「ルース・エドガー」
久しぶりに悩む映画に出会いました。見ている私たちが登場人物に疑心暗鬼になってしまう展開にいつの間にかどんどん引き込まれてしまいました。役者陣の演技力もさることながら戯曲を原案にした脚本の面白さにも舌を巻いてしまった。監督はジュリアス・オナー。
あるハイスクールのロッカーに包み袋が入れられるシーンから映画は幕を開ける。ここにこの学校の優等生ルースのスピーチする場面。その場の人たちをたたえながら優等生ならではのスピーチを終える。ここに彼の担当の歴史の先生で黒人のウィルソン教師がいる。
ある時、ウィルソンはルースの母エイミーを学校に呼ぶ。ルースが書いたレポートに、諍いをなくすためには銃を使用するもやむなしという言葉とロッカーから見つけた不法な花火の袋で、彼は危険人物になる可能性があるから彼と話してほしいということだった。
これまでなんの問題もなく育ったルースになかなか言い出せないエイミーは夫ピーターと相談して、結局、預かった袋とレポートを隠してしまう。ところがたまたまルースはそのレポートと包みを見つけてしまうが、見つけたことは両親にも話さなかった。どうやらルースは養子らしく、悲惨な状況だった少年をエイミーたちが引き取ったのだろうと推測される。ただ、あまり具体的な過程は最後まで説明されない。
優等生のルースに裏の顔があると疑うウィルソンはルースの交友関係などもチェックし、エイミーらにもその様子を説明していく。次第にエイミーたちもルースのことに疑心暗鬼になっていく。
エイミーはルースの元カノステファニーに連絡を取り密かにルースの素顔を知ろうとするが、そこから見えてくるのもルースの謎の姿だけだった。一方ウィルソンには、肉親に精神的に不安定なローズという娘がいて、ある時、スーパーでローズはルースと知り合う。その直後、錯乱したローズが学校にやってきてウィルソンに迷惑をかけ、その時の動画も広まった上、ウィルソンは自宅に落書きされたりする。
ルースは両親に、ウィルソンは自分の政治的な考えのために学校の黒人たちを利用しているようなことを吹聴、次第にエイミーたちもウィルソンへの不信感を持ち始める。一方、ルースを守ることを決める。
ウィルソンは、全てルースの仕業と考え、校長に直談判して、ルースの両親、ルースを交えての懇談会の機会を要求する。そして全員が揃った場で、ウィルソンはルースを追い詰めようとするが、巧みにかわすルース。そして、花火の包み袋のことをウィルソンが言及すると、エイミーはそんな物は預かっていないという。この嘘で一気にウィルソンは苦境になり懇談は中止になる。ところがその夜、学校で花火が引火する事故が起こる。エイミーが慌てて自分が隠した場所を探すと花火がない。エイミーはルースのことを疑う。ウィルソンはこのことで、ウィルソンが学校に花火をおいていたのではないかと疑われ、退職に追い込まれていく。
そしてたまたま学校帰りにルースを見かけたエイミーが後をつけていくと、なんと森の小屋でルースとステファニーが抱き合っていた。全てはルースの策略だったのか。
エイミーは家に帰り、散らかした棚のそばでしゃがんでいるとルースが帰ってきて包みを出す。そこには花火ではなく、幼い頃ルースに両親がプレゼントし、ルースが投げつけた魚が入っていた。ルースは両親がしていたことは全てわかっていたかのような言葉を発し、演技は上手いのだと笑う。
この日もルースは大勢の前でスピーチしていた。そして、ジョギングするルースのカット。ルースは狂ったようにがむしゃらに走り出して映画は終わる。
ドラッグ仲間の黒人とのエピソードやウィルソン先生のセリフにチラホラ挿入される黒人差別の現実、さらにステファニーの存在の意味深な設定など、至る所に隠されているような伏線も映画に謎を生み出し、ちょっと風変わりなミステリーに仕上がっていたと思います。
「ポップスター」
ミュージックビデオを見ているようなカメラ表現で見せる、まさにポップな映像作品でした。流石にナタリー・ポートマンの迫力の演技に圧倒される一本でしたが、物語としてはよくあるパターンと言えなくもなかった。監督はブラディ・コーベット。
幼い頃のエレノアとセレステのホームムービーの映像から映画は幕を開ける。そして延々と続く道をカメラが追い、タイトルバック。
セレステが通うある高校のクラス、先生が遅れている生徒を待っている。時は1987年、突然カレンと名乗るゲイのクラスメートが入ってきて先生を撃ち殺し機関銃を撃ちまくる。そして、外では爆発が起こり、続いてセレステも撃たれる。しかし彼女は重症だが命は取り止め、姉のエレノアと病室で追悼の曲を作る。
その曲が大ヒットして、敏腕マネージャーがついて姉妹はメジャーデビューする。物語は、まだまだ幼い姉妹が芸能界に揉まれていく姿を描いていくが、やがてふとしたことでエレノアとセレステは別々の道を歩む。時に貿易センタービルへのテロが起こり、時代はどこか変化していく。
あれから18年、セレステにも娘がいた。一時はどん底に落ちてしまったが、故郷に戻っての復活コンサートが控えていた。ドラッグに溺れ、口汚く罵るが、それもこれもがスターまで昇りつけた少女のストレスからのものだった。
そんなコンサートの迫る日、彼女の舞台衣装に似た格好で海岸で銃乱射事件が起こる。過去を思い出しながらも前に進むべく舞台に立つセレステの前に大勢の観客の姿があった。
ナタリー・ポートマンがプロデュースしているということは、銃乱射やテロへのメッセージから生まれた映画なのだろうと思いますが、コマ落としを使ったシーンや、長回しによる映像、長いナレーションなど、一風変わった映像が面白い作品で、クライマックスのステージシーンの迫力は流石にナタリー・ポートマンの真骨頂です。少し変わった映画という感じの一本でした。