くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「悪魔と夜ふかし」「シビル・ウォー アメリカ最後の日」

「悪魔と夜ふかし」

面白い展開なのですが、いかんせん全体のエピソードのバランスが悪いのか、やたら長く感じる。後半をテレビ番組を再放映しますという形で映し出すので、くだらない前半部分も付き合わねばならず、クライマックスまでかなりしんどかった。終盤の見せ方はグロでもなく平凡でもなく、工夫がないとは言わないけれど、びっくりするまでではなかった。シュールなエンディングは監督の意図もあって楽しめました。監督はコリン・ケアンズ、キャメロン・ケアンズ

 

1971年ごろの世界の出来事やニュース映像、人類が迎える様々な危機が描かれ映画は幕を開ける。1977年に鳴り物入りで登場した深夜番組ナイト・オウルズは、司会者ジャックの軽妙な会話と、奇抜な演出でみるみる人気を得ていくが、トップには今一歩届かなかった。やがてそれもマンネリ化し視聴率は低迷し始める。そんなる時、ジャックは一ヶ月行方をくらましてしまう。

 

一ヶ月ののち復帰したジャックが提案したのは、先日、悪魔儀式で警察に包囲され、結局信者たちが自ら放火して果てた事件の生き残りの少女リリーと彼女を保護しているジューン博士を招くというものだった。そしていつものようにナイト・オウルズが始まり、自称霊能力者のクリストゥがまずいかにもインチキな霊の威力を発揮。続いて超常現象を看破すると豪語するヘイグと論戦を戦わす。しかし終わりぎわクリストゥは突然嘔吐し体調を崩す。ジャックは最後にこの日のメインイベント、ジューン博士とリリーを迎える。

 

二人に、頭ごなしに持論をぶつけるヘイグ。一方体調を崩したクリストゥは、病院へ搬送される途中亡くなってしまう。ジャックはジューン博士とリリーに悪魔を呼び出してもらうことにする。ジューン博士は気乗りしなかったが、短時間だけ呼び出すことにする。拘束されたリリーが悪魔を呼び出すと、突然声が変わり、恐ろしい形相でスタジオの人々を恐怖に陥れる。しかし終わってから、全てはトリックだとヘイグは豪語し、トリックはこうだと、集団催眠術でジャックの相棒ガスをミミズで恐怖に襲われたかの幻覚を見せる。

 

あとでガスのビデオを見直して、何も起こっていなかったことが判明、ヘイグはリリーもそうだったと再度言って、リリーのビデオも再現するが、そこにはリリーが実際に形相が変わった姿が映っていた。それでもヘイグは反論を続けたので、リリーは突然態度が変わり、悪魔が憑依し、ジャックを突き飛ばし、ガスやジューン博士、ヘイグを惨殺し、会場内を大混乱に陥れる。

 

ジャックは一旦外に出たが戻ってみると、スタッフもキャストも死んでいて、突然彼は悪魔に儀式に連れて行かれ、気がつくと自分はナイフでリリーを突き刺していた。ジャックは過去の様々が再現され映画は終わっていく。

 

もう少し全体のエピソードの構成を工夫するか、演出に凝れば、もっと面白くできる題材だと思いますが、脚本が少し練り足りない感じがしました。一級品を作ろうというより、アイデア勝負の娯楽作品を作ったという感じでした。

 

「シビル・ウォー アメリカ最後の日」

アメリカ本土の内戦を舞台にしているが、決して反戦を描いたわけでも、何かのメッセージを描いたわけでもなく、一人の少女が成長する物語を描いたヒューマンドラマの形式をとったある意味明日にも訪れる隠れた恐怖を描いた作品だった。戦闘シーンが詩的な程に美しく映像化され、一種のファンタジーである。世界は様々な中で一種の戦闘状態であり、それは経済的な戦争でもあり、リアルな殺戮でもあり、身近な人間同士の確執や諍いでもある。それを内戦という近未来の設定で描写しているだけで、そこに流れるのは何かのきっかけで現れる恐怖、そしてそれをジェシーの成長物語で彩った気がします。オリジナリティあふれる傑作だった。どこかもやもやするものの、見事な映画だった。監督はアレックス・ガーランド

 

アメリカ合衆国の大統領が勝利宣言をしている場面から映画は幕を開ける。そのニュースを自宅で見ている戦場カメラマンのリーは、近くで起こった武力衝突の取材に飛び出していく。連邦政府から十九の州が離脱しアメリカ国内は内戦状態で、この日もニューヨークで武力衝突が起こっていた。現場についたリーはいつものように写真を撮り始めるが、そこに、まだ若い一人の少女の姿を見かける。彼女の名はジェシーと言って戦場カメラマンを目指していた。目に前に憧れのリーを見たジェシーは、リーが滞在するホテルへ行く。

 

リーは、同僚のジョエル、ベテランカメラマンで恩師のサミーと、ワシントンD.C.へいく相談をしていた。十四ヶ月もインタビューに応じていない大統領に会って、最後の言葉を聞き特ダネにしようというのだった。翌朝、ジョエルが準備した車に、昨夜反対したサミーだけでなく、ジェシーも乗っていた。リーは異論を唱えるも、ジョエルは、ジェシーも連れていくことにする。映画はここからワシントンD.C.を目指す四人のロードムービーの様式になり、いく先々で、武力衝突の跡を見ながら、夜には彼方で上がるロケット弾の明かりなどを見つめ進む。

 

ガソリンを入れるために立ち寄ったところで、略奪者を吊るしている景色を見るジェシー。ある街では内戦などどこ吹く風という長閑な雰囲気ながら、建物の屋上にはスナイパーがいる。しばらくして、ジョエルの知り合いの東洋人ジャーナリストが追ってきて、ふざける中でジェシーを自分らの乗せて先に行くが、政府軍か離脱軍かわからなく暴徒と化したならずもの軍隊らと遭遇することになる。ジョエルの知り合いののジャーナリストは殺され、あわや全員殺されるかと思われたが、サミーの機転で車でならず者たちを跳ね飛ばし、脱出する。しかし、その途中サミーも重傷を負う。この時、ジェシーは初めて命の危険を感じ、車の中で嘔吐する。

 

ようやく、ワシントンD.C.前の前線基地まで辿り着いたが、サミーは息を引き取り、さらに、連邦政府側は降伏したことが判明、ワシントンD.C.に乗り込んで大統領にインタビューするという特ダネは取り損ねたとリーらは落胆する。リーらは離脱軍と行動を共にしてワシントンD.C.突入に加わる。戦場写真を撮りながらホワイトハウスに迫るが、中から大統領車と警備車が飛び出してくる。ジャーナリストらはその車を追うが、リーは、そこには乗っていないと判断し、ジョエルやジェシーらとホワイトハウスの中へ進む。離脱軍も彼らに伴ってホワイトハウスに突入する。

 

案の定中に大統領はいた。大統領にボディガードらと銃撃戦が始まる。ところが、撮影に夢中になり飛び出したジェシーをかばったリーは撃たれてしまう。リーが倒れる瞬間をカメラに収めたジェシーだが、すぐ立ち上がり、大統領が追い詰められた部屋へ駆けつける。ジョエルは、銃で囲まれた大統領に最後の言葉を聞き、大統領はそのまま撃たれてしまう。その瞬間をジェシーはカメラに収めた。こうして映画は終わる。大統領の死体の横で微笑む兵士たちの写真をバックにエンドクレジットが流れ、ジェシーは、報道カメラマンへの一歩を進める。

 

サミーやリーが亡くなったことへの感傷的な場面が一切なく、燃える森の火の粉の中を幻想的に進む戦車や軍用車の場面、朝陽の中たくさんのヘリが飛び去っていく映像など、様々なショットが実に幻想的で美しい。途中出会うならず者的なそれぞれもあまり深く関わらずに次へ物語を流していく。そんな中で、ジェシーは人の死を目の当たりにし、自身の死に直面し、ある時は震え、ある時は嘔吐し、ある時は涙してしまう。しかし、最後の最後、彼女の目には力強さが満ち溢れている。つまりこういう映画なのである。なぜ内戦になったかなどは語らず、あくまで舞台設定でしかない。その意味で、映像を操った作品として見事な一本だったと思う。