「銀河系」
足立正生監督なんてほとんど私の知識にないので、一本でも見てみようかと思って出かけました。若松孝二についていた人ですが、学生時代から独特のメッセージを放ち、後年、日本赤軍などに加わったという生え抜きの運動家です。一時、犯罪者でもあったため一般に作品のデータベースの資料もなく公開もほとんどされていないのが現状で、今回の作品も大手の映画データベースでは拾い出すことができません。
カラー作品と言うことですが、ほとんどモノクロかセピア色という感じで、どこが?という状態のうえに、せりふもほとんど割れていて、大変な状態でした。これがわざとなのか劣化によるものなのかも不明なのがなんともいえない。
海のショット、タイトルと続いて浜辺で故障した車の周りに人盛り。主人公らしき男が浜辺を見ると自分に似た男が数人と砂浜をサライで掃いている。そこへ降りていってその男を絞め殺すという導入部から始まる。
勤め先の階段で女たちにすれ違い、上から松葉杖が降ってきたかと思うと、その投げた男は自分に似た男で、トイレで格闘して・・・次々と殺しては現れる自分の分身のような存在。そこへ意味不明な坊さん、女、そして坊さんは「渇!」の一声で自転車を出したり御神輿を出したり、ボールを出したり。
主人公の男が自分の存在に疑問を持ち、似た男は自分の夢の象徴か?次々と殺して夢を破壊し続ける男。子供の頃の遊び道具や祭りを楽しんでいた頃の夢がなにもかも消えていって、それでもやるせなく自分を追い求める彷徨の物語か?
最後に、車に乗り、自分に似た男と女を殺してハイウエイを走り、かなたに急ブレーキの音と事故をにおわせる音がしてエンディング。はぁ、解放されたと劇場をでました。
自分の解釈が正しいのかどうかわからないままに、夢を求め、自分を模索し、その象徴で見える自分の分身を破壊していく主人公の話かと解釈しましたが、正しいのかどうか不明。まさに前衛的な映像で描く独特のメッセージの世界観という映画でした。典型的なアングラ映画ですね。
「僕のアントワーヌ叔父さん」
カナダ映画のオールタイムベストで3年連続一位という解説と、今回が最初で最後の公開というふれこみにつられていかがなものかと見に行きましたが、さすがにしんどかったというのが正直な感想です。1971年作品、監督はクオード・ジュトラという人で、わずか56歳で自殺をしています。今回の公開が限定的なのでデータベースも十分でないのでやや勘違いもあるかもしれませんが、ストレートな感想を書いてみます。
カナダ、ケベック州のアスベスト鉱山がある町で今からやや昔の話というテロップから映画が始まります。解説によると1940年代の話と言うことです。どこかの家で葬式の準備で棺に遺体を収めているアントワーヌと助手のフェルナンド、その様子をブノワという少年が見ている。親族が部屋を出ると、棺を閉じるまえにアントワーヌらが遺体のロザリオをとり、服も脱がして裸にして棺のふたを閉めてしまう。
このアントワーヌ夫婦には子供ができず、ブノワとカルメンという女の子を引きとって養子にして育てているらしい。仕事は雑貨店のようだが、葬儀屋の仕事もしているようである。このあたり、ふつうのイメージとは少し違うのは国柄のせいだと思います。
ここでのクリスマス前後の物語がブノワの視点を中心にゆったりと淡々とそして雪景色の中、詩情あふれる映像で描かれていく。ブノワとカルメンの切ないような少年少女の心の動きや村の人々のさりげないユーモアの中になんとも暖かみのある田舎の風情が描かれていきます。
雑貨店にやってきたセレブの婦人がコルセットを購入しその試着するところをブノワと友達がのぞき見したりする思春期の少年の微妙な心の動きを描く一方で、鉱山の経営者がクリスマスの飾りを村人に配るそりに雪玉を投げてみたりするあどけない行動も起こす。その様子に村人がじっと見つめるショットが意味ありげで物語に深みをもたらしたりもする。
時折アスベスト鉱山の影響か咳で死んでいくというエピソードも挟まれ、若干の社会性もあるかに思われますが、製作年度を考えると、これは考えすぎかもしれません。
ある日、農家の息子が死んだという知らせを受け、アントワーヌは助手にブノワをつれて出かける。そこで遺体を引き取ったものの、長い距離をそりで走るうちに遺体を取り落としてしまう。しかし、酒で酔っぱらったアントワーヌは当てにならず、どうしようもないブノワは落ちた遺体をそのままで帰ってくる。家ではアントワーヌの妻とフェルナンドが体をあわせている。そこへ帰ってきたブノワはフェルナンドと遺体を捜すためにもう一度雪の中へ。再度出かけるまでに疲れたブノワがベッドの中でシュールなイメージの夢を見るシーンが妙に心に残る。
出かけたものの途中の道では見つからず農家の家まで着いてしまう。
フェルナンドが戸をたたき、ブノワが窓から覗くとなぜか遺体の入った棺は家の中にあり、それを家族が取り囲んでいるシーンでエンディングである。
景色の描き方といい、人々の描写といい、少年たちの心の成長や、アスベスト鉱山で働く人々の厳しい生活の姿など通常のレベルの作品ではないことは確かであるが、淡々と進む物語と、傑作という解説に影響されて、どこを視点にするかという模索の中でとにかく疲れてしまった。
横浜の日仏学院が発掘し、当初横浜のみの上映予定だったが急遽大阪での上映がきまり根気三日間のみの上映がかなった。その意味で非常に貴重な機会であり、良質の映画であることは明らかにわかるのであるが、一方で、今まで見にシアターでさえも取り上げられなかった理由もわからなくもない一本でした。