「ロマノフ王朝の最期」
ロシア最後の皇帝ニコライ二世に取り入った怪僧ラスプーチンの物語。ドキュメンタリーフィルムを効果的に挿入し、フィクションで作られた映像との見事なコラボレーションで、圧倒的な迫力の歴史の一ページを描いていく。
狂気のごとく振る舞うラスプーチンの姿、時に色に狂い、時に美食に狂い、権力をほしいままにする彼の姿をただ、信奉するだけの周りの人々の姿が実におぞましく、そんな状態をどうしようもなく見つめるニコライ二世の静かな演技も物語の中で光る。
まるで魑魅魍魎のような終末のロシアの姿を暗澹たる映像と演出で紡いでいく二時間以上の物語は、全く気を抜けないほどの迫力が伝わってきます。
宮廷から追放され、田舎に戻ったラスプーチンさえもすでに常軌を逸した行動をとる。どうしようもなく追いつめられた人々が彼の毒殺を計画し、青酸カリ入りの酒を飲ますが、その毒が効かないというクライマックスは壮絶な展開でさえある。
ピストルで何度も何度も撃たれ、ようやくその命をつきてしまうラスプーチンの描き方のすごみは自国の汚点を真正面から見つめた当時のソビエトモスフィルムのすごさである。まさかこの映画のラストシーンで描かれるロシア革命のあと誕生したソ連が、後に再び崩壊するなど当時この映画を見た人々は想像もしなかっただろうと思います。
ほとんど気を緩める場面がない圧倒的に緻密な映像で語られるロシアの歴史物語で、正直肩が凝りましたが、作品の完成度の高さは絶品の一本でした。
「灰色の狼」
キネ旬のデータベースにみつからず、公開年が不明というこの作品。映画祭か何かで公開しただけで一般的にみられるのが非常にレアな作品なのでしょうか。
見終わった後、何だろう、不思議な感覚が胸に伝わってくる映画でした。カザフの山村のあまり見慣れない景色を舞台に、一人の少年クルマシと一匹の狼の物語が中心ですが、クルマシを取り囲む、叔父アハングル、叔父の友人、地主、祖母たちの姿が、自分の周りに存在する景色とどこか異質の、それでいて忘れてはいけない何かを伝えてくるのです。
少年と動物の心温まる物語と単純にすませられない何かがある。そんなとっても暖かい作品だった気がします。
主人公クルマシが叔父のアハングルと猟にでているシーンから映画が始まります。そこで狼を見つけ子供五匹のうち四匹を殺したところでクルマシが最後の一匹を助ける。アハングルが子供狼を殺すシーンに母狼がじっと見つめる視線のショットを挿入し、何とも切ないほどのシーンです。そして飼い始めるのですが、ことあるごとに自然の厳しさを教えるためにアハングルにいじめられる。クルマシには両親がいない。その寂しさからより一層狼を大切にする。
アハングルが地主の羊を盗んだり、アハングルの友人とのエピソードなどが語られるなか、成長した狼は一見なついているように見えますが、どこか野生のにおいを残しているように見えます。時折、クルマシらにとけ込まないような行動を見せるショットをさりげなく挿入する演出が独特です。
やがて、狼が逃げてしまい、クルマシもアハングルと折り合わず家出をする。地主たちが狼の群を襲い、けがをした狼がクルマシの家に身を寄せる。そこへクルマシが戻ってきて、かつて飼っていた狼だと認めたクルマシが首輪をつけようとすると狼が牙をむく。そして瀕死のけがをするクルマシ。アハングルがその狼を鉄砲で撃ち殺します。
アハングルの友人が看病するが、その友人はおたずねもので、やがて地主たちにつれて行かれます。それを見送るクルマシ。果たしてクルマシは助かるのか?それはわからないままに暗転。
何ともいえないクライマックスに切なさと、どこか自然に対する人間のおごり、甘さを見せつけられた思いがしました。吹雪とこれといってなにもない荒涼とした山々という景色が殺伐としていて、自然の厳しさが目の当たりに迫ってくる。そんな中では人間が考えるような動物との心温まる交流などは存在しないのかもしれません。そんなメッセージが切々と伝わってくる一本だった気がします。