ユーモアあふれる演出がちりばめられた森田芳光ワールドが満載の作品に久しぶりに出会いました。といっても、これが遺作だなんて信じたくないですが現実なのが悲しい。
映画が娯楽であることを唯一知っている若手監督としてその魅力にはまりきってから久しくなります。最近は「椿三十郎」などの超大作に果敢に望む姿も見られましたが、やはり森田の魅力は今回の作品のような中にこそ発揮されます。
車両が一台しかないローカル線が走ってくる。中に乗っているのは恋人とデートを楽しむ小町。といっても彼女のことはそっちのけでイヤフォンで音楽を聴きながら電車のゆれにあわせて体を揺らしながら楽しむばかり。あけ放たれた電車の窓からは風は吹き込んできて彼女も髪を必死で押さえている。このファーストシーンからこの映画が電車オタクの物語だとわかりますが、なんの、そんな単調なものではなかった。
業を煮やした恋人が次の駅で降りると言い出してふられてしまった小町が離れた席でアジア系の二人の外国人と楽しそうに乗っている小玉と目を合わせる。妙な関西弁で受け答えするこの外国人がとってもユーモラス。
小町は大手建築会社の社員であるけれどとにかく電車が大好きで高層階からの見晴らしより電車が見える景色が好きという人物。
一方の小玉は職人技の光る町工場の二代目でそこで働く外国人二人の面倒も見る気のいい電車オタク。
小町が住んでいるマンションを出なければいけなくなり、小玉の社員寮に転がり込む。小玉は小町をある電車オタクの住むアパートへつれていくが、そこでその電車オタクは電車が見えるこの部屋が一番いいという。小町は電車に乗っても電車の音をきくとかではなく車窓から見える景色を見ながら音楽を聴くのが喜びだというし、小玉は電車の部品や金属製品、車両の構造や工場などを見るのが楽しいという。そんな声にアパートの電車オタクは「同じ電車好きでもいろんな楽しみ方があるものだなぁ」と感心する。
そう、一つの趣味があっても楽しみ方は千差万別、でも楽しむという気持ちは同じなのである。このシーンがなんとも私のような映画ファンには考えさせるものがあったりもしました。
ある日、小町は社長の意向で九州へ転勤に。一方の小玉は見合い相手にふられて傷心の中九州へ旅立つ。必然的かどうかともかく二人は出会う。そして当然のように意気投合。さらに現地で一人の中年の電車オタクのおっさんにも出会う。
小町が東京本社へ出社するときロビーで訳の分からない人が警備員に連れ去られたり、小玉がレストランで以前ふられた見合い相手の女性とはなしていると後ろでキャッチボールのボールをとり損ねたおっさんが横切ったりといったお遊びシーンなど森田ワールドがあちこちで炸裂する。
九州でビックプロジェクトを企画しようと画策する小町の会社の社長が九州での大手のメーカーの工場建設に参入しようとやってくるのが映画の本編。実はメーカーの社長が小町等が出会った電車オタクのおっさんであったり、小玉がふられた見合い相手の父親が買収しようと思っている農地の地主であったりと、あれよあれよと人間関係がつながっていくが、妙なシリアスさとかは吹っ飛ばしてどのシーンも、どの出会いも笑い飛ばして軽いタッチでどんどん進める物語展開はさすがに森田ワールド。
シリアスなドラマ展開ならここまでご都合主義だと現実味が薄れてしまって興ざめだが、森田芳光は冒頭からお遊びの連続と一つ一つのシーンに彼ならではのさめたような非現実的な演出が施されているので全くご都合主義に見えないから不思議なものである。
人物の会話のバックに遊びのシーンをもりこみ、一方、しゃかりきに人物を描こうとか心理ドラマを描こうとかするような肩の凝る演出はいっさいしない。淡々となるようになっていく人の縁のおもしろさ、軽やかさが作品全体から花火のようにあふれでてくるのです。
プロジェクトを進める女社長もやり手というよりとっても暖かい人間味あふれるユーモア満点人物に演出するし、小玉の見合い相手のお母さんに伊東ゆかりを配して、小指のエピソードで笑いを誘ったり、女社長の周辺の部下たちもどこかふつうのおっさんにしか見えない。ところどころに小玉と小町の電車オタクのエピソードを交え、さらにほんのちょっとした登場人物にもそのあたりの色合いをにじませる脚本の妙味にも頭が下がる。
小町とキスをするあずさは最後にはサンダーバードJrという外人と結婚するし、とにかく人生ってこんなものだと笑ってしまう。
登場人物の仕草にふざけたような効果音をふんだんに使って舞台演出のような笑いも描写する。こんな遊び心をもっと今の映画監督も勉強してほしいと思う。
結局、何もかもうまくいって、小町は再び本社へ、小玉の工場も今回、小町が手がけた仕事の社長の工場の部品調達の仕事で持ち直す。
小町と小玉が電車に乗ってあちこちをまわっては楽しそうにくつろぐ姿をとらえてエンディングになる。
こんな個性的な映画を作る森田芳光、大好きな監督で、デビュー間近のピンク映画時代こそ見ていないものの、その後は一本も見逃していないほどの大ファンである監督の一人、とにかく惜しい人を亡くした思いでいっぱいです。