「第一部、第二部」
死ぬまでにもう一度スクリーンで見たい映画の一本がこの「人間の條件」全編である。
今回、30年ぶりに見直したが、おもしろい。とにかくプロットからプロットへ見せ場の展開が本当にみごとなほどに引き込まれる。もちろん、テーマは徹底的な主人公のヒューマニズムなのですが、その極端な描き方はともかくも、娯楽作品として一級品だから、この長尺なドラマも楽しめるのである。
第一部、第二部は主人公梶が満州の鉱山に派遣され、そこで、非人道的に酷使されている捕虜たちに対し極端すぎる人道主義で対応していく。結局人と人のつながりが生まれるかどうかというあたりで、憲兵に逆らったために徴兵免除だったはずの約束が反故にされて、赤紙が来るところで終わる。
主人公だけでなく周辺の俳優たちも超一流陣をそろえ、徹底的なきまじめな映像で演出していく小林正樹監督の描写は鬼気迫る一方で、そこまで?と疑問さえ有無ほどにステロタイプされている。しかし、今となってはこれだけの作品を作ることはほとんど不可能であるし、せりふのひとつひとつとっても、今では禁止ワードだらけなのである。しかし、だからこそ、見過ごしてはいけない必見の映画なのだと重う。
「第三部、第四部」
物語はソ連との国境線の戦場での兵舎での展開となる。古参兵による新兵への執拗ないじめのなかで、人道的精神を発揮する梶の姿を通じて、人間の本来の生き方を問うていく物語である。
戦場での物語であるが、派手なスペクタクルはなく、ひたすら人間ドラマが徹底的に描かれる様子は一貫した小林正樹の演出である。しかし、戦局が危うくなり、じわりじわりと敗戦の色が濃くなり始めて行く様子が、ときおりでてくる会話や上官の厳しい表情の描写の中に見え隠れし始める。
クライマックスは、いよいよ侵攻を開始したソ連群の戦車が梶たちの軍隊に迫り、一人また一人と死んでいく。瀕死の中生き残った梶はどんなことをしてでも生き残ってやると屍の中を歩く姿でエンディングとなる。
一貫したきまじめな映像であるが、時にカメラアングルを斜めに構え、バストショットからクローズアップへと繰り返す緊迫した人物の会話の場面が実にピリピリした迫力を生み出して、徐々に演出が変わっていくのがわかります。
第一部、第二部に比べややテーマ性が薄れた感じがないわけでもありませんが、徐々に梶本人のみでなく、日本の国民全体に対する人間のドラマへと視点が移る下りが見事。
ただ、常に梶が美千子を思うショットが絶対に途切れることがなく、人間の本来の姿には愛が不可欠であるといわんばかりである。
「第五部、第六部」
このクライマックスの二部が一番映像的にも作品の完成度が高い。いったんスクリーンに引き込んだら視線をはずせないほどの迫力で画面に釘付けになるのである。したがって、ここまでみてきているにも関わらず全く眠気をもようさないのだ。
物語はソ連群に破れ、数人でソ連の国内を彷徨するうちに人々や別の部隊と出会いながら、やがてソ連の捕虜となり、第一部、第二部で描かれた姿と逆の立場になってもなお、人道主義と理想論を掲げながらも、成り行きで人殺しをし、自らの行動に悩み、自分の理想に至るまでにはいかに時間が足りないかを実感しながら、やがては脱出、雪のシベリアで美千子への思いを抱いて死んでいく。
どっしりと構えたカメラが時にクローズアップから、さらに寄って顔の半分や、体の半分をとらえるような極端なアングルを繰り返し、背後に全く風景を入れずに顔をとらえてみたり、斜めのショットを繰り返し繰り返し移して不安な心理を見事に描写したりと、映像表現にもかなりのテクニックが駆使される。
さらに、導入部での自分の立場とは逆の立場に境遇を置くことで自らの行動の矛盾を自覚し、それでも覆せない自分の理想に悩む梶の姿を通じて、この作品の前提に統一されたテーマを圧倒的な迫力で訴えかけてくる。
これほどの大作であるにもかかわらず、全く気を抜かず、最後まで一心不乱に真正面からまじめに演出したこ林正樹の実力の真骨頂をみる思いでした。
全体を通して、前半、理想主義に燃える梶の姿が全体にやや浮いてしまうのですが、中盤から後半の骨太な映像による締めくくりで一つにまとまっていくのは全くすばらしいの一言につきます。さらに、当時の映画産業を支えた舞台俳優たちによる脇固めによって、揺るぎないドラマが語られていく様はこれこそ大作と呼ぶにふさわしいものに仕上がっていると思います。
9時間30分の超大作ですが、決して間延びもだれることもない迫力にただただうならされるひとときだった気がします。やはり見直してよかった。