「泥の河」
30年ぶりに見直したが、やはり、初めてみたときと変わらない感動が、じわっと心にしみてくる。本当にこれは名作だなとあらためて思いました。
モノクロームでつづる、いわば底辺に近い人々の物語。昭和31年、まだまだ戦争に対する悲哀が世の中の人々の心にしっかりと残っている。主人公信雄の家は、安治川の河川敷で食堂を経営している。いくら、貧しいとはいえ、その住まいの場所は明らかに、被差別部落ということである。
映画は、よどんだような河の水面をとらえてタイトル。画面が変わって、馬で荷物を運ぶ馬車夫のシーンから、舞台となる食堂へ移っていく。モノクロームが、素朴よりも哀愁に見えるカメラワークがすばらしい導入部である。
そして、この車夫が、トラックを買ったという夢を語った直後に橋の上で、トラックとすれ違いざまに、荷台が崩れ、下敷きになり死んでしまう。ショッキングな導入部に、さらなる人々のもの悲しさを漂わせ、本編となる、対岸に着いた船上生活者の船が写るシーンへ。
信雄がその船の喜一という少年と仲良くなり、やがて別れがくる切ないラストシーンまでが、本編のストーリー。
喜一の母親が、郭船で客を取っていたり、喜一が学校にも行っていなかったり、姉の銀子に漂う何とも、もの悲しい表情なりはすばらしいほどの人情ドラマとなってこの作品の核をなしている。
信雄の父が、大人たちが不必要に船上生活する喜一の家族をさげすむことと、子供たちの世界は違うと断言する下りが実に人情味あふれるシーンで、いつの間にか忘れていく人間の心を感じさせる場面だと思う。
天神祭の夜のシーン、初めてお金を持って祭りにいくといって喜ぶ喜一、ポケットがやぶれていてお金を落とし、とぼとぼと帰る喜一の信雄、そして信雄は喜一の船で、喜一の母親が男に抱かれているのをみてしまう。
翌日、信雄は複雑な思いでふてくされている。喜一の船がゆっくり動き出す。必死で追いかける信雄。
喜一!と叫べない彼は、ようやくの思いで、彼の名を叫んでエンディング。
切々と語りかける物語は、大人の世界のどこかぎくしゃくと冷たくなった物を子供の視線にもどし、人間の本当に心を見せつけられる思いがする。すばらしい作品だと思う。
「伽倻子のために」
戦後、日本に住んでいる朝鮮人と日本人少女の物語であるが、ストーリーの中心は、透き通るほどに美しいラブストーリーである。
時は1957年、北海道の列車の中に始まる。父の友人の男のところへ挨拶にやってきた主人公サンジュンは、そこで一人の少女伽倻子にで会う。青年は東京の大学に通う在日朝鮮人で、まもなく、朝鮮への引き上げ船に乗る計画がある。
そんな彼と伽倻子は、いつの間にか、惹かれあい、愛し合い、同棲を始める。やがて、迎える切ないほどの悲劇は、その細かい描写はすべてカットし、二人の心のつながりと複雑な心境のみを映像で描写し、そぎ落とされた美しさの中に、ガラスのようなラブストーリーを浮かび上がらせる。
背景に、在日朝鮮人への差別意識、戦後に生まれたさまざまな悲劇なども交え、一本のラブストーリーの背後に設定したドラマが、作品の異常なくらいの深みと、なんともいえない物悲しさを生み出して行く展開が素晴らしい。
小栗康平監督ならではの感性が生み出す、素朴ながら、心に残る一本で、南果歩の裸身が本当にまぶしい作品だった。
「死の棘」
なかなかシュールな一本、徹底的に様式美に固執したせりふと映像の繰り返し、語られる夫婦の物語は、空間や時間さえも無視した独特の映像世界となって、引き込んでくれます。まさに小栗康平監督の感性が結実した傑作でした。
映画は、薄暗がりで、夫トシオと妻ミホが会話している。「死ぬなんて言わないで」と懇願するトシオ、どうやら、トシオが浮気をしていて、ミホが堪忍袋が切れたという感じであるが、ここから二人と幼い子供二人の、ふつうならホームドラマ的な内容の物語が始まる。
こわれかけた表の竹塀、真横に構える縁側を備えた家、時折見せる狂気のように怒り出す妻ミホ、それをなだめながらも、浮気を謝り、過去を言い訳する夫トシオ。そして、沖縄での軍隊時代のシーンまで挿入され、シュールな中に夫婦の諍いが混じる。
やがて、どうやら妻のミホは精神をやんでいるらしいことが見えてくる。トシオの不倫が原因かどうかはともかく、後半は、突然叫び出すミホへの対応と、従順なくらいに従うトシオ、さらに、愛人もからみ、夫婦はともに精神病院で暮らすことにする。そして、子供たちは、彼らの故郷である奄美大島へつれていく。
解説では、別離の危機にある夫婦の再生への物語とされているが、ここまで、シュールな映像世界を見せられると、ストーリーよりも、映像に引き込まれる。前半の、昔懐かしい家屋のシーンに始まり、時々挿入される、真っ青な奄美の景色、レトロなムードの町並みや、人々の会話などが、不可思議なくらいに魅力を感じさせてくれる。
好き嫌いもあるかもしれないが、これこそが映画の醍醐味と呼べる一本だったかもしれません。