「多十郎殉愛記」
すでに時代劇をまともに作ることはできないようです。メインキャスト以外は、殺陣はできるが演技はど素人というレベルの役者を配置して、脚本も弱いので、登場人物が生きていないし、どうしようもない出来栄えでした。監督は中島貞夫。
時は幕末、居酒屋の用心棒をして暮らす多十郎は、長州を脱藩したものの、剣の腕も見込まれたひとかどの人物だったが、何があったか今のようになっている。
尊王攘夷の浪人たちを狩る新撰組らが京都を徘徊、さらに脱藩者を取り締まる薩長藩らが多十郎の存在を知り、討とうとするが、いかんせん、腕が立つ。とまあ、主な物語はこうなのだが、密かに惚れるおとよの存在、多十郎の弟の存在など、雑多な脇の物語がかぶっていく。
結局、多十郎は討ち取られ、儚い結末となるのだが、なんとも弱い。特に周辺の脇役がほとんど演技ど素人臭く、見てられなかった。いくら中島貞夫とはいえ、今や時代劇を撮れる土壌はないのだということの証明のような映画だった。
「藤十郎の恋」
えらく良かった。それほど期待もしてなかったが、これが日本映画の底力と言いたい傑作でした。長谷川一夫も素晴らしいが、いつもと違う京マチ子も絶品。監督は森一生。
京都、一代の名優坂田藤十郎の全盛期に物語が始まる。ここに江戸から看板役者が興行で乗り込んでくる。そして、坂田藤十郎の人気を取るほどの成功を収めるに至り、藤十郎は近松門左衛門に新しい演目を要求する。そしてでてきたのは、当時流行り始めた不義密通を題材にした一本。
今まで演じたことのない演目に苦悩する藤十郎は、谷町としてささえてくれているお梶に偽りで言い寄り、不義の心情の演出の手本としてしまう。
そして初日、藤十郎の舞台は大成功、それを見ていたお梶は、その芝居が、自分と藤十郎のいっときの出来事そのままであることを知り、その場で自害して果てる。
藤十郎は、お梶への思いから芝居をしないと一時は断言するが、近松の一言で鬼となり、第二幕を演じて映画が終わる。まさに鬼気迫るクライマックスの素晴らしさ、歌舞伎舞台と楽屋の空間演出の見事さ、抜きん出たカメラアングルに圧倒されます。
見事というほかない一本。素晴らしかったです。
「浅草の夜」
物語を詰め込んだ感じの一本で、よく考えるとツッコミどころ満載ですが、ありきたりに展開しない適当さは映画を楽しむ意味では面白かったです。監督は島耕二。
浅草、一人の少年が川に落ちているラッパを拾おうとしてボートが走り去り、悪態を吐くところから映画が始まる。そこへやってきたには近くの芝居小屋の脚本家の山浦。物語はこの芝居小屋からスタート。
ここのダンサー節子と山浦はいい仲だが、節子には妹の波江がいる。波江は若手の画家と恋仲だが節子は大反対している。理由は終盤でわかるが、画家の父親は元節子たちの父親で、幼い頃捨てられた恨みがある。
若い画家は養子なので波江との結婚は大丈夫だが、この地のヤクザの三代目が波江にちょっかいを出していて、それがまたこじれる。
とまあ、二重三重の物語が絡み合って、なんとか収まるところに収まったようで映画が終わる。かなり雑ですが、映画全盛期の一本という風情が漂う楽しい映画でした。