庭で両親が娘のことを語り合っている場面で映画は終わる。

 

鏡を多用した技巧的なシーンや、階段を見上げる長回し、白くシーンを暗転させながら、知的な会話とナレーションを織り交ぜた絵作り、決闘シーンで見せる空間の交錯などなど非常に凝った作りになっているし、モノクロ映像が実に美しい。決して凡作ではなく、かなりなクオリティなのですが、いかんせんしんどい作品だった。