くらのすけの映画日記

「映画倶楽部シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「アメリカン・グラフィティ」「ミロクローゼ」

アメリカングラフィティ

アメリカン・グラフィティ
ジョージ・ルーカス監督の傑作であるが今まで見逃していた一本をようやく見ることができた。

全編にオールディーズが流れ、ヴィンテージカーが次々と画面を彩っていく。物語は卒業を迎えた若者たちの一晩の物語をただひたすら追いかけていくだけであるが、何ともいえない心地よい映像のリズムが伝わってくる。

ひとときの恋人との別れがあり、女の子を誘っての甘酸っぱい青春があり、不良たちのとささやかな諍いがある。ぎらぎらした青春というより、本当にさりげない古きアメリカの若者たちの時代を音楽と映像だけで語っていく。

若きリチャード・ドレイファスハリソン・フォード、等々の初々しさはもちろんだが、ノスタルジーの中に夢いっぱいだったアメリカの一つの時代をかいま見るような気もする。

凝った演出があるわけでもないのに映像が音楽に乗せてどんどん展開していくリズム感が本当に心地よく、名作というのはこんな瞬間に生まれるものなのだとうなづいてしまう瞬間がある。

次々と登場する車がこの映画の見所の一つなのだが、残念ながらそういう知識に乏しいのは実に惜しい気がする。それでもついつ乗りたくなるような魅力的なデザインの車が次々と登場人物を乗せていく、いわば車が生き物のようにストーリーを奏でる映画でもある。

一見、様々なエピソードを追いかけているだけのようで、しっかりと、若者たちの青春のひとときを一瞬の輝きのように見事に切り取った作品として仕上がっていていつの間にかこの時代に生きたかのような感覚の中で自分の青春時代が被さってくる。その映像センスとストーリーセンスのすばらしさに拍手したい一本でした。さすが名作。


「ミロクローゼ」
映画が始まったとたんにリズミカルな音楽に一気に別世界に引き込まれる。流れるように手前から奥へ移動していくクレジット、リズム感あふれる導入部から物語はオブレネリ・ブレネギリャーという訳の分からない子供が登場してナンセンスと映像感覚だけのノリとつっこみのナレーションの中で物語が始まる。

既成概念や時間や空間をぶちこわして好き勝手な映像表現で映画として組み直していくのは何でもありだと思う。そこにリズムを生み出し、語りかけるストーリーが展開すればそれでいい。つじつまとかリアリティとかそんなものも必要ない。石橋義正監督のセンスだけで映像が展開していく。

そんな自由奔放な映像がどんどんストーリーらしきものを先へ進めていく。オブレネリ・ブレネギリャーが偉大なミロクローゼに恋をし、切ないようなラブストーリーが語られる。しかし失恋の後、ぽっかりと胸にあいた穴を鍋のふたでふさいで物語はカリスマ恋愛相談家熊谷ベッソンの展開へ。

若者のめんどくさい恋愛相談に一刀両断に切りつける受け答えと派手なダンスシーンが次々と登場。意味不明なようで根底にラブストーリーが流れていく。

乗っている車がある人物をひき殺して物語は片目の侍タモンへと展開する。サイケデリックな中に統一された色調の個性的なカラー表現のおもしろさも目を引くが、映像表現の中にちりばめられたリズム感の感性もなかなかのものである。

時代がさかのぼるのか未来へ流れるのか訳の分からない縦横無尽のカット割りでタモンとユリの物語を一通りか足り尽くして再びオブレネリ・ブレネギリャーの話へ戻る。

30年たったオブレネリ・ブレネギリャーは秘湯巡りの途中で再び偉大なるミロクローゼと出会う。しかし彼女はすでに結婚している。かつての恋に終止符を打った彼の胸の穴はふさがれ、親友の猫も戻って、平穏な生活が戻って映画はエンディング。エンドクレジットさえも映像のリズムに巻き込むくらいの迫力にまいってしまう。難をいうとタモンが賭場のやくざ連中を斬る殺陣のシーンのスローモーションがやや全体のリズムの中では間延びしているといえなくもない。

と、一応ストーリーを紡いでみたが、それほど細かくこだわる必要もないし、時の流れも空間の移動も不必要なただ映像と音楽のリズム感で突っ走る映画である。個性的というより、ある意味映画の基本的な部分を押さえた作品であることも確かで、なかなか楽しい一本でした。