くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「神々の深き欲望」「息子」

神々の深き欲望

「神々の深き欲望」
30数年前に初めてみたときは、さすがに自分の理解のレベルを超えていた。今回再見して、この映画のど迫力に度肝を抜かれる思いでした。

今村昌平ならではの毒々しいほどの色使いと、汗がほとばしるようなむせ返るような演出、それがこの南の島クラゲ島での出来事を圧倒的な迫力で描いていきます。

古い慣習を抜けたいという若者たちの気持ちとは裏腹にどうしようもなく束縛される古い慣習。それが自分たちの足かせであるのか、それとも存在するがために人間らしく生きているのか、近代化の波がじわりじわりと押し寄せようとする時の流れの中で、本能のままに生きる村の人たち。

昔からの掟を必死で守る根吉、少し頭のおかしいトリ子、根吉を慕う巫女のウマ、そして根吉の息子で都会にあこがれながらも最後には島に戻ってくる亀太郎、それぞれの人物がまるで主人公の足かせのごとく島につなぎ止められ、その掟のためには殺人さえも犯さざるを得ない。

そんな、どこか土着的な島の姿をとらえる今村昌平の視線はどこかで、今の文明を否定するかのような冷たささえ覚えられる。しかし、否応無く押し寄せる時の波にどうしようもなくもがく姿としてとらえる村人たちの姿が、どこか滑稽でさえ見えるのはなぜだろうか。

ぎらぎら照りつける太陽の黄色、真っ青な海の青、制裁を受けて真っ赤な帆につながれたウマの船、毒々しいほどにおもちゃのような色彩の汽車、この色彩の対比こそがこの映画を克明に語っているのかもしれません。

物語を丁寧に追うよりも、画面全体から伝わる熱い息吹をできる限りの感性で感じ取ったときにこの作品の真価が見てくるような気がします。

個人的に好みの映画ではありませんが、どこをつついても傑作と呼べる一本ではなかったかと思えるのがなんともくやしい映画でした。

「息子」
山田洋次監督は嫌いである。とはいっても、キネ旬1位の作品となれば見ていないというわけにもいかずみました。

物語というほどのものもなく、都会で住む息子と、田舎で一人暮らす父親の物語である。特に劇的なドラマもなく、悲劇も喜劇もない、まさに松竹映画ならではの家族ドラマであるが、静かに淡々と進むストーリー展開はなぜか飽きさせない魅力がある。登場する人物が妙に大げさな演技をするのは監督の意図したところだろう。それがちょっと鼻につく時もあるのであるが、それが映画なのである。そして、父親や息子がとってつけたような幸せなシーンを妄想するが、それも幼稚であって逆に作品全体に不思議なスパイスになる。

結局、東京にすむ二人の息子を訪ねた父が再び故郷へ帰ってきて、誰もいない家について、かつての若い頃を妄想しふと我に返って、カメラが雪に埋もれた家に明かりがともされるのを外からとらえてエンディングになる。

父親が心臓が悪いというエピソードもあるが決して苦しむシーンもラストで寂しく死んでいくシーンもない。さりげなく、それぞれの息子たちが幸せに暮らしていることをかみしめ、自分のかつてを思い出して終わらせるあたりの絶妙のバランスはさすがに山田洋次が並の監督でないことを伺わせる。

ラストシーンのあと、この映画の中のとってつけたようなシーンの数々がジワリとよみがえってくる演出は脱帽である。

とはいっても私は山田洋次監督は好きになれないです。