「帯をとく夏子」
今となっては、お妾さんという存在は、あるかもしれないが、この時代ほど表立ったものではない。そんな時代の風を感じさせてくれる女の物語です。監督は田中重雄。
富士山を見ている主人公夏子の姿から映画が始まる。元温泉町の売れっ子芸者だった彼女には、会社を経営する社長というパパ的な存在があり、経済的には不自由のない生活をしているが、その彼に、後妻をもらう話が持ち上がり心が揺れている。
その社長は、のらりくらりと話をはぐらかし、夏子との関係を続けようとするし、後妻に来た女は夏子と別れるよう迫るし、夏子はかつての初恋の男性と再会し、心が揺れるしと、女心の微妙な変化を様々なエピソードを交えて描いていくが、ちょっとたくさんのエピソードが入りすぎて、やや散漫な展開になった感じです。
結局、夏子は社長と別れる決意をし、初恋の男性と結婚するかどうかの決断に自分を追い込んで映画は終わる。
今の時代なら、もっとすっぱりした流れになるところなのだろうが、この映画は作られた1965年当時では、まだまだそこまであっさりした行動を女性は取れなかったのだろう。それでも、いかにも小悪魔的な窓拭き女のキャラクターは、時代の変化を垣間見せる。
映画作品としては、普通の出来栄えですが、世相を感じる上では面白い一本でした。でも、若尾文子は綺麗ですね。
「わたしに会うまでの1600キロ」
もっとシンプルでつまらない映画かと思っていたが、思いの外いい映画でした。映像の組み立てが実に上手いのです。監督はジャン=マルク・バレ。
映画はPCTと呼ばれるトレッキングに参加し、疲弊した足の指に悪態をついている主人公シェリルのカットから始まる。愛する母を亡くし、夫を裏切って、ドラッグと男に溺れて結婚も破綻した彼女は、もう一度自分を取り戻すために、このトレッキングに参加した。
拠点を通過すらたびに自分を見つめ直し、様々な人と出会い、さらに過去を振り返る。繰り返し繰り返し、過去の自分がフラッシュバックするのだが、その挿入される映像のテンポが良く、さらに、振り返った過去を見つめて苦しむ主人公の姿が実にいいのである。
ありがちな、襲われそうになったり、死の淵に立ったり、行きずりの男とSEXしたりという場面もあるのですが、さらりと流す長さは実に上手い。
演じたのは、この作品でアカデミー主演女優賞ノミネートのリース・ウィザースプーン。苦しむたびに、さらに前に進むべく道を進むシェリルの姿を実に見事に演じきっている。
途中に、幻のように狐がそばにやってきたり、過去の映像に現代がかぶったりと、さりげないそれぞれのカットが計算しつくされている。
実話なので、下手をすると、教訓じみた映画になるところだが、映画としての人間ドラマとして完成されています。
結局、ラストはゴールではなく、終盤にたどり着く神の橋という拠点で、空を仰いで暗転。このエンディングも見事。
この経験で全てが解決し、自分を取り戻し、ハッピーエンドではなく、これが彼女の人生の通過点と言わんばかりのメッセージが見え、これからの彼女の人生の未来を遠くに臨まんとするエンディングになっている。
いい映画でした。見てよかったなと思える一本でした。