くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「そして父になる」「凶悪」

そして父になる

そして父になる
カンヌ映画祭審査員賞受賞ということで、一気に話題になった作品であるが、好みではないテーマも重なって、印象は今一つだったような気がします。といっても、決してつまらないとか、低レベルの作品ではないし、淡々とした映像の中に、切々と語られる父であること、母であること、子供であること、心の絆の本当の意味というテーマはしっかりと描けていたと思う。

野々宮良多と妻のみどり、息子の慶多が私立の小学校の面接にいるシーンから映画が始まる。見事な受け答えで部屋を出たものの、そとで、慶多が答えた夏休みのキャンプとたこ上げが、塾で教えられた嘘であったことをさりげなく受ける父良多の姿が実にクールなのだ。

大手建設会社に勤めるエリートサラリーマンで、高級マンションに住む良多たち家族。みどりの実家は旧家であるが、良多の実家はしがないアパート暮らしの両親のいるふつうの家庭である。

ある日、かつて慶多を生んだ病院から連絡があり、子供を取り違えたミスを犯したことがわかったといわれるのだ。一番ショックを受けたのは、当初気がつかなかったみどりで、「なぜわからなかったの?つながっていたはずなのに」というシーンが実に切ない。

何とも寝耳に水の出来事に戸惑うものの、病院の要請で面談にいき本当の息子である琉晴の家族と合間見える。琉晴の家族は今時珍しい、田舎の個人の電気店で、兄弟も琉晴を入れて三人のいわゆる庶民的な家庭である。一瞬顔が曇る良多のシーン。

この映画では、すぐにそれぞれの母親は打ち解けるのだが、父親はなかなか親密にならない。というか、やたらクールな良多と、気がよすぎる、というより子供みたいに、ある意味いい加減な琉晴の父雄大。好対象に描かれる父の姿もこの作品のテーマへつながるようにも思えるのである。

展開は、本来の家族に戻すべく子供の交換へと展開していくが、最初は、正しいと信じた良多だが、やがて、本当の父と子の姿はこれではないと気がつき、元に戻すべく琉晴をつれていき、慶多を連れ帰るところがクライマックスになる。

何の変哲のない映像であるが、ゆっくりとパンするカメラにかぶって、ピアノの曲を始めクラシックが流れる。自分と同じような性格ではない慶多に不満ながらも、実の息子だからと思っていたことが覆され、どこか琉晴に自分を見つけようとする良多。しかし、良多本人も実は今の母親は育ての母なのであることが、終盤で告白される。しかも取り違えた原因は良多の生活をうらやんだ看護士によるわざと行った犯罪なのである。

この作品のテーマは、血のつながりを人為的な様々なことで断ち切って、先に見えた本当の親子のつながり、人と人とのつながりを描いてラストシーンへなだれ込む。

ラストで、迎えにいった良多に慶多は逃げてしまう。追いかけていって、いかにもな分かれ道で淡々と慶多にこれまでの様々な反省を語る良多。そして道が交わったところで抱き合って、そのまま、琉晴の家に戻り、両家が楽しそうに電気店の中に入っていきカメラがゆっくりと惹いていってエンディング。このままハッピーエンドか、彼らのみらい、子供たちの将来が必ずしも幸福な展開に進むかどうかは不明である。そこがこの映画の落としどころのうまさかもしれない。

父と子の絆に、血は関係がない。二組の家族がラストで一つになった。この瞬間が本当の人間の絆の意味なのだといいたいのだろうか。いい映画だとは思うが、個人的にはふつうの作品だったかな。尾野真千子真木よう子のコンビというのも、先日までのテレビドラマのままというのが気になるが、それはさておき、果たしてカンヌ映画祭で受賞するほどのものかと思えなくもない。そんな感想です。


「凶悪」
緻密に組み立てられたストーリー構成と、脚本、さらにじっと射抜くようにフィックスで捉えるカメラ視点で、恐ろしいほどに迫真の映像演出、そして、一番が主要な登場人物を演じた山田孝之リリー・フランキー、ピエール・瀧、池脇千鶴らの、近年では最高といえるほどの演技のぶつかり合いである。

特に、池脇千鶴には驚愕してしまった。もちろん大好きな女優さんですが、それはちょっとツンデレなかわいらしさに惹かれていたからです。しかし、今回は違う。

初めて登場したときに、「あれ?こんなに太っていたっけ?」と思うのです。確かに彼女はどちらかというと華奢なはず。ところがその答えがラストシーンではっきりします。

夫の母親の介護に疲れ、その精神的な苦労に夫が振り向いてくれない扱いに極限を迎えて、最後の最後、「お母さんを殴っていたんですよ、最近は」といって離婚届けを差し出すところ。なんと彼女はいつもの華奢な姿になっているのです。

つまり、太っていたのは演技のためであったと気がつく。女優魂というか、この作品で彼女はさらにレベルアップした感じがして息をのんで、さらに好きになってしまいました。

もちろん、他の三人の俳優さんもすばらしい演技をしています。

狂ったように人を平気で殺す須藤を演じたピエール・瀧の異常さ、金のために人を苦しめ殺すことにゲームのような快感を覚える木村を演じたリリー・フランキー。そして、死刑囚からの告白に、いつの間にか真実を追い求める雑誌記者の執念よりも、正義を貫くために犯罪者を葬ることに執着し、さらには、犯罪者を殺すという目的だけに必死になる藤井を演じた山田孝之

それぞれが、それぞれの役柄を、恐ろしいほどに現実味を生み出して入り込んでいる。どの四人に主演賞を与えてもおかしくない演技合戦がこの作品をしっかりと支えているのです。

物語は、車の中でチンピラの兄貴風の男須藤に一人のチンピラがさげすまれている。そして、橋の上から落とされ殺される。その直後、もう一人のチンピラが、須藤に裏切ったといわれて撃ち殺される。そして、彼は捕まるのですが、雑誌社に、告白したいことがあるからきてほしいと手紙が来る。

体よく断るために派遣されたのが藤井。須藤は彼の前で驚愕の告白をする。

すでに死刑が決まり、上告中の須藤は、実は、明らかになっている殺人以外に三件の別件があるという。三人の老人を、一人は焼き殺し、一人は首をつらせ、一人は保険金殺人をした。自分以外に首謀者として先生と呼んでいた木村という男を、なんとか逮捕して罪を償わせたいから記事にしてくれというのだ。

こうして、藤井は須藤のやや不明瞭な告白を元に捜査を始める。カメラは常に藤井の視点をにらみつけるようにとらえながら、裏付けをとる様子を描いていく。実はこの告白は嘘なのではないかと思うところもあるのだが、次第に、その事実がはっきりしてくる。

一方で、藤井の家には痴呆気味の母親がいて、妻洋子が一人で面倒をみている。施設に入れてほしいというものの、藤井は納得しない。そして、次第に須藤の告白に鬼気迫る迫力で迫っていく。一時は身を引こうとするが、逆ギレした須藤の迫力もあってさらに調べを続ける。

そして、木村の会社を調べにいって、窓から中を覗いてみると、なんと木村が一人の老人の首を絞めている。時間が一気に戻るのである。そして、ここから須藤と木村の非道の犯罪シーンが、まるで園子温の作品のごとくグロテスクな描写で描かれていく。

そして、いよいよ須藤が捕まるところまで物語が再現され、木村が一人車を降り、その姿にカメラを向ける藤井のシーンで一気に時間が現代へ戻る。そして、木村を逮捕するまで追いつめた藤井の記事によって、とうとう、描かれた殺人事件の犯人も逮捕法廷シーンへ流れていくのである。

時折しか挿入されない藤井の家庭のシーンが、池脇千鶴の迫真の演技のために、決して色あせずにしっかりと作品の中に生きているあたりが実にうまい。

そして、木村は無期懲役に、須藤は懲役20年に確定、家に戻った藤井は一時は離婚届けを突きつけられるも妻洋子と共にに母を老人施設につれていく。

執拗に追求するの藤井の手は止まらず、ようやく木村に面会するが、そこで木村は藤井に「事件を解決したいのではなく、俺を殺したいのはおまえだ」と指さされて、カメラはゆっくりと、木村が去った後へ引いていって、取り残された藤井のショットで暗転エンディングとなる。

監督は白石和彌という人ですが、何とも実にすばらしい演出を施す。いや、芸達者な俳優たちの最高の演技を引き出す。さらに、緻密に組み合わせたプロットのうまさと、決して手を抜かない脚本の構成の見事さを最大限に生かしたカメラワークがすばらしい。

非常に暗い話だし、実話を元にしているというテロップに始まるので、さらに身につまされるほどに重い映画ですが、近頃の日本映画の中では白眉の傑作だったと思います。黒澤明の「天国と地獄」をみた後の重さを感じてしまいました。