「64(ロクヨン)−前編−」
久しぶりに、日本映画の、そして人間ドラマの傑作に出会いました。劇場内が静まり返るほどの緊迫感と胸に迫ってくる感動に、いつの間にか胸が熱くなり、涙がじわっとにじんでくる。後編があるとなっているから前半半分としてみますが、おそらく、この前半だけでドラマを完結させても、それはそれで成り立つほどの完成度、見事でした。
登場人物にぐっと寄る一瞬のカメラの視線のカットが見事だし、ストーリーの組み立ても素晴らしい。なんといっても主人公三上を演じた佐藤浩市の演技が、おそらく近年最高ではないかと思えます。監督は瀬々敬久。
昭和64年、一人の少女がこれから遊びに行こうとしている。雨宮家の一人娘を普通に送り出す両親のカットに続いて、少女が誘拐された物語に流れる。雨宮の工場の真っ黄色な覆いをくぐってくる刑事たちの絵作りがまず目を引く。そして緊迫感あふれる身代金受け渡しの場面から、少女がトランクの中で死体で発見される下りへ。捜査主任の三上の悲痛なカットから、昭和天皇の崩御で世間が湧いているシーンを、通りに国旗が並ぶシンメトリーなシーンで描いて、時は14年後に移る。
その時の事件の関係者の刑事たちは、それぞれ心の病に侵されたもの、左遷されたもの、さまざまであり、主人公三上も広報官として左遷され、警察の窓口として、報道室との確執が描かれる。時に起こったひき逃げ事件で、犯人の妊婦の名前を隠したことから起こる報道室とのトラブル。それを力で抑えるよう命じる三上の上司たち、そこへ、時効が一年後に迫り、長官が雨宮家を訪問するという出来事が被ってくる。
それは、長官の訪問は表の話で、実は県警本部長の椅子を本部のキャリアに移し、すべてを掌握するという上層部の計画だった。
一方、ロクヨンの事件で覆い隠されていた、犯人の声の録音ミスという失態。それを追い詰め、真相を手に入れ、一方で三上は、猛反発されている報道室に、今後はすべてを実名で報告すると、自分の首をかけて宣言する。
ところが、それで、報道室と三上との確執が消えたと思われたのもつかの間、捜査一課以下すべてを巻き込んだ事件に臨むことになる。ロクヨンを模倣した誘拐事件が起こったのだ。その報道規制を取るように三上に要請が来る。そして物語は後半へ続くのだが、ここまででも、かなりの人間ドラマとして完成しているし、体を張って演説する佐藤浩市だけでなく、周囲の役者さんたちすべてが素晴らしいし、さらに、ロクヨンでかかわった人々と対峙する三上の姿のシーンが実にうまい。
演出もさることながら佐藤浩市いか脇役も含めて実力派をそろえ、演技合戦も見事なので、何もかもが一級品のサスペンスになるのだ。本当に素晴らしい映画を見たという感じでした。後編が早く見たいです。