くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「二十歳の微熱」「あのこと」

「二十歳の微熱」

定点フィックスの長回しを繰り返す映像演出で、次第に語りたいメッセージが見えてくる展開が実に良くできています。冒頭からブレずにラストへ流れる一貫性は評価できる一本で、人を好きになること、男女区別なく親しくなることの本質を考えさせられるなかなかのいい映画でした。監督は橋口亮輔。彼のデビュー作です。

 

大学生で、体を売るバイトをしている樹が、ベッドで客の相手をしている場面から映画は幕を開けます。彼は所属するゲイバーで一人の高校生の信ちゃんと出会います。信ちゃんはそのゲイバーの店員に気に入られていて、ポラロイド写真を撮らせてほしいと頼まれるが、執拗に拒否している。

 

ある日、樹が所属する大学サークルの部室に行って、そこで先輩の頼子と出会う。頼子は樹を飲みに誘う。梯子をするうちに行き場がなくなり、ついホテルへ行き、なぜかそういう関係になるがお互いに恋人同士という感覚もない。頼子はある日樹の下宿にやってきて、そこで、宿無しになった信ちゃんと出会う。実は信ちゃんは樹のことが好きだった。しかし、元来ホモでもない樹には信ちゃんの存在はただのバイト仲間だった。

 

信ちゃんの同級生の女子高生あつみは、信ちゃんのことが好きで、樹の後をつけて、信ちゃんのバイトの真実を知る。ある夜、信ちゃんは、樹に押さえつけられ、つい跳ね返してしまい、樹の部屋を出ることにする。手荷物を預かってほしいとあつみを呼び出すが、あつみは、人を好きになることの意味を問いかけてくる。

 

一方、樹は、一人の中年の男性の客の相手をしていた。その男は、娘があるが息子がいないのは寂しいと呟く。それからまもなくして頼子から、テレビを運ぶのを手伝ってほしいと頼まれ頼子の家に行くが、なんと先日の中年男性は頼子の父親だった。食事の途中気分を悪くした樹は頼子の車で送ってもらうが、途中のガソリンスタンドで頼子にキスをした際、頼子に、樹のことは好きだけれでも、恋人という親しさとは別かもしれないと曖昧な返事をされ、樹は一人車を降りて、バイト先のゲイバーに行く。

 

樹は、マスターに頼まれたホテルに行くと、そこには信ちゃんがいた。客と信ちゃんと樹の三人で、客が話すあれやこれやに耳を傾けていた樹と信ちゃんだが、客との間がギクシャクし始める。やがて夜明け、信ちゃんと樹は早朝の街、信ちゃんは樹がゲイバーの店員の申し出のポラロイド写真を撮らせたことを問い詰め、今度からもっとふっかけるべきだなどと笑い合って歩いて行って映画は終わる。不思議な爽やかさが漂うラストシーンである。

 

ゲイをテーマにしているものの、人を好きになることの意味をさまざまな視点から問いかける展開がなかなか見応えがある上に、変に艶かしくもない清々しい作りもいい。さらに、長回しで延々とシーンを繋いでいく展開も全く退屈しないし、ちょっとした佳作だった気がします。

 

「あのこと」

張り詰めた緊張感を一瞬も緩めることもできず、目を背けたくなるけれども、そんな余裕さえもないほどに画面にくいいってしまう、というより、強制的に釘付けにされてしまうほどの迫力の傑作。決して好みとは言えないけれど、寒気がするほど恐ろしい映画だった。中絶するか否かという選択ができない女性の苦しみをストレートにグイグイと語りかけてくる筆致に圧倒されてしまいました。監督はオドレイ・ディワン。

 

女子大生のアンヌは、友人とこれから向かうパーティに備えて万全のおしゃれをしている場面から映画は幕を開ける。パーティの席で、美人でもあるアンヌはモテモテである。この日も、いつものように男性関係の話題に盛り上がりながらも帰ってきたアンヌだが、生理が遅れていることに気がつく。すでに予定日から三週間が経っていた。行きつけの病院で診てもらい妊娠していることが判明するが、学位に手が届く大事な試験を目前にしていて、今妊娠するわけにいかなかった。しかも、1960年ごろのフランスは中絶が禁止されていた。

 

物語は、三週目、四週目と時が流れる様子をテロップで見せながら、なんとか処置できないかと奔走するアンヌの姿を描いていく。女友達の多いジャンに相談するが、その場は拒まれる。友人に言っても、巻き込まないでほしいと言われる。父親だろうと思われるマキシムに相談したが拉致があかず、自分で処置しようと試みるが痛さでどうしてもできない。時が経ち、焦る一方で勉強にも身が入らなくなりいらだとが前面に出始める。時はすでに十一週となってきていた。

 

そんなある夜、ジャンが一人の女性を紹介してくれる。その女性レティシアは、闇医師のリヴィエール夫人を紹介される。費用は四百フランだと言われ、手持ちの本やアクセサリーを売り払い、夫人を訪ねる。手術後、医師がカルテに中絶と記入するか流産と記入するかは一か八かだと説明される。そして無事手術は成功し、あとは流産を待つだけになるが、なかなか降りてこない。

 

アンヌは再度夫人を訪ねるが、再手術は危険だから自己責任になると念を押される。それでも手術し、寮に戻ったアンヌは、もがき苦しんだ挙句大量に出血してしまう。叫ぶ声に駆けつけた友人を後にトイレに駆け込んだアンヌは、流産した手応えを感じる。友人にハサミを持ってきてもらうが自分で臍の緒を切ることができず友人に頼む。

 

救急車を呼ばれ、病院で処置を受けるアンヌの耳に医師の言葉が聞こえる。「カルテには流産と記入するように」。退院そて今日は試験の日だった。アンヌは他の学生と共に試験会場に入り、試験管の合図でペンを持つシーンで映画は終わる。

 

とにかく、中絶の処置をする場面も緊張感が溢れるが、トイレに駆け込んだアンヌが産み落とす場面は顔を背けたくなった。それでも、片時も画面から目を離せない迫力があり、この映画をつくらんとしたスタッフたちの鬼気迫る意気込みが伝わってくるようだった。恐ろしいほどの緊張感に包まれて映画を見終わる、ぐったりする作品でした。