くらのすけの映画日記

「映画倶楽部シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「殺し屋」「ローラーとバイオリン」「僕の村は戦場だった」

殺し屋

「殺し屋」
アンドレイ・タルコフスキー監督が映画学校3年の時にミハエル・ロンムという人と共同監督をした習作である。
従って、タルコフスキーならではのファンタジックなシーンがあるわけでもなく、どこかフィルムノワールを思わせる画面づくりもちらほらするまさしく習作である。

二人の男がとあるバーへやってくる。そこで二人はマスターに夕食を頼むが、マスターは6時からだと断る。この二人実は殺し屋で6時にこのバーに来る一人の男を待っているのだという。
そして先にきていた若い客、コックの黒人を縛って、目当ての男を待つが、結局現れない。そのまま二人は去るが、マスターは先客の男に命をねらわれている男の元へ知らせるように告げる。というような内容である。


「ローラーとバイオリン」
タルコフスキー監督の長編第一作。タルコフスキーならではのファンタジックな映像が随所に見られる秀作でした。

一人の少年がバイオリンを抱えて階段を駆け下りてくる場面から始まります。階下には悪ガキらしき子供たち。彼らにからかわれているところを近くでアスファルトのローラーカーで作業している一人の男に助けられ仲良くなります。
ショーウインドウの中の断片的な鏡に映る町並みや水たまりに映る二人のショットが波紋で揺れるシーン、バイオリン教室で出会った少女にリンゴを渡し、教室を出てきたところ、リンゴが食べられているというショットなどファンタジックな映像が次々と展開し、タルコフスキー映像に魅了されていきます。

物語は、おそらく裕福な家庭であろうこの少年と労働者階級としてのローラーカーの男とのお互いがお互いにあこがれる中で生まれた友情、さらにこの男に密かにあこがれる女性などを描いたたわいないお話です。しかし、実に詩的で、とある町のちょっとした友情と恋のものがたりが幻想的な映像でつづられていくストーリーは必見の一本でしょうね。

ラストシーン、男と映画を見る約束を母に止められて外にでられなくなった少年の心が、部屋を出て男の乗るローラーカーに乗って浜辺を走り去るエンディングは感動的でした。


僕の村は戦場だった
噂には聞いていましたが、これほどまでの傑作とは思いませんでした。すばらしい映画でした。
タルコフスキーならではの詩的な映像と、独ソ戦争の悲劇を現実的にとらえた対照的な映像が見事にコラボレートして、一歩間違うとおとぎ話のような陶酔感の中で迎える衝撃的なラストにうなってしまうほどに感動してしまいました。

一人の半裸の少年が森にたたずんでいます。蝶が舞い、その蝶を視線が追いかけるとカメラが蝶の視線のごとくふわっと舞い上がります。ショットは変わって少年の前に一人の母親らしき女性。うれしそうに駆け寄る少年。次の瞬間、ぼろ小屋で飛び起きる少年。実はこの少年はソ連側からドイツに潜入して情報を探るゲリラ兵なのです。ショッキングなオープニングに一気に引き込まれます。

湿地の中を必死で駆け抜けてソ連領に舞い戻ったところから本編が始まります。
戦場の場面がリアルに生々しく語られる現実と、少年が夢見るときにみる平和な頃の詩情あふれる映像の対比が実に効果的で、本当に美しい。

湿地の中を進む場面で水面に映る照明弾の光の動きの中で船をこいでいくショット、少年が夢の中でみる母親が井戸の外で倒れたところに降りかかる井戸水のショット、あるいは少年が愛らしい少女とリンゴを積んだトラックに乗っていく中で、リンゴが道にこぼれだし、馬が拾い食いするショットなどタルコフスキーならではのファンタジックな映像もふんだんに盛り込まれています。

すでに両親の行方もわからない少年イワンの親代わりは戦場の3人の兵士たちだった。そして、冒頭のゲリラ斥候を終えたイワンにその兵士は幼年学校へ行くように勧める。
しかし、それに反対し、再度斥候にでる。無事ソ連領に送り届けた兵士たち、しかしまもなく戦争は終結。ドイツの収容所を制圧した兵士たちがそこでみたのはドイツ軍が捕まえたソ連からの斥候たちの処刑のリストファイルだった、そしてそこにはイワンの名が・・・・

処刑される寸前に見たであろうイワンの幻想は愛くるしい少女と一緒に浜辺を駆け抜ける場面でした。

タルコフスキーならではの映像美の世界とサスペンス色あふれるストーリー展開、そして悲劇的なラストに見せる切ない現実への警告。完成度の高い見事な作品でした。